2010年にJTBエンタテイメント所属となり、声優としての活動をスタートした渡部優衣。声優業の傍ら2011年にはインディーズでCDデビューするも、その道のりは決して平坦ではなかった。一度は音楽活動から距離を置いたものの、2016年6月8日、彼女はメジャーデビューアルバム『FUN FAN VOX』を発売し、アーティストとして再スタートする。

渡部優衣(わたなべゆい)。12月4日生まれ。JTBエンタテインメント所属。主な出演は『アイドルマスター ミリオンライブ!』横山奈緒役、『プリパラ』白玉みかん役、『てーきゅう』押本ユリ役、『リルリルフェアリル』ゆらら役ほかなど 撮影:西田航

本稿では、アルバムについてはもちろん、彼女が声優になった経緯や、アーティストとしての道を再び歩み始めた決意に迫った。

声優という職業を知ってからは、それ以外見えなくなった

――まずは、先日の『アイドルマスター ミリオンライブ!』の3rdツアーお疲れ様でした(「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 3rdLIVE TOUR BELIEVE MY DRE@M!!」。1月31日から4月17日まで、名古屋、仙台、大阪、福岡、幕張の5都市7公演で開催された全国ツアー)。

わー、ありがとうございます!

――渡部さんは仙台、福岡、幕張とかなりの参加率でしたね。藤井ゆきよさんとダブルリーダーを務めた地元・大阪での公演が印象に残っています。

当日は両親やおばあちゃんも見に来てくれていたんですよ。

――演歌好きのおばあさん。

そうです! 2~3歳のころからおばあちゃん馴染みのスナックに連れて行かれて、私もお客さんたちの前で「一円玉の旅がらす」など演歌を歌っていたんですよ。

――そうやって人前で歌うという経験がいまの活動にもつながっているのかも。

あ、それはあるかもしれないですね。おばあちゃんはアニメを観ないので、いまでも私が声優をやっていることもわからないと思うんです。でも、歌についてはわかるじゃないですか。だからCDを出して、歌うことで恩返しができているんじゃないかなって思います。『ミリオンライブ!』大阪公演のときも、おばあちゃんはステージで歌っている私を観て、すごい喜んでくれたみたいです。「あー、優衣がおる」って(笑)。

――人前で歌うことが好きだった幼少時代、歌手やアイドルじゃなくて、なぜ声優を目指したのでしょう。

物心ついたときから芸能界には憧れていました。なので女優さんや、歌うことができる仕事もやりたかったんです。当時は、モーニング娘。さんの、特に後藤真希ちゃんに憧れていて、駄菓子屋さんで売っているブロマイドが入っているくじをよく引いていました。あとはSPEEDさんも大好きでしたね。よく振りコピをして学校の休み時間に踊ったりしていました。でも、声優という職業を知ってからは、それ以外見えなくなって。

――「声優」を意識し始めたきっかけは?

もともと幼稚園や小学校のころから、暇があったらアニメを観ているくらい、アニメが大好きな子だったんですよ。よく観ていたのは『美少女戦士セーラームーン』や『幽☆遊☆白書』、『花より男子』とか。夏休みは朝からアニメが放送していたりするじゃないですか、もう朝から観てました! その流れでアニソンも大好きになって、「残酷な天使のテーゼ」や「めざせポケモンマスター」、それから「ゲキテイ!」(「檄!帝国華撃団」)。

――かなりハマってきてますね(笑)。

そうなんですよ~。もうオタク要素満載! 中学生になってもアニメを観続けていたんですけど、このころからエンドロールのキャスト欄を意識するようになって、「このキャラクターとこのキャラクターは同じ声優さんなの? え、一緒の人なの? すごい!」って。

――わかります。エンドロールを観るのが楽しくなる時期ってありますよね。

そこから声優雑誌を読んだり、声優さんのラジオを聴くようになったりして、気がついたら、「私も声優になりたい!」って思うようになりました。

声優と体育教師の二択

――その秘めていた想いをはじめてぶつけたのはいつですか?

高校3年生のときですね。周りのみんなが進学や就職など進路を決めているなか、私だけ「声優になりたいです!」って。そうしたら、親や先生など大人の方々は「何を夢見がちなことを言っているんだ。ちゃんと大学に行きなさい」と言われて、「でも、私は声優になりたいんです!!」と主張していました。

――意志は固い。

周りが大学の受験勉強をしているなか、私はアルバイトをして費用を貯めて、夏休みに東京に出て声優のオーディションを受けに行っていましたね。そこで「ボイスニュータイプ」さんの声優オーディションツアーで、いま所属している事務所の「JTB賞」をいただきました。

――おお! そこで大人たちも納得させて?

親は相変わらず反対をしていたんですが、本気だということは伝わったみたいでした。……実は私、そのときまで体育教師になりたいとも思っていたんですよ。もし声優になることができても、ずっと続けられるかはわからないじゃないですか。ダメだったとき、資格があるといいかなって。私は子どもが好きなので体育の先生がいいな、教員免許は取っておこうと。

――渡部さんは中学時代にテニス部の部長を務めたり、テニスで賞状をもらったりと、運動神経がいいから体育の先生は似合いそうですね。

でも、進路のことで何度も何度も親と喧嘩になりました。あるとき、お父さんから「お前は声優と体育教師のどちらになりたいんだ!」と言われて、私はすぐ「声優だよ!」と答えました。そうしたら「大学で教師を目指すなら学費も出すし応援もする。ただ、声優を目指すなら援助や応援は一切しない。その覚悟があるんだったら、声優を目指せ!」と言われましたね。このままでは、「声優も体育教師も中途半端になるぞ」と。

――すさまじいですね……。そこから本当に援助はなく?

まったく! なので高校卒業後、すぐには東京に出られなかったんです。1年間でアルバイトを3つ掛け持ちして、必死にお金を貯めました。過労のせいか2回倒れて、一度救急車で運ばれたこともあります。上京資金が貯まったのが19歳の春。そこからJTBエンタテイメントの養成所に入り、いまに至ります。

――渡部さんの「絶対声優になる」というものすごい覚悟が伝わってきました。先ほども話しましたが、いまはご両親もライブに来てくれるくらいに。

もう両親は迷惑なくらい応援してくれていて(笑)。「髪型はもっとこうしたほうがいいよ」と言ってくれたり、キャラクターソングや私が載っている声優雑誌も買ってくれたり。……当時は「親のバカヤロー!」と思っていたんですけど、いまでは本当にありがたかったなって。両親からの厳しい言葉がなければ、私も声優になるための努力をしなかったと思います。