Legend#3 結成当初、観客は1人と1匹!?

ミックの大学在学中、小学校の同級生だったキースと再会したのをきっかけにローリング・ストーンズが結成される。当時はもっぱらロンドンの外れにあるパブをコンサート会場としていたが、観客のウケはよくなかった。バンド以外にクラブの管理人と番犬しかいなかった日もあったという。

そんな彼らにとって転機となったのは、1963年1月から「クロウ・ダディ」というクラブで毎週ステージに立ったこと。1カ月後には、開演3時間前から行列ができるほどの人気バンドになっていた。

Legend#4 ミック・ジャガーならぬ「ミック・シャガー」続出!

クロウ・ダディのステージで人気者になった頃から、バンドの女性関係も派手なものになったようだ。当時の関係者によれば、「ミックは毎晩違う女を相手にしていたよ。彼がダメな時は他のメンバーにアタックしたんだ。意外にも、みんないいとこのお嬢さんばかりで、カゴの中の鳥の生活にうんざりして刺激を求めていたんだ」。

デビューが決まった後も、ツアーに出るたびに"ご乱行"続き。ミックに付けられたキスマークを自慢する女の子たちを「ミック・シャガー(ミックの遊び相手)」と呼ぶジョークもあったとか。余談だが、多くの女性と浮き名を流してきたミックの「初体験」はグラマー・スクール時代。病院でポーターのアルバイトをした時、そこに勤める看護婦が相手だったというのが定説となっている。

Legend#5 キース、コンサート中に気絶!?

年齢を重ねてもなお、不良ぶりをいかんなく発揮するキース・リチャーズ

1964年にデビューし、翌年、「サティスファクション」の大ヒットで一気にスターダムを駆け上ったストーンズ。"不良の音楽"と名指しされた彼らだが、コンサートにはつねに熱狂的なファンが集まった。1965年10月、マンチェスターのオデオンでおこなわれたライブでは22名が気絶する事態に。うち1人はなんとキース。ステージに飛んできたレモネードの瓶が当たってしまったという。

だが過熱する一方の人気が、皮肉にもロック史に残る悲劇を生んでしまう。1969年12月、アメリカのオルタモントでおこなわれたコンサート中、警備として雇った暴走族のメンバーが黒人青年を殺害。「オルタモントの悲劇」として記憶されるこの事件を経て、彼らは「こんなことはもう二度と繰り返さない」と誓い、コンサートを撮影したフィルムにまつわる収益をベトナム人孤児のための養護施設に寄付することに。

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