健常者にとっては触れる機会の少ない福祉車両に、ホンダの試乗会で乗ることができた。ホンダが創業から変わらず大切にしている「人の役にたちたい、喜ばせたい」という思いは、福祉車両に盛り込まれた創意工夫の数々からも感じられた。まさに「ホンダイズム」の詰まった車両たちだ。

  • ホンダの福祉車両

    ホンダの福祉車両は「ホンダらしさ」の詰まったクルマたちだった

ホンダ第一号車と福祉車両の共通点

今回の記事で紹介する福祉車両とは、身体の一部が不自由な人が自分で運転したり、助手席や後部空間で移動したりするために改造を行った自動車のことだ。試乗会を開催したホンダによると、日本では現在、年間4万台が販売されており、うち7割が車いすのまま後部空間に乗って移動するタイプで、運転補助装置を搭載するクルマはわずかだという。

ホンダはこのジャンルで豊富なキャリアを持つ。運転補助装置では、手だけで運転ができる「テックマチック」を1976年、足だけで運転できる「フランツシステム」を1982年に実用化しており、助手席や後部空間で移動する介護車両についても1995年から提供している。

原点にあるのは、創業者の本田宗一郎が「技術は人のために」という精神のもと、最初の製品として送り出した自転車用補助エンジンであるとの説明があった。たしかに福祉車両も、身体の一部が不自由な人々の移動を補助するものであり、最初の製品と通じるものがある。

この日は4種類の福祉車両を試すことができた。まず体験したのは、手だけで運転する「テックマチック」だ。

試乗車は「フィット」で、乗り込むとセンターコンソールのシフトレバーの脇に、もうひとつレバーがあることに気づいた。これがアクセル/ブレーキペダルの役目を担うもので、手前に引くとアクセル、奥に押すとブレーキになる。

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  • 「テックマチック」搭載車は手だけで運転できる

2輪車に乗ったことがある人は、右グリップを手前に捻ると加速することを知っているだろう。それと同じロジックなので、筆者はすぐに慣れた。ウインカーはこのレバーにあるスイッチを左右に動かす方式で、こちらも2輪車に似ている。

走行前にレバーの感触をチェックしてみると、足元のペダルも動く。つまり連動しているので、健常者でも同じクルマを運転することができる。こうしたメカニズムなので、レバー操作に対する反応はとても自然。こちらも慣れるのに時間はかからなかった。

ステアリングはリムに取り付けたノブを片手で操作する方式だが、現在のパワーステアリングは低速では軽いので、こちらも不便には感じなかった。

むしろアクセルとブレーキを作動させる左手の動きがまったく逆なので、高齢ドライバーによる交通事故の原因でよく報じられるアクセルとブレーキの間違いが起こりにくく、通常の運転環境より安全ではないだろうかと思ったりもした。

右半身が不自由なドライバー用の車両では、アクセルペダルが通常とは逆にブレーキペダルの左にあった。ウインカーを出すレバーからは細いレバーが左側に伸びているので、左手と左足でも容易に運転できそうだった。

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    右半身が不自由なドライバーのために用意したタイプ

足だけで運転できるシステムも!

次に紹介する「フランツシステム」は、ドイツ人エーベルハルト・フランツ氏が考案したもの。テックマチックとは逆に、左右の足だけで運転ができる。日本の自動車会社でこの種のシステムを販売しているのはホンダが唯一だという。

ステアリングは左足を置く場所にあり、自転車のペダルのように操る。左に切るときは前回し、右は逆回しで、助手席側から見たステアリングの回転と同じだ。ウインカーなどは足元の小さなボタンを押すことで作動させる。

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  • 「フランツシステム」搭載車は左右の足だけで運転が可能

ドアを開けたりメインスイッチを押したりという動作は、筆者は手に頼らざるを得ないが、先天的に手が不自由な人は器用なので、足で扱うという。

ベルトはドアを閉めると自動的に装着されるタイプ。昔のアメリカ車にも存在した形だ。シフトレバーはアクセル手前のペダルで操作する。ロック解除はペダルの外側にあるプレートを右に押すことで行う。この2つも足で行える人はいるので、オプションにしているという。

始動時はブレーキペダルの上にあるロック用ペダルを踏んでブレーキをかけた状態にしたあと、スターターボタンを押す。その後はシフトペダルでDレンジを選び、ブレーキを踏むとロックが解除され、アクセルを踏むと発進する。

運転は、左足でペダルを回すステアリング、足で押すウインカーなど、テックマチックより慣れが必要だったが、ステアリングは通常のタイプより回転数を少なくするなど工夫が込められており、慣れればスムーズに運転することができた。

2021年10月に発売となったフィットのフランツシステムには、取材時点で10人くらいの問い合わせがあったという。たとえ少数であっても、移動の自由を提供する姿勢に感心した。

残る2つは介護車両で、ホンダでは車いす仕様車、サイドリフトアップシート、助手席リフトアップシート、助手席回転シートを用意する。この日は車いす仕様車と助手席リフトアップシートを体験した。

「N-BOX」の車いす仕様車は、リアゲートを開けると折り畳み式のスロープがあるので、これを下ろし、電動ウインチを車いすに装着して、リモコンで車内に引き入れていく。作動はスムーズだ。

フロアは低く、スロープの傾斜はゆるやかで、使用しないときは水平に格納できる。格納時の後席や荷室は通常のN-BOX同等に広い。通常は後席下に置く燃料タンクを前席下に配置するホンダ独自の「センタータンクレイアウト」が寄与している部分もあるだろう。駆動方式は4WDも選べる。

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    「N-BOX」の車いす仕様車

助手席リフトアップシートは「フリード」で体験した。こちらの動作もスムーズで、ステップに足を置いた正しい姿勢で座れば、身長170cmの筆者が車体のどこにも触れずに乗り込むことができた。

F1の経験をいかした車いすレーサー

福祉製品は2種類あった。最初に体験したのは歩行ナビゲーションシステム「あしらせ」だ。ホンダの新事業創出プログラム「IGNITION」(イグニッション)から生まれたベンチャー企業の第1号として、2021年に創業した株式会社Ashiraseが開発した、目の不自由な方のための製品だ。

「あしらせ」はスマートフォンと靴を連動させ、目の不自由な方を目的地に誘導するシステムだ。スマホのアプリで目的地を設定すると、靴に装着したセンサーにBluetoothで情報が伝わり、内側に入っているパネルのつま先、外側、かかとが振動する。この信号に従って前進、停止、右左折を行うという仕組みである。発売は2022年だ。

機器を足に付けた理由を聞いてみると、腕時計型などでは忘れる場合もあるのに対し、靴は外出時には絶対に履くからとのこと。ただし、足の裏は全体が震えるうえに、点字ブロックもあるので分かりにくいので、いろいろな神経がある足の甲などに配置したとの説明だった。

安価であることにもこだわったとのこと。将来は鉄道の降りる駅を伝えるなど、MaaSのような内容に発展させていきたいとの話もあった。

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    スマホと靴を連動させる「あしらせ」

もうひとつは車いすレーサー「翔」(KAKERU)で、2019年の大分国際車いすマラソンでスイスのマニュエラ・シャー選手が世界新記録で優勝し、話題を集めたマシンだ。

車体はホンダとしては初のフルカーボンで、ウイング形状のフレームにはF1やホンダジェットの経験をいかした。重量はわずか7.9kgにすぎない。ダンパーやステアリングをフレームに内蔵し、滑らかなフォルムとしたこともこだわりのポイントだという。

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    F1の知見を活用した車いすレーサー「翔」

フレームだけで330万円もするという高価格車ゆえ今回は展示のみだったが、スタンダードモデルの「挑」(IDOMI)には試乗することができた。車いすレーサーに乗るのは初めてだったが、乗車姿勢は速さを追求するために適したもので、競技に集中できそうであり、よくできたスポーツカーに通じるものがあった。

2輪車や飛行機も手がける会社だからこそ、モビリティをいろいろな角度から見ることができるのだろうし、すべての製品を通して「人の役にたちたい、喜ばせたい」という本田宗一郎の思想を感じた。これもまた、ホンダらしさだ。