島根県・宍道湖の北東部に雄々しくそびえる松江城。大きく張り出した入母屋屋根と漆黒の板壁による質実剛健な天守閣がなんとも印象的だ。この松江城天守閣が2015年7月8日に国宝に指定された。天守閣が国宝に指定されるのは、実に63年ぶりのこと。姫路城、松本城、彦根城、犬山城に次ぐ、5番目の国宝天守閣ということになる。指定から半年、何か変化はあったのだろうか?

もともと国宝だった松江城に降りかかった不運

漆黒の板壁が重厚な松江城天守閣

そもそも松江城は、1935年(昭和10年)に国宝保存法に基づき「国宝」に指定された。だが、1949年(昭和24年)に発生した法隆寺金堂の焼失により、文化財保護法が制定。これにともない国宝保存法は廃止され、それまで国宝と称されていた文化財は、すべて一律「重要文化財」とされる。そして1950年(昭和25年)、この重要文化財の中から“きわめて価値の高いもの”が抽出され、再度、国宝に指定された。そのため、混同を避けるため1950年以前のものを“旧国宝”、それ以降のものを“新国宝”と呼ぶ場合がある。

松江城にとって不運だったのは、新たに国宝を選定する1950年当時、天守閣が解体修理を受けていたこと。バラバラの部材になった状態で国宝指定を受けることは考えにくい。また、解体修理は1955年(昭和30年)に完了するものの、国宝指定を受けるのに壁が立ちはだかる。同じ複合型天守として、すでに彦根城が国宝指定を受けていたからだ。

文化庁の上野勝久氏によると、天守は「独立式」「複合式」「連結式」「連立式」の4類型に分類されるという。当時、独立式の国宝天守として犬山城、複合式の国宝天守として彦根城、連結式の国宝天守として松本城、連立式の国宝天守として姫路城がそれぞれ指定されていた。「4つの類型でそれぞれ国宝天守が決まっていたので、解体修理が完了しても、松江城は国宝指定にいたらなかったのではないか」と上野氏はみる。

だがここ数年、文化庁は国宝や重要文化財指定の答申を加速させている。「学術研究が進み、新たな知見が発見されたものは審議会で諮られ、文化財指定を受けることがある」(上野氏)という。

松江城にとって“新たな知見”とは、天守閣築城を祝う祈祷札が発見されたこと。この札により松江城天守閣の落成時期が慶長16年(1611年)ごろと特定され、国宝指定に大きく舵を切った。

国宝指定を祝う幟。街中にも数多くの旗などが祝っていた

天守最上層から宍道湖をのぞむ

松浦正敬松江市長は「松江開府400年を迎え、市史編纂のための史料集めの際に、偶然に祈祷札が見つかった。国宝指定後も松江城の研究調査を進めていく」とした。ちなみに松浦市長は、松江城の国宝化運動を公約のひとつに掲げていた。それだけに今回の国宝指定は、市長にとって、いや市民の方々にとっても、感慨ひとしおだろう。