■完璧なジャッジができた試合は「あまり覚えていません」

――さきほど2軍の試合で辞めたくなったという話をされていましたが、1軍を担当するようになって以降はいかがでしたか?

同じですね。1軍に上がると、今度は怖さを知る。先輩には「その怖さを知ったら一人前だ」と言われていました。すぐにその恐怖が襲ってきて、毎日試合前には「雨降らないかなぁ……」と願っていました(笑)。だから、普通の人よりも天気予報には詳しいですよ(笑)。

――試合がないと心安らかな一日に(笑)。

そうなんです。次の日も試合はあるんですが、その日だけは心の負担がなくなる。その繰り返しの29年でした。

審判は勝敗に興味ありません。試合が終わって居酒屋でホッとしているとき、「今日はどっちが勝った?」とよく話題になります。誰がホームラン打ったのかも記憶が曖昧。試合が無事に終わるとホッとするので、記憶が飛ぶのでしょうね。トラブルがあったときは別ですが、完璧なジャッジができた試合はあまり覚えていません。あまり記憶がない試合の方が、審判としては良い試合だったということですね。

――先程は野球愛の話もありましたが、プロ野球審判員のやりがいとは?

なんでしょうか……難しいですね。球審でいえば特等席で、一流選手たちを見ることができるのも魅力の1つ。あとは本にも書きましたが、一流打者が打ったときの独特の“焦げた匂い”を感じることができるのも球審だけです。

これは引退後のやりがいなのかもしれないですが、今でもルールなどの問い合わせがあるんですよ。テレビ中継のディレクターから電話がかかってくることもあるのですが、「すみません、今もう布団に入ってます」「目をつぶっているので明日でもいいですか?」と返しています(笑)。寺を継いで朝型の生活リズムになったので、9時以降は寝ておりまして……。高校野球関連でも、「高校野球でこういうことがありました。映像をお送りしたので見てください」みたいな相談もあって、翌日でもよければ必ず答えるようにしています。

――野球の専門家ですね。

そうですね(笑)。現役時代を振り返ると、もうちょっと選手側もルールを理解してほしいという場面が結構ありました。何億円ももらっている選手に細かいルールを説明しているとき、ちょっと悲しくなりましたから(笑)。

――選手たちが細かい野球ルールを学ぶ機会は、あまりないんですかね。

たぶんないと思います。野球はルールをしっかり理解していなくても、億を稼ぐことができるスポーツですから。それだけ単純だから、競技人口が増えたともいえると思います。実は細かいルール変更は毎年行われているんですよ。せっかく覚えたことも忘れないといけないので、そういう作業も審判としては大変な作業でした。

――試合を円滑に進める上での変更点ですか?

そういうことです。日本の場合はプロ野球があって、社会人、大学、高校、中学とレベルが下がっていくんですけど、それぞれでルールの解釈が違うんですよ。大学野球の審判をしていて、そこのギャップに苦労しています。まだまだ修行中です。

■「生真面目にはつらい仕事」を目指す人へ

――佐々木さんは2020年11月4日の西武対日ハム戦での塁審が、現役最後の試合となりました。その日のことは覚えていますか?

実は、翌日に(住職として)お葬式の予定が入っていたんです。だから、引退試合どころではなくて、「明日のお葬式をきちんと終えることができるのか」と気が気じゃなかった(笑)。

そんな状況でもあったのですが、29年の審判員生活を終えて……ホッとしたのが一番でしたかね。いろんなことがありましたが、良い審判生活だったので。自分から「辞めます」と言うことができた審判はそこまでいないんじゃないですかね。審判員は、契約更新をされなくて辞めるのがほとんど。一応、定年が55歳であと4年はできたのですが、まだ体が動く良い状態で辞めることができましたし、まだこれからいろんなことができるという喜びもありました。

――慰留されたそうですね。

そうですね。いろんな条件を出していただきました。それこそ「住職との二刀流はどうだ?」とか(笑)。とてもありがたかったのですが、私の中ではそれは違うなと。審判もそうですが、住職も中途半端な気持ちではできない仕事なので。

――本日は貴重なお話、ありがとうございました。最後に、これから審判員を目指す人、そしてプロ野球ファンに伝えたいことはありますか?

審判員は……生真面目な人にはつらい仕事です。おそらく、メンタルがかなりやられてしまうことでしょう。先輩や後輩で、精神的な負担に耐えられなくて辞めていく人をたくさん見てきました。そういう意味ではとても難しい仕事なのですが、達成感は言葉では表せないものがあります。日本シリーズが無事に終わったときには、「もう思い残すことはない」と思ったほど(笑)。

好きなことを続けていると、夢はいつか必ず叶う。僕はプロ野球選手にはなれなかったけど、プロ野球の世界に29年間も関わることができました。大学まで野球を続けてご縁があって審判になることができたのですが、大好きな野球を続けていないと当然なれなかった。そうして審判という職業に巡り合えて、好きなことを仕事にする幸せを引退した今でも強く感じています。趣味と仕事は別という人もいますが、僕は逆だと思っていて。趣味を仕事にできる幸せは、何物にも代えがたい。そう思います。

■プロフィール
佐々木昌信
1969年8月6日生まれ。群馬県出身。館林高校-大谷大学。大谷大では外野手として活躍し、3年秋の京滋大学野球リーグでベストナインを受賞。大学卒業後、1992年からセントラル・リーグの審判員となり、1995年の阪神タイガース対広島東洋カープで三塁塁審として1軍デビュー。通算2,414試合に出場し、球宴4回、日本シリーズ6回。実家の寺を継ぐため、2020年シーズンをもって引退し、住職を務める傍ら2021年からは東都大学野球審判員としても活動している。