「どんなにがんばっても自信が持てない」「周囲の人にどう思われているか気にし過ぎてしまう」。そんな“生きづらさ”を感じて日々を送っている人は、少なくないと思います。

  • 「自己肯定感」を育むために必要なこととは?/心療内科医・鈴木裕介

    「生きづらさ」を感じる理由や、少しでも軽くするための方法についてアドバイス。

どうすれば、しんどさから解放され、自分を肯定できるのか。秋葉原内科saveクリニックでメンタルヘルスに携わる「Dr.ゆうすけ」こと、鈴木裕介さんに話をうかがいました。

Q.人が“生きづらさ”を感じる原因はなんでしょう?

難しい質問ですが、「生きづらくない」とは、今の生き方にそこそこ納得できている状態のことだと思います。ある程度、身体・精神・社会的な状態が思いどおりになっている、コントロールできているな、という感覚を持てることですね。そうでない状態が、「生きづらい」ということなのではないでしょうか。

少し前までは「結婚してマイホームを持ち、広い庭で犬を飼う」みたいな、「これを目指せば幸せになれるんじゃないか」というサクセスストーリーのようなものがあったように思います。でも、高度成長期が終わり、そうしたわかりやすい「サクセス」をそもそも追い求めにくくなったり、仮にそれを得たとしても、なにか足りないという感覚が拭えない。

誰にでも当てはまる幸福のガイドラインなんて無いと皆が気づき始めた。向かうべき方向性が見つけづらくなったことは、生きづらい人が増えた理由のひとつだと思います。幸福な人生を手に入れるには、他人が描くモデルケースではなく、「心から納得できる、自分が紡いだ自分の物語」を生きることが重要なのではないかと考えています。

日常的に“生きづらさ”を感じている人は、「自分の物語」を生きることができていない人が多いです。自分ではなく他人や社会が決めたルールに、違和感を覚えても「NO」と言えずに受け入れてしまう。親や上司のどんな要望にも応えようとしてしまう人、結果が出せなかった時に「自分が至らなかった」と苦しんでしまう人なんかがそうです。

他人の要求を際限なく受け入れてしまうのは、自分の選択や感情に自信が無いということ。それは、「自己肯定感」の問題でもあると思います。

Q.自己肯定感とはそもそもなんでしょうか?

自己肯定感とは、他人からの評価に関係なく、「自分は自分のままで大丈夫」と思える感覚のことです。欠点だらけでも、誇れるものが無くても、ポンコツな自分自身を丸ごと受け入れることができる。自己肯定感がある人は、自分の感覚にのっとって「NO」が言えるし、仮に失敗しても、能力面での反省はあっても、存在としての自分を否定したり責めたりせず「まぁ、いいや」「次は何とかなるだろう」と思えます。

似た概念に「自己評価」がありますが、これは一定の価値基準によって自分の能力や容姿に自ら評価をくだすもの。基準に基づいてジャッジする態度が基本にあります。評価基準ありきの承認。自己肯定とは、いかなる評価からも離れた存在としての承認なので、全く異なる概念です。自己評価が高くても自己肯定感が得られるとは限りません。

むしろ、自己評価が高くても自己肯定感が低いという人は多いように思います。

自己肯定感は、ありのままの自分の感情を、重要な他者(だいたいは親です)に受け止められることで育まれます。よく言われる「無条件に愛される」というのは、どんな感情が出てきても、それがその人のものとして尊重される。嫌なことは「NO」と言っても許してもらえるような「安心できる環境」が与えられることがベースになります。

幼い頃に養育者との関係で過干渉、ネグレクト、DVといった問題を抱えていた人の場合は、そういう安心感を得ることが難しくなりがちです。虐待というレベルではなくても、たとえば転んで擦りむいて「痛い」と言ったときに、親から「そんなことで弱音を吐くな」と返ってきたら、自分の感情に自信を持つことができません。

そんなふうに、重要な他者との対人関係の中で、安心感を得た経験が乏しいと、他人に攻撃されないように相手の願望を優先してしまうようになる。これが、自己肯定感が低いということです。そうした人にとって、世界はありのままの自分で生きられる場所ではなく、常に自分よりも他者の感情に配慮しないといけない。そうした生き方に納得感を得ることは難しいでしょう。

  • 自己評価はあくまでも外部の基準によるもの。そのため、自己評価が高くても自己肯定感が得られるとは限らない。

Q.“生きづらさ”を少しでも軽くする方法はありますか?

自己肯定感に関連して、よく「基本的信頼」のことをお話ししています。それは、「自分への信頼」「他人への信頼」「世界への信頼」の3つです。

「世界への信頼」が無いとは、自分が今生きているこの世界は、がんばって生きるに値しない、という感覚のことです。「こんな状態で積極的に努力したところで、いい方向に転ぶとは思えない」「明日が来なかったらいいのに」というような気持ちです。これは、その人の世界の捉え方に大きく左右されます。

ほとんどの人は、物事や人間関係において「こうなるだろう」といった予期(前もって期待すること)をして生活しています。予期ですから外れることもありますが、それは誤差の範囲でおおむね信じて生きていける。これが、世界を信頼しているということです。

しかし、“生きづらさ”を感じている人たちは予期を裏切られたつらい経験が多かったため、自分の想定を信じられません。結果、「世間とは、恐ろしいものである」という認知の枠組みが形成されるに至ります。他者が怖くて避けがちになり、対人関係のスキルが身につかず、結果として対人関係でつらい経験を積み重ね、ますます他人が怖くなる…という悪循環に陥りやすくなります。

世界への信頼を回復するためには、何か行動を起こす際、まず「自分がこういう行動をしたら、周囲はこういう反応をする」といった予測の精度を、今生きている現実世界に見合ったものにアップデートしていくことです。「世界は怖い」という認知は、自分が弱い立場であったときにつくられたものであるため、悲観的に偏っていることが多い。

当然のことです。ただ、それを一旦脇に置き、相手の反応の予測を立てながら、他人との関わりをもつということをやめない。

そうすれば、「想像通りだった」「思っていたのと違った」など、“データ”が収集できます。悲観的にも楽観的にもならずに、今の時点で現実に起こった反応を積み重ねていくことで、予測の精度を上げていく。予測が当たるようになれば、「思ったよりも世界は安全だ」と感じられるようになり、世界への信頼も取り戻していけます。

  • 「他人への信頼」は、ありのままの自分を受け入れてくれる、信頼できる他人がいること。