「国内、海外のさまざまな空港でみなさまに慣れ親しんでいただきました日本航空の鶴のマーク「鶴丸」が本日、半世紀の歴史に幕を閉じることになりました……」。

冷たい雨が降り続く5月31日の羽田空港、第1ターミナル14番搭乗口。18時20分発、大阪/伊丹行き133便の乗客へ向けてのアナウンスは、いつもとは違う言葉で始まった。

日本航空(以下、JAL)はこの日、尾翼に赤い鶴の絵があしらわれた旧塗装の機体での運行を終了した。1960年から48年間、両翼を頭の上まで大きく広げた丹頂鶴をイメージしたデザインの機体「鶴丸」が、姿を消すことになったのだ。旧塗装機体で最後の羽田発便となる大阪/伊丹行き133便の搭乗口付近は、別れを惜しみ"記念搭乗"するファンであふれ、「さようなら鶴丸」と書かれた横断幕を持った社員たちによる惜別セレモニーが行われた。

48年間、多くの人を乗せ、親しまれた「鶴丸」マークの機体

「鶴丸がラスト・フライトということですぐに搭乗予約しました。JALというとあの鶴のマーク。小さいころから見慣れていた思い出のデザイン。それが消えるとなると、寂しい想いです。今日は福岡まで乗り継いで、明日、福岡から"国内線ファーストクラス"の乗り心地を楽しみながら帰ってくる予定」と、20代の会社員男性は搭乗前の心境を語っていた。

大正・昭和生まれの人にとってJALといえば鶴のマークだが、平成生まれの若者たちには「太陽のアーク」をイメージしたという現在の"赤い尾翼"でJALと認識するらしい。では、昭和の時代にさまざまな空を駆け抜けた日本の翼・鶴丸の歴史をのぞいてみよう。

鶴丸マークは日本を代表する丹頂鶴を模したデザインで、1960年、日本航空初のジェット旅客機となるダグラスDC-8「富士号」の機体に初めて施された。だが、パンフレットに登場するのはもう少し前になる。そこで、「鶴丸」が機体に登場する前後から現在に至る半世紀の歩みを以下に記してみる。

「鶴丸」の歴史

1954年

国際線開設にあわせ、日本的ムードを強調する鶴の紋章「鶴丸」が日本航空のイメージとして多用される

1959年

「鶴丸」マークが日本航空の商標として制定

1960年

初めて機体塗装としてDC-8「富士号」に施される。当初はコックピットの後ろに小さく控えめに描かれる

1965年

日本航空の社章が「鶴丸」に変更される

1970年

ボーイング747の就航にあわせ「鶴丸」マークが尾翼に大きく描かれるようになる。胴体のデザインも赤と濃紺の2本の帯を基調としたものに

1989年

完全民営化を機にJALロゴは変わるものの尾翼の「鶴丸」マークは残る

2002年

日本エアシステムとの経営統合に伴い、機体塗装を現在のデザインへ移行開始

2008年

すべての機体が新塗装へ

この歴史の間には、「よど号ハイジャック事件」や「日航ジャンボ機墜落事故」、「羽田沖墜落事故」など、忘れてはならない暗い過去も含まれる。そしてこの日、さまざまな歴史を経てきた鶴丸の、最後の旧塗装機体となったボーイング777-200(トリプルセブン)が、第1ターミナル17番搭乗口からの乗客を迎え入れていた。

報道陣、ファン、一般客らで異常な混雑ぶりの17番搭乗口ゲート前には、JALの歴代制服を着用した客室乗務員も見送りに参列した。JALのCA制服としては5~7代目にあたる3種類の衣装が披露され、ラストランのイベントを盛り上げた。

14番搭乗口前には「さよなら鶴丸」と書かれた横断幕と、50分の1スケールのボーイング747旧塗装機のモデル、そして歴代キャビンアテンダント制服を身にまとった女性スタッフが登場。鶴丸最後の日を盛り上げた

ミニスカートにワンピースというキュートなデザインは5代目。1970年から1977年まで使用された。森英恵氏のデザインによるもので、ジャンボ機(ボーイング747)導入にあわせて一新したものだ。長袖ボディーシャツが特徴的な6代目も、同氏のデザイン。1977年から1987年まで。そして7代目は一般公募デザインによるもので、紺のミニタリー調のスーツという印象だった。1988年から1996年まで使用。その3人と鶴丸塗装機モデルとの記念撮影会は列を成すほどの人気ぶりだった。

写真右から、1970年から1977年までのワンピースタイプの5代目、長袖ボディーシャツが特徴的な6代目は1977年から1987年まで。紺のミニタリー調スーツの7代目は1988年から1996年まで使用された

整備や発券カウンターなどの地上スタッフをはじめ、機長なども加わった社員有志たちが、横断幕を手に乗客を見送った

このような混雑ぶりを、保安に努める警備員のひとりは「芸能人や有名人などではなく、機体自体が注目されてこんなに人が押し寄せるのは、これまで見たことがない」ともらしていた。そして、乗客1人ひとりに惜別記念グッズを配り、地上で乗客とともに「鶴丸」と最後の時間を共有していたJALのトリプルセブン機長である藤井さんは、「先輩たちがつくり上げてきた伝統を、我々がどうやって引き継いでいくか、変わらぬもの、変わるもの、それぞれの重みを今感じている。そしてJALの変革をお客様にどうお伝えし、再びJALご利用していただけるかということ、これからも真摯に取り組みたい」と語った。

異常な混雑ぶりを見せる14番搭乗口。芸能人や有名人の登場ではなく、機体に注目されてこれだけの混雑をつくるのはめずらしいという

この日にあわせ、「鶴丸エアラインバック」も特別に搭乗口前で販売された。133便の出発前に完売。最後のひとつとなった現品モノは2割引で売られ即お客の手に

18時20分発、大阪/伊丹行き133便、ボーイング777 - 200「鶴丸」は、358人の乗客、3人のパイロット、9人の客室乗務員を乗せゲートを離れた。ゲート、空港事務所、展望デッキ、さまざまなところから別れを惜しむ人たちが鶴丸に手を振った。"スピード感と日本"を想わせてくれた日本の空のシンボルマークがこの日、羽田から旅立った。搭乗終了後のゲートを見回すと、涙で目を潤ませている人の姿も……。

羽田から飛び立とうとするB777大阪/伊丹行き133便の尾翼。伝統的な日本の紋章は社章にもなり、半世紀もの間世界にその雄姿を知らしめた

ゲートから離れるB777大阪/伊丹行き133便"ラスト鶴丸"。777の巨大なエンジンに火が入ると、静かにプッシュバックされて滑走路へと向かっていった。その後、この旧塗装機「鶴丸」はJL138便 で伊丹を20時20分に発ち、羽田に21時30分に着いてお別れに

ゲートやデッキでは、スタッフたちが大きく手を振って鶴丸を見送った

その後、「鶴丸」は定刻から4分後の18時24分に、機体がプッシュバックされ、いつもと変わらない轟音を響かせ、羽田空港の滑走路を18時37分に離陸した。

18時20分発 大阪/伊丹行き133便 ボーイング777-200「鶴丸」は、乗客358人、パイロット3人。客室乗務員9人を乗せゲートを離れた

報道関係者を誘導していた広報スタッフたちも、最後の羽田離陸となる鶴丸に手を振って見送っていた