19歳で月9ドラマ『ビギナー』のヒロインに抜擢されて以来、12年間にわたって43作品に出演してきた女優・ミムラ(31)。その一方、多い時に月200冊も読破するほどの読書家としても知られ、書評、エッセイ、寄稿など執筆業もこなしてきた。これまで絵本のレビューをまとめた著書を2冊、先月4日には自身初となるエッセイ本『文集』(SDP)を出版した。

『文集』は全376ページのボリュームで、第1章から第6章までは家族や友人、日々の生活で感じたことや書評などをまとめた97話。そして約130ページにわたる書き下ろしの第7章「十年電車に揺られて」では出演作を1作品ずつ振り返り、当時の葛藤や苦悩、撮影中に起こった出来事などが赤裸々につづられている。

女優のミムラ

同書を読み進めると、ミムラの新たな一面が垣間見られると共に、女優業と芸能界の厳しさを知ることができる。月9デビューで味わった世間のやっかみのごとくバッシングと精神的ダメージ、事務所つながりで声が掛かる続編ドラマ出演の違和感、マンガ原作ドラマの複雑な心境と達成感など。「ここまで書いて大丈夫なのか」とこちらが心配してしまうほど踏み込みに一切の躊躇はないが、「役者が出演作品に関して真正面から書く」という真摯な姿勢が暴露本との一線を画している。

ミステリアスなイメージがあった女優・ミムラの告白の数々は、その人間性を感じることができると同時に、新たな"謎"を呼ぶ。月9決定前からテレビ出演を拒んでいた理由とは? 小説の執筆予定は? 秘密基地とは? ゲームをやるって本当? その疑問を直接本人にぶつけてみたところ、スケジュールの都合で直接の取材は叶わなかったが、「日程調整が思うようにいかず申し訳ありません」という謝罪と共に、書面で以下の回答を受け取った。

月9デビューの真相と世間の声

――第7章の「ビギナー」の書き出しは、オーディションに合格した帰りの情景。手に花束を抱えながらも、心の底にあったのは「私はこれからどこに行くのだろう」という不安だった。ミムラの所属は大手事務所・スターダストプロモーションであるため、「ヒロインを公募で選出」という番組企画が一部で「出来レース」と受け取られてしまう。ミムラはそのことを「『芸能事務所への所属・無所属も問わず』が公募の要項だった」「モデル業以外は活動経歴なし」と釈明。しかし、知らぬ間に書類(選考)が進んでいることを知り、「契約の時にTV出演はなしと約束してくださったじゃないですか」と事務所に抗議したのは、誰よりも本人だった。なぜ、そこまでテレビ出演を拒んでいたのか。

実を言うと若気の至りといいますか、あまり熱心にやる気がなかった、というだけの理由です。それまでも美容院の方から声を掛けられて、交通費別途支給で5,000円、というようなカットモデルのバイトをやっていたのですが、複数の場所とお金のやり取りが発生するとなかなか大変と知識ではあって、芸能プロダクションに所属するとこのあたりが楽なのかなと考えました。複数声を掛けていただいたのですが、唯一「親御さんに渡してください」と封筒を渡してくれた今の事務所に連絡を入れました。

しかし当日、親と共に(事務所のある)恵比寿駅に降り立つと、同じような年齢の15~18歳の女の子たちが、同じように親と連れだって同じ方向に向かっていく。

「スカウトと聞いたけど、オーディションのことだったのか。これは勘違い、そして場違いだった。なんかおいしいものでも食べて帰ろう」と思い、受付でもそう伝えたのですが、オーディションはやっていますがスカウトは別ですと私だけ違う階に通され、面談となりました。そしてその席でも「遠い学校に通って部活もあるのであまりやる時間もなく、精算などが楽になるなら、という考えで来ました」「やりたいことがあるので、あまりこちらに重心は置けません。テレビなどは友人に発見されると恥ずかしいのでなしにしてください」「そういう考えでは困るというなら帰ります」という話をし、それでもいいので契約を、ということだったので承諾しました。

――2003年10月期の『ビギナー』に続き、2004年の1月期に『FIRE BOYS ~め組の大吾~』、4月期に『離婚弁護士』、10月期に『めだか』とデビューから休む間もなく走り続けた。2005年7月期『いま、会いにゆきます』で「成長していない」と痛感し、「一度"本来の自分"に戻って、リセットをかけるしかない」と決断。引退まで考えていたミムラだったが、社長に慰留されて2年間の休養を選んだ。しかし、その間に連載の執筆依頼だけは受けていた。

休業中の執筆依頼については、単純に書くことがとても好きであったこと。そして何も仕事をしないで名前だけ事務所に残していただくのはさすがに申し訳なく思ったので、毎月原稿をお送りすることで「ミムラ」であることをつなぎ留めていたと思います。休業はしていても演じること自体は好きだったので、離れた現場を客観視できたのも良かったと今は感じます。