第1章 Windows 8への道 - Windows 1.0からWindows 8まで その3

引き続きWindows 98の話を続ける。1999年には、Internet Explorer 5.0を標準搭載や、DVD-ROMドライブやUSB 1.1、IEEE1394など各種デバイスのサポート、インターネット接続共有機能を有したWindows 98SE(Second Edition)を発売。本来はService Packの適用で済む話だが、この頃のService Packはバグフィックスが基本であり、機能拡張を行うべきではない、という考えが同社の中にあった。このことも関係し、Windows 98SEを用意したのだろう(図009)。

図009 Windows 98SE(Second Edition)。IEEE1394のサポートなど機能拡張が行われている

なお、Windows 98の発売本数は全世界で2,500万本、日本語版は累計335万本。Windows 98と同じく秋葉原で深夜販売が実施されたことを記憶する方も少なくないだろう。当時筆者も取材で訪れていたが、深夜と思えないほど街はお祭騒ぎ。翌日の新聞やテレビニュースにも賑わい具合が報じられていた。「ようやくコンピューターが市民権を得たんだ」と実感した出来事である。

そして2000年に登場したのが、多くの話題を集めたWindows Meだ。当初Georgia(ジョージア)という名で開発が進められていたOSだが、市場的理由で西暦を1,000年単位で区切ったMillennium(ミレニアム)という名称を採用。二十一世紀を目前にした当時は、このWindows Millenniumとは異なるOSもリリースするという噂が飛び交ったが、フタを開けると前述の名称が用いられていた。

図010はWindows Millenniumのデスクトップだが、この画面から当時の名残を確認できるだろう。整合性を取るためか、正式名称はWindows Millennium Editionである。しかし、市場的なことを踏まえMe(ミーもしくはエムイー)と呼ぶのが一般的だった(図010~011)。

図010 Windows Meのベータ版。開発コード名は「Georgia」だった

図011 Windows Me。デスクトップデザインは後のWindows 2000と同じだ

当時のMicrosoftは、コンシューマー向けOSであるWindows 9x系と、ビジネス向けOSであるWindows NT系の融合を計画していた。あらためて述べるまでもなく、似た商品ながらも異なるリソースが必要となる複数の開発プロジェクトを平行させる意味がないからである。しかし、同年にリリースしたWindows 2000はコンピューター初心者にはハードルが高いと判断され、急きょWindows Meがリリースされたのだ。読者方々もご存じのとおりMeの結果は散々。Windows 9xに精通していたユーザーはWindows 98SEを選択し、より高度なOSを求めていたユーザーはWindows 2000を選択していた。

Windows Meは同社開発チームや販売チームの混乱の末に生まれたOSだけに、機能的な問題も孕んでいたのは、あまり知られていない。特にGUIはWindows 2000と同じロジックを用いるテーマ機能を採用しているが、Windows 9x系の弱点だったリソース不足を引き起こす一因となり、OS全体のパフォーマンスが低下するという問題があった。突貫工事的に作られたOSだけに、"外見をキレイに彩ったものの中身は古いアパートのまま"という比喩が似合う不名誉なOSになってしまったのだ。

このように失敗作の烙印を押されたWindows Meだが、動画編集を行うムービーメーカーや、標準メディアプレーヤーの最新版となるWindows Media Player 7、Internet Explorer 5.5を標準搭載。機能的にもネットワーク設定を簡易化するホームネットワークウィザードや、スキャナーなどのイメージングデバイスを自動認識するWIA(Windows Image Acquisition)を実装し、OSとしての機能は比較的高かった。また、Windows Meはブートロジックを改良し、MS-DOSを経由せずに起動することが可能になっている。内部的なバイパス処理はWindows 3.1の時代で実現できていたが、直接起動可能にしたのは同OSが初めてだ。

だが、このWindows Meを最後に16ビット版Windows OSは終焉を迎え、時代はWindows NT系が中心となるのである。