Happy Hacking Keyboard(HHKB)の新モデル「HHKB Studio」が10月25日に発売されました。「All-in-One」という新たなコンセプトを掲げ、ポインティングスティックやジェスチャーパッドを搭載した新機軸の高級キーボードです。
新機能が注目を集めただけでなく静電容量無接点方式からメカニカルスイッチに変更されたことも含め、発表直後からSNS上では熱いキーボードマニアたちの賛否両論を呼んでいましたが、刺さる人には刺さる尖った製品であることは間違いなく、初回分と10月31日の二次入荷分は即完売という状況です。
本誌でもすでにニュース記事やレビュー記事でたびたび紹介していますが、今回は「従来のHHKB」とポインティングスティック搭載キーボードの代表格である「ThinkPadキーボード」の両方を日頃から愛用しているユーザーの目線で評価したいと思います。
「HHKB Studio」のおさらい
まずHHKB Studioの概要をおさらいしておくと、従来のHHKBのキー配列を踏襲した英語配列63キー/日本語配列72キーのコンパクトサイズはそのままに、スクロールなどの各種操作を割り当てられるジェスチャーパッド、カーソル操作のためのポインティングスティックやマウスキーを追加した多機能キーボードです。
キースイッチはオリジナルの静音メカニカルスイッチを採用し、はんだ付け不要で好みのキースイッチに交換できるホットスワップにも対応。また、HHKB Professional HYBRIDと同様に無線/有線(Bluetooth/USB Type-C)の両方で使えるハイブリッド仕様も継承しています。
本製品は従来のHHKBシリーズを置き換える後継機というわけではなく、クリエイターなど別のターゲット層に向けて、伝統的なフォーマットにこだわらず新しい機能を盛り込んで作られた別ラインの製品です。
価格で並べれば従来型の最上位機種である「HHKB Professional HYBRID Type-S」が36,850円、HHKB Studioが44,000円なので現行のHHKBシリーズのなかで最も高価なモデルではありますが、かなり性格が異なるので単純に「最上位モデル」と捉えるのは正確ではないでしょう。
「静電容量無接点方式じゃないHHKB」はアリか
筆者はこの編集部に来てから2年ほど、会社ではHHKB Professional HYBRID Type-Sを使っています。そして、自宅では「ThinkPad トラックポイント キーボード II」という、ThinkPadのノートパソコンからキーボード部分だけを取り出したような製品を愛用しています。
そこで今回は、従来のHHKBユーザーとして「静電容量無接点方式じゃないHHKB」を受け入れられるかどうか、そしてThinkPadキーボードユーザーとして「ポインティングスティック付きキーボードの新しい選択肢」をどう見るかという2点を中心に語ります。
まず、キースイッチの変更に関して言えば「何を求めてHHKBを選んでいたか」によって評価がはっきり分かれるところでしょう。プログラマーなどHHKBのキー配列を重視している方ならそこが本質ではないでしょうし、メカニカルのほうが劣るとされる耐久性に関しては、ホットスワップの採用と純正キースイッチの保守部品としての単品供給である程度解決されています。
また、HHKBの歴史をさかのぼれば元はメンブレン式であり、たとえ東プレ製の静電容量スイッチ以外を選んだとしても、目の肥えたユーザーを納得させるだけのフィーリングに仕上がっていれば「静電容量にあらずんばHHKBにあらず」と門前払いを食うものではないはずです。
元も子もないことを言えば高級キーボード自体がある種の嗜好品であり、打鍵感は「好みによる」「好きなもの・合うものを選べばいい」としか言いようがないのですが、あえて評価するならば「価格相応の上質さはある」と感じました。
Cherry MX互換のメカニカルキーになったといってもありあわせの部品ではなく、キースイッチはKailhと共同開発したカスタム品で打鍵感や静音性にもこだわっていますし、キーキャップとの接続はCherry MX互換のキースイッチ/キーキャップで一般的な「+」型の周囲に太い円形の軸を追加してあり、市販のキーキャップに交換できる互換性を保ちつつ純正同士の組み合わせではブレの少ないものになっています。
また、キーボードの打鍵感というと「〇〇軸だとリニアで押下圧がどうのこうの……」といった構成部品のスペックに注目されがちですが、実際にはそれを固定するシャーシや筐体の作りも重要です。HHKB Studioの場合、基板の裏に鉄板を入れて剛性感を高めており、非常にがっしりとした印象。タイピングした際にも遊びがなく安定した打ち心地であると同時に、筐体内の余計な反響が少ないこともキースイッチの性能以上に静粛性を高めてくれます。
この重たい鉄板の入ったシャーシからくるしっかり感は、他のメカニカルキーボードでいえばKeychronのQシリーズに似た物を感じました。この手の作りは打鍵感・打鍵音は良い反面、タイピングの反動がダイレクトにきて疲れやすいので底打ちしがちな人には向かないかもしれません。
キースイッチそのもの、キーキャップの固定方法、そして筐体設計と抜かりない作りによって、ブレのないしっかりとした入力感や心地良く整えられた打鍵音に仕上がっており、一昔前のガチャガチャとしたメカニカルキーボードしかまだ触れたことのない人なら驚くはずですし、これなら静電容量でなくても納得できるという人も多いでしょう。
ただ、他のレビュアーからは「(東プレの)静電容量無接点の打鍵感にそっくり」といった言及も散見されますが、個人的にはそうは感じなかったということも申し添えておきます。
45gという押下圧や筐体起因のしっかりとしたフィードバック、(Type-Sとの比較であれば)静音モデル特有の押下圧とは別の抵抗感などほのかに似たところはあるものの、あくまで変動の少ないリニアな押し心地なので、押し始めの反発感や中間付近までの感触はまったく違います。おそらく強めに底まで打っている人ほど違いを感じにくく、浅めで素早くキーを戻す打ち方の人ほど気になるかと思います。
ポジティブな違いも挙げておくと、従来機のなかでは静音モデルという位置付けのType-Sと比べても、HHKB Studioのほうがずっと静かだと感じました。筐体の作りがより重厚で打鍵音が響きにくくなっていることも影響していることも影響しているかと思いますが、「音量」というよりは「音質」の差が大きい印象です。
自分の耳で聞く限りはType-SよりStudioのほうが断然静かに感じたのですが、スマートフォンの音量測定アプリで両者のタイピング音を測って比較してみると目立った違いはなかったのが不思議です。人の耳で気になりやすい音域が抑えられているか、反響が減って1打あたりの音の粒が小さくなったか……いずれにせよ、オフィスで使う上で気を遣わずにタイピングできるのはHHKB Studioでした。
ポインティングスティックやジェスチャーパッドの出来は?
続いて、「All-in-One」モデルとしてのHHKB Studio、つまりキー操作以外の新しい操作デバイスの部分を見ていきましょう。
まず、HHKB StudioのG・H・Bキーの間にはポインティングスティックが搭載されています。平たく言えばThinkPadのトラックポイントのようなものです。
これに関しては目新しいものではなくトラックポイントや他社の同種のデバイスでもよく見られる構造で、操作感も至って自然でした。“本家”ユーザーから見ても違和感はないどころか、薄型化のために年々キャップの背が低くなって自然な操作感が損なわれているThinkPadのトラックポイントよりも、旧世代に近い十分な高さのあるHHKB Studioのポインティングスティックのほうが軽い力でストレスなく操作できました。
ちなみに、HHKB Studioでは4mm角の旧規格のThinkPad用トラックポイントキャップを流用できるので、現行形状(ソフトドーム)以外のソフトリムやクラシックドームのキャップが好みだった方もお持ちであれば使えます。もっとも、PFUオリジナルの同心円状の突起がついたHHKB Studio純正キャップもなかなかよくできているので、まずはぜひそのままで。
少し残念なのは、本体下部に並ぶ3つのマウスキー。クリックなどの操作を担うものですが、操作音の大きさとキートップのぐらつきが気になります。文字入力用の通常キーでは非常にこだわられている部分なので落差が目につきますし、ポインティングスティック自体の出来も良いだけに惜しいと感じました。 ポインティングスティック付きのメカニカルキーボードは意外とオンリーワンではないのですが、「ARCHISS Quattro TKL」はクリックボタンが特殊でキャップの形状もイマイチ(凹凸がなくツルツル)、往年のThinkPadのキーボードを強く意識した作り込みが魅力のTEX Electronicsの各製品は日本での入手性は良くない……などと考えると、HHKB Studioが最有力候補かと思います。
そして、本体の両側面と手前側の左右、計4カ所にジェスチャーパッドが搭載されていることもHHKB Studioの特徴です。キーマップ変更と同じツールで各種操作を割り当てることができ、初期設定では、左側面が矢印キー(上下)、左手前が矢印キー(左右)、右手前がウィンドウ切り替え(Alt+Tab)、右側面がスクロール操作となっています。
直感的な操作で馴染みやすく、速度や感度も調整できるので好みにも合わせやすい便利なデバイスだと感じました。ポインティングスティックでの各種スライダーの操作はマウス派の人だと少し慣れが要るでしょうし、そこを直感的な操作方法で補えるという意味でも役立ちそうです。また、今回は英語配列のモデルを試用しましたが、HHKBの英語配列には伝統的にカーソルキーがありません。Fnキーを使った同時押しは手間ですし位置を覚えるまでは特にわずらわしく感じやすい点なので、その代替としてもジェスチャーパッドは有用でした。
ひとつ気になったのは燃費の悪さ。おそらくジェスチャーパッドが原因と思われますが、HHKB Professional HYBRID Type-Sは単3形アルカリ乾電池2本で約3カ月使えるのに対し、HHKB Studioは4本で同じく3カ月と、消費電力が倍増している点は無線運用なら気になるところです。
新しい別路線のHHKBとして評価したいが疑問は残る
テレワークやゲーミングなどの文脈で高級キーボードへの注目が近年高まっていること、自作キーボードのような新しい文化も育っていることなどを踏まえ、伝統的なHHKBのスタイルにとらわれない別路線を開拓して新たな需要を取り込んでいこうという流れは自然なように思います。
その成果として登場したHHKB Studioという製品自体も、キーボード部分の良質さに加え、さらに作業効率を高めてくれる操作デバイスの追加、そして従来機よりも若い世代のガジェット好きやデスク周りのおしゃれにこだわりたい人に刺さりそうな洗練されたデザインなど、十分に魅力的なものに仕上がっていますし、そこは「即完売」という結果にも示されているところでしょう。
一方で、製品のコンセプトやターゲットがあいまいではないか?という疑問も残りました。
「クリエイター向け」と言われていますが、筆者の感覚ではそういった方々はミニマルなオールインワンデバイスを求めるより、左手デバイスやStream Deckのような特殊デバイスを追加してでも自分にとって効率良く作業できる理想の環境を求める傾向にあるように思います。
別の見方では、「HHKBにポインティングスティックがついたらもっと便利だよね」という発想は従来路線のミニマルで効率的な入力機器の延長線上でもあり、特にヘビーユーザーのエピソードとしてはしばしば聞かれる「ノートPCのキーボードの上にHHKBを乗せて外でも使う」といった気合いの入った使い方に応えているようにも見えるのですが、その割には本体重量840g(電池を除く)と従来機から約300gも重くなっています。
「ProfessionalとStudioは別」というのであれば、既存のHHKBユーザーの要望にStudioで応えては混乱を招きますし、新規ユーザーにとっては良くも悪くもクセの強いHHKBのフォーマットを律儀に守っていることはあまりプラスではないはずです。あくまでHHKBの一員としたことが枷になっている、どちらを向いているのかわかりにくい製品になってしまっているのかなという感想を持ちました。
静電容量無接点方式ではないこと、本来目指したミニマルさと相反する重量級のキーボードになってしまったことなど、HHKB Studioの“欠点”として挙げられる要素の多くは“HHKBとして”見なければ必ずしもマイナスな要素ではありません。
これがHHKBファミリーの一員だということを一旦忘れて評価するなら「重厚で上質な打鍵感を持ち、静音性もカスタマイズ性も高く、ポインティングスティックやジェスチャーパッドを搭載し、海外のデザインスタジオによる洗練されたルックスまで兼ね備えた高級メカニカルキーボード」ということになります。そう考えると人気の理由は頷けますし、HHKBに馴染みがなかった人ほど素直に評価しやすい製品かもしれませんね。