今回のテーマは「行列」だ。
私は「待て」ができない。おドッグ様以下かよ、と思われるかもしれないが、最初から人間よりおドッグ様のほうが上である。

よって行列どころか、飲食店などで「すぐ入れない」とわかるや否や「じゃあジョイフルでいいや」となるほうだ、ちなみにジョイフルがわからない奴に説明をする気はない、都会に帰ってミラノ風ドリアでも吸ってろ。

  • 行列

しかし、私も場合によっては待つ、今までで最も長時間待ったのは、同人誌即売会の待機列だ。

日陰のない炎天下で3時間ほど待ったが、思ったほど苦ではなかったし、まして「じゃあジュンク堂でいいや」とはならなかった、ジュンク堂では得られぬ物がその行列の先にはあったからだ。

具体的に言えば、推しのDB(ドスケベブック)である、よって行列を見るたびに「この人たちにとっての推しのDBがこの先にあるのだな」と思う。

待つのは嫌だが、待った先がでっかい宝島とわかっているなら待つ甲斐はあるし、待つのも楽しみと言えなくはない。

だが逆に言うと「待たせるほう」はあまり楽しくない。

学生時代、回転寿司屋でバイトをしていたのだが、田舎の娯楽は回転寿司と車と夜の営みしかないので、土日は過疎集落でも結構な行列ができる。

今のように、入口に受付番号が出る機械が置いてあるわけでもなく、さらに私の働いていた寿司屋は、なぜか待ち客が名前と人数を書く紙すら導入しておらず、ひたすら人力で客の人数をメモり、並ばせるという方式だった、待つほうはその場を離れることはできない。

この業務を「誘導担当」のバイトが1人でやるのだが、この仕事に当たるのが一番嫌だった。

まず、コミュ障が割と混む飲食店の接客のバイトを選んだ時点で、リア充のBBQに食材以外の役割で単身参戦するぐらい無謀である、もちろん苦痛だった上、2年続けたのにバイト先の人間とは誰とも仲良くなれなかった。

ただ、これはその後「9年勤めた会社で誰とも仲良くならなかった」という新記録が樹立されたので、私の歴史としては大したことではない。

そんな苦痛なバイトの中でも誘導は特に苦痛だった。来た客全員に声をかけなければいけないし、それを並ばせなければいけない。「話しかけられない限り絶対しゃべらない」でおなじみのしゃべらないコミュ障にとっては、魚に陸生活させるぐらい無茶な仕事なのだ。

さらに、待っている客というのは「若干気が立っていらっしゃる」場合があり、文句を言われることもある、それに「口頭で聞いたことをメモる」という手作り感満載の誘導なので、当然ミスも起こる。人が待たされた上に順番を抜かされたらどうなるかは想像に難くない、人でなくなる。

客に2連続でキレられてバイト中マジ泣きしてしまったこともあるが、「誰もが一度は誘導で泣く」と言われるぐらいのポジションだったのである。

最近は客誘導を機械化しているところも多いが、あれは正しいと思う、お苛立ちになっている人間に人間をぶつけるというのは悪手である。文句を言っても仕方がない機械相手のほうが待つ側も冷静になれる上、人より機械の方が間違いがない。

また、最悪殴られたとしても、機械なら殴ったほうが痛い。

某寿司屋は、誘導にロボットのペッパーくんを導入しているらしいが、機械ゆえに間違いは少ないだろうし、さらに「殴る気になれない」点も良いと思う、殴ったらその2億倍悪いことが起きそうな気がしてならない。

待つほうも、待つと決めたらよほど店側の対応が悪くない限りは怒らず大人しく待つべきだろう、待てない、殴っちゃう、というタイプは隣のジョイフルに行ったほうがお互い平和である。

それを考えると、コミケの行列の整然ぶりはすごいと思う、あれだけの人数の他人が、まるで3年同じ釜の飯を食いながら訓練されたかの如く動いている。

おそらく、その先にある「推しのDB」(※DB以外が目的の方もいる)に思いを馳せれば「怒り」とか「苛立ち」という感情は起こらないのだろう。

病院とか、あまり嬉しくない理由で待つこともあるが、何かを楽しみにして待つときは、待ち時間もイライラせずに待ったほうが、その先の宝島でも楽しく過ごせるだろう。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。