Steven Sinofskyの退社は、国内外のIT系メディアだけでなく報道系メディアも大きく扱っている。いくら大企業の一つに数えられるMicrosoftの役員が退社しても、ここまで大きく報じられることはないはずだ。今回多くのメディアが話題として取り上げているのは、Sinofsky氏がWindows部門の最高責任者だったからである。同社の屋台骨であるWindows OSだが、最新のWindows 8はタブレット型コンピューターへ大きく舵を切り、一般的なパーソナルコンピューターを使ってきたユーザーの多くは戸惑いを隠せないだろう。Sinofsky氏の退社理由を推測し、同社の方向性をレポートとしてお送りする。

なぜSinofsky氏は退社したのか

図01 Windows部門の責任者で、今回Microsoftを退社することになったSteven Sinofsky氏

本誌でも報じられているように、Windows OSに関する最高責任者だったSteven Sinofsky(スティーブン・シノフスキー)氏がMicrosoftを退職することになった。1989年にMicrosoftへ入社した同氏は、1994年からOfficeチームに加わり、Microsoft Office 95の設計を主導。その後もOfficeチームを先導し、同氏の意見の元にリボンUI(ユーザーインターフェース)をMicrosoft Office 2007に導入している(図01)。

2009年7月からはWindows担当社長に就任し、Windows Live WAVE 3やInternet Explorer 8を担当。そしてWindows Vista以降のWindows OSを担当し、Windows 8のUIが大きく変更したのも、Sinofsky氏の意見を大きく反映しているのは周知のとおりである。海外はもちろん国内にも大きな波紋を広げている同氏の退社だが、この結果が現行版であるWindows 8はもちろん時期Windows OSに与える影響は大きい。

では、なぜSinofsky氏はMicrosoftを退社したのだろうか。その理由を推測してみよう。海外企業では大規模なプロジェクトが終了した時点で自身をリフレッシュするために休暇を取る人が少なくないが、Sinofsky氏はMicrosoftに入社して約二十三年。そのようなスタイルで勤めるタイプではない。役員同士の摩擦のようなものも推測されるかもしれない。人が集まれば派閥が生まれ、社内政治につながるのはIT企業に限った話ではない。海外の一部報道によると、トップであるSteve Ballmer(スティーブ・バルマー)氏との関係が良くなかったのではないか、という噂話も聞こえてくる。

中でも米国のIT系ニュースサイトである「AllThingsD.com」の記事では、「各部門同氏の連携強化に伴い、次期Windows OSの開発に他部門のチームを合流させようとBallmer氏が計画。それをBill Gates(ビル・ゲイツ)氏が後押しし、その変更を厭(いと)うSinofsky氏が退社に至った」と報道している。ただし、ここにはSinofsky氏の声が含まれていない。これからのMicrosoftが変わらなければならないのは自身が一番知っているはずだからこそ、長年同社に携わっていた同氏の行動としては訝(いぶか)しんでしまう。

もう一つの理由として推測されているのは、Windows 8の売れ行きだ。発売から一カ月もたっていない現時点で評価を下すべきではないが、Windows 8 Proを搭載するMicrosoft Surfaceは2013年リリース予定と、後手に回る印象を受ける部分もある。

首をかしげてしまう場面といえば、「Metro」呼称問題からもMicrosoft内部の混乱が漏れ聞こえてくる。開発当初は同呼称を用いていたが、何らかの理由で使用を取りやめた後は「Modern」や「Microsoft Design Style」「Windows 8 Store Style」とさまざまな呼称を用いてきた。執筆時点でも呼称に関する説明はなされておらず、Windows 8に関する書籍に携わった方の多くは最後まで悩まされた部分でもある。長年Windows OSを見てきた筆者だが、このように右往左往する同社は初めてだ。

ご存じのとおり、Windows 8は新しいスタート画面を筆頭に、これまでとは異なる使用スタイルをユーザーに求めている。このことに賛否両論はあるが、今後登場するであろう次期Windows OSの方針について何らかの摩擦が生まれのは確かだろう。Sinofsky氏の退社にまつわる一連の報道は、Appleを退社した前iOS担当上級副社長であるScott Forstall(スコット・フォーストール)氏を連想してしまう。Forstall氏はiOS6の「地図」アプリが未完成であることが起因で退社したとささやかれているが、Sinofsky氏とWindows 8を取り巻く状況が退社の遠因になっているのではないだろうか。

今後のWindows OSはどこへ向かうのか

図02 新たにWindows部門の開発担当責任者となったJulie Larson-Green氏

興味深いのは、次のWindows開発責任者がWindows開発担当上級副社長のJon DeVaan(ジョン・デバーン)氏ではない点だ。同氏は1984年に入社し、Excel 1.0の開発にも携わっている古株である。Windows VistaではコアOS部門を先導し、Windows 7でも「Engineering Windows 7」に多くの記事を残してきたことから、同氏の名前を聞いたことのある方は少なくないだろう。

だが、実際に責任者の席に着いたのは、Windows開発およびハードウェア担当となるJulie Larson-Green(ジュリー・ラーソングリーン)氏。同氏は1993年に入社し、Internet ExplorerやMicrosoft OfficeのUX(User Experience:ユーザーエクスペリエンス)を担当し、Windows 7およびWindows 8においてはプログラムマネージメント、UIデザインおよび研究の責任者を務めたという(図02)。

ここで筆者の愚見を述べさせていただきたい。あらためて述べるまでもなく、Microsoftはソフトウェアを中心とした企業である。「Windows OS」と「Office」を主力製品として成長してきた同社だが、Sinofsky氏の退社は多くのユーザーが感じているように、デスクトップコンピューターの終焉とポストPCを模索する時期に突入したことを示しているのではないだろうか。

図03 同部門でSurfaceや他社製デバイスのビジネスマーケティング担当責任者となったTami Reller氏

そもそもMicrosoft Surfaceという自社製タブレット型コンピューターの発売は、これまでのビジネススタイルと決別し、主力製品であったWindows部門のトップが、開発チーム出身のLarson-Green氏だけでなく、ビジネス部門としてTami Reller(タミ・レラー)氏を指名。同氏はこれまで財務やマーケティングの責任者を務めてきたが、新たなMicrosoft Surfaceやパートナー企業製品を対象にしたWindowsデバイスのビジネスマーケティング戦略を担当する。このように、"Windows至上主義"から軸を変更しつつあるのだ(図03)。

タブレット型コンピューターの台頭により、ユーザーの使用スタイルも変化し、プライベートシーンやビジネスの現場で、必ずしもデスクトップ型コンピューターが必須と言えなくなってきた現状を踏まえると、"より優れたWindows OS"よりも、デバイスとセットで普及する"普遍的なWindows OS"を目差す可能性はゼロではない。

Larson-Green氏によって現在のWindows 8がどのような扱いとなるのか。既に時期Windows OSの開発コード名ではないかと噂されている「Blue」に、どのような影響を与えるのか。Reller氏の手腕がMicrosoft Surfaceの普及に影響を与えるのか。疑問は尽きないが、いずれもふたを開けてみなければわからない。

2010年には"Lotus Notesの父"と呼ばれ、Gates氏からCSA(Chief Software Architect:主席ソフトウェア設計者)を引き継いだRay Ozzie(レイ・オジー)氏が退社し、その席は空のままである。Ozzie氏やSinofsky氏の退社でMicrosoftという巨木が倒れることはない。だが、深く張った根が乾きつつあるのでは、と不安を感じるのは筆者の考えすぎだろうか。

阿久津良和(Cactus