• タイヤモンドは永遠に?

1981年に発売されたIBM PCは、当時としては複数ある16 bit コンピュータの1つでしかなかったが、後継機種を含めて広く使われ、現在のPCのベースとなるハードウェアになった。IBMのブランド力もあったが、それ以外の理由の1つが、ディスプレイ(表示)回路をメインボードから分離して交換可能にしたことだ。

それ以前の8 bitマシンでは、ディスプレイ機能は、メインボードに組みまれていた。このため、ディスプレイ機能へのアクセス方法は、機種が決まると1つに固定される。しかし、後継機で機能を強化するとその点では互換性がなくなってしまう。当時、ディスプレイ機能は、同じCPUを使うマシン同士の互換性を阻害するものでしかなかった。ほとんどの16 bitマシンは、こうした8 bitマシンの構造を継承していた。こうした状況が頭に来ていたのがマイクロソフトで、これがWindows開発の原動力の1つになった。

しかし、当時、半導体技術もディスプレイモニターの技術、そしてソフトウェアもまだ「黎明期」であった。このため、特定のディスプレイ技術に固執することは進化を止めてしまう。その解決方法の1つがディスプレイ機能を分離可能にすることだった。

IBM PCではディスプレイアダプタ(拡張カード)が交換可能なハードウェアであったため、結果的にディスプレイアダプタやモニターのビジネス、いまでいうエコシステムが成立、競争の結果ディスプレイ技術が進化した。最終的には3Dグラフィックスを高速で処理するGPUが登場、モニターはCRTから液晶に切り替わった。Windowsが普及すると、デバイスドライバが吸収するためハードウェアの相違は問題ではなく、むしろ性能が重視されるようになった。

当時のCRTモニターは、民生品であるテレビの仕様(NTSCなど)をベースにしていた。NTSCは、まだ真空管でテレビが作られていた頃に作られた仕様である。簡単にいうと水平同期周波数が15.75 kHz、垂直同期周波数が60 Hz(カラー化でわずかに下がる。液晶のリフレッシュレートに相当)である。IBM PC用の最初のグラフィックスカードCGA(Color Graphics Adapter)は、640x200ドット2色のグラフィックス機能を持ち、NTSCと同じ水平、垂直同期周波数を使っていた。

1984年に登場したEGA(Enhanced Graphics Adapter)は、高解像度化のために水平周波数を高くした。ちらつきを押さえるためには、垂直同期周波数を低くすることはできず、縦方向の解像度を上げるには、ラインを描画する時間を短く(水平同期周波数を高く)するしかない。このため、グラフィックス機能の向上に応じて水平同期周波数が高くなり、付随してモニター性能も向上する。

1987年のIBM Personal System 2(PS/2)シリーズでは、VGA(Video Graphics Array)と呼ばれる新しいディスプレイ・コントローラーが内蔵される。VGAは、640×480ドットのグラフィックス解像度を持ち、水平同期周波数が31.469 kHzとNTSCやCGAの倍の周波数を持つ。

VGAは組み込みであったため、従来のXT/ATバスやEISAバス用に、VGA互換カードや互換モニター(多くがさまざまな水平/垂直同期周波数に対応したマルチスキャンCRTモニターだった)が登場し、PC互換機用ディスプレイの市場は拡大した。さまざまなVGA互換チップが登場し、これを使って多くのディスプレイカードが作られる。当時コストも需要だったが描画速度や解像度が重視された。

1990年に登場したS3社の86C911は、2Dグラフィックス描画機能を持つことで高速化を実現し、特にWindows 3.0との組合せで性能を発揮した。これ以前にも描画機能を持つ製品はあったのだがCAD用の高価な製品だった。S3のデバイスを使った著名な製品にダイアモンド・マルチメディア社のStealthシリーズがあった。

S3社が1995年に出荷したのが1チップ化で低価格を実現したS3 Trioである。拡張ボード用に広く採用されたほか、メーカー製PCの組み込み用として広く採用された。同チップは、S3で最も成功したものだと言われている。

このS3 Trioは、現在でもWindowsの仮想マシン環境であるHyper-V(第一世代仮想マシン)や、DOSBOXなどの仮想マシンのVGAエミュレーション仕様として残る。広く使われていて対応するソフトウェア(OSを含む)が多いことも理由だが、互換性が高かったこともある。S3 Trioは、VGA互換アクセラレーター(コントローラー)と、RAMDAC、クロックジェネレーターを統合していたからだ(3つを統合したのでTrioの名がある)。

VGAでは制御部分を1つチップ(これがVideo Graphics Array)にまとめ、RAMDAC(カラーパレット用RAMとデジタル/アナログ変換器を組み合わせRGB信号を出力するデバイス)とクロックジェネレーター、メモリを組み合わせてディスプレイを構成していた。

S3 Trioはメモリ以外が1つのチップに統合されているため、ソフトウェアからは常に同じ手順で制御や設定が行えた。これが仮想マシンのエミュレーション対象として選ばれる理由だと考えられる。

S3社は、アクセラレーターで一気にトップシェアに駆け上ったが、不幸なことに3Dグラフィックスに対応したGPUが登場し始め、低価格機種向けチップセットにディスプレイが統合され始める(1999年のIntel 810チップセットなど)。これにより業界は大きく変化する。

ビジネス的に苦しくなったS3社は、1999年にグラフィックスボードを販売していたダイヤモンド・マルチメディア社と合併し、チップから完成品ボードまでを製造する企業となった。いまでは、チップ開発とボード販売を手がけるメーカーは珍しくないが、この頃、チップメーカーとボードメーカーの統合、あるいはチップメーカーの買収が進み業界が大きく変わっていく。

3Dチップ開発が遅れたS3/ダイヤモンド・マルチメディアは、結果的にPCの拡張ボードビジネスからは撤退し、SONICBlueと名を変えるが2003年に倒産し名称は売却される。VGAチップの設計部門は、2001年にVIA Technologiesに売却され、S3 Graphics社となり、S3の名はこちらが受け継ぐ。その後HTCの子会社になった。数年前ぐらいまでは、S3 Graphics社のWebページがあったのだが、今ではアクセスもできない。

今回のタイトルネタは、1971年の映画「ダイアモンドは永遠に」(原題Diamonds Are Forever)、007シリーズの7作目。世間での評価は高くないが、筆者としては同シリーズ中のベスト作品である。特に終わり方は同シリーズ中最高だと思う。