葉山はダメなやつ

――松本さんの壮絶な美しさも印象的でした。

葉山は、ダメなやつですけどね(笑)。でも、男ってこうだから、僕は1番葉山に感情移入するんです。昨今の世の中では不倫とか、言い訳が効かないような恋愛感情に喜んで飛びついているけど、人って、みんな言い訳のできないものを持っているわけで。恋愛も楽しい部分だけ取るといいんですが、苦しい部分も積み重なっているのが『ナラタージュ』なんです。人を狂わせてしまう要因にもなるし、そんなこと望んでもないのに、好きだった相手に息苦しい思いをさせてしまうとか。

葉山が「ごめん」と謝りはするけど、何も変わろうとしないところも、すごく現実的ですよね。それでも忘れられない人だと言えるのが、割り切れなくて、生々しくて、純愛なんだな。

――かなり閉塞感にあふれていますよね。

2人で歩くシーンも曇天で、打ち上げられたゴミが散乱している海岸で。現場についたら真っ先にスタッフが「ゴミ回収するの大変だなー」と言っていたけど、「これはまんまでいい。ゴミが気に入ってるんだよ」と言って、そのまま撮影しました。そういうところを歩いているのが、ロマンティックではない現実ですよね。2人が自分の感情に気づいて必死で、寄り添いたいと思うからこそ軋轢が生まれたりして、ぶつかり合いが恋愛なんでしょうね。

僕自体が、シナリオを作っていくときに、「決定的にしたくない」といつも思っているんです。人生に決定的なことなんてちっともないから。そんなに確固たる何かを残せていける人生なんてつまんないですよね。曖昧さが好きなんです。

――そんな葉山先生の曖昧さに、くそ~と思わされたり。

恋愛の偏差値が試される映画だなって話していたんですけど、どれくらい深く恋愛の場面とぶつかって、自分が翻弄されているかが現れますよね。恋愛には翻弄されるべきだと思うんですよ。全然好みじゃなくても、いいところを見つけると一瞬で好きになっちゃったりとか。そういう経験ってみんなあるだろうに、映画になるとどうしても美男美女の物語になってしまうから、ダメな部分を突出させています。松本君も「これ、俺、大丈夫?」って言ってましたから(笑)。

高校生に傷ついてほしい

――松本さんは完成作を観た後に、演じている最中に感じていた葉山のダメな部分について何かおっしゃってましたか?

そこについては言わなかったけど、「思った以上に大人の映画だから、自分のファンは大丈夫かなあ」とは言っていましたね。でも大学生くらいから上なら、全然大丈夫だと思います。きっと高校生も観ると思うけど、高校生には、傷ついてほしいな。

僕がずっと企画書に書いていたのは「こんなのだったら、恋なんてするんじゃなかった」というコピーだったんです。そういう経験がある人間の方が、男と女の関わり合いにおいて、長年男と女でいられると思います。

――「高校生に傷ついてほしい」というのも素敵なコピーですね。

傷つくと免疫になりますからね。僕も子供の時にいっぱい観た映画、全然わかっていなかったんですよ。大人になっていくと、アート映画に見えていた作品が全然違って見えて、あの頃は感情が追いついてなかったんだと思います。ミケランジェロ・アントニオーニもさっぱりわからなかったけど、大人になって観ると、人間が持つ業が描かれていて全てが素晴らしい。

――松本さんのファンもそうやって傷つけられてしまうような作品に。

でも逆に、望んでいるかもしれないですよね。「松本潤に傷つけてほしい」って。それがエンタテイメントだと思うんですよ。

最近は不倫にしても、人のことを叩いて「酷い」と非難ばかりしているけど、自分も正しいことばかりやっているわけではないですからね。せめて映画くらいはと、僕は思っているんですよ。映画の主人公たちは不貞を働いても、息苦しさに生きることが説明されていますから。

※次回、『ナラタージュ』キャスト陣についてのお話を10月8日に掲載します。