ヴォーヌ・ロマネ村の貴公子

「メオ・カミュゼ」 / ジャン・ニコラ・メオ氏(ヴォーヌ・ロマネ村)

「メオ・カミュゼ」のジャン・ニコラ・メオ氏

伝説の人物がいた。アンリ・ジャイエ。神の手と称され彼の造るワインは、世界中のワインラヴァーを魅了してきたが2006年に他界。その彼が長年耕してきたのが、このメオ・カミュゼの畑である。ロマネ・コンティに隣接するグラン・クリュ、リシュブールを始め、ヴォーヌ・ロマネ村の中でもトップクラスの畑を所有する。現在の当主であるジャン・ニコラ・メオの父、ジャン・メオと共同耕作してきたアンリは1989年、ジャン・ニコラが当主になるとこの畑からは離れるが、その畑造り、ワイン造りのノウハウはしっかり受け継がれ、今に至っている。

メオ・カミュゼは現在17haヘクタールほどの自社畑を所有し、数年前からはネゴシャン(他の農家からブドウを買い、自社で醸造・販売)としても機能しており、その頂点ともいえるのがリシュブール、隣接するプルミエ・クリュ(1級畑)のクロ・パラントゥ(実はこの畑こそがアンリの真骨頂)、オー・ブリュレ。こちらをジャン・ニコラに案内してもらった。

これらはビオロジックで、3つの畑を合わせても1.5haしかない。なのに、農道1つ挟んだだけで、グラン・クリュとプルミエ・クリュに分けられてしまう。これは、素人目にはなかなかわからない地質や日当たり、標高などが緻密に作用しているのだ。それでも以前はこの3つの畑のブドウ収穫は、同日に行っていたという。温暖化などの気象条件の変化に伴って、最近になってオー・ブリュレは最も早く熟すから早めに収穫、次にリシュブール、最後にクロ・パラントゥというように、畑ごとに収穫日を変えるようになった。それにより各々適熟期に収穫でき、醸造所の効率もよくなった。

「メオ・カミュゼ」の自社畑。なんとここは狩猟地区でもあり、撮影時にもウサギの姿が

アンリの教えを受け継ぎつつも、時代に即した変化も加えているのだ。余談だが、これらの畑は、狩猟地区でもあるらしい。ウサギや猪などが走り回り、ヴォーヌ・ロマネ村に料金を払った猟師たちがズドンと撃ちにやってくる。ジャン・ニコラ自身は狩りをやらないというが、それにしてもこんなグラン・クリュの畑(しつこいようだが、隣はロマネ・コンティ! )の真ん中で狩りをするなんて、日本人からしたら「ありえない! 」と叫びたくなってしまうだろう。

「ドメーヌ・メオ・カミュゼ」

畑をじっくりと見た後は試飲。畑からしばらく車を走らせると、やがてブドウのがデザインされた美しいガラス張りの建物が見えてきた。ここが「ドメーヌ・メオ・カミュゼ」だという。少し古いガイドブックで、壁に蔦の絡まる同ドメーヌの外観写真を見ていたのだが、2008年の夏にリノベーションしたとのこと。しかし地下のカーヴは築100年のものをそのまま使用している。

カーヴに入ると、樽の大半は2008年のワインが熟成されていた。ネゴシャンのものも含め9種類、ジュブレ・シャンベルタン、シャンボール・ミュジニー、ニュイ・サン・ジョルジュ……そして先ほど見学したオー・ブリュレ、クロ・パラントゥ、リシュブールをジャン・ニコラに樽から注いでもらった。村も畑(クリュ=等級)も醸造の仕方も違うのでそれぞれ細かいニュアンスはもちろん違うのだが、ジャン・ニコラに受け継がれたアンリ節によって、すべてのワインに一貫性がある。そんな印象を受けながらの試飲であった。

地下にあるカーヴ