第1章 Windows 8への道 - Windows 1.0からWindows 8まで その2
そして1995年には、多くのユーザーが知るWindows 95をリリースした。前バージョンとなるWindows 3.1でパーソナルコンピューター市場は十分暖められ、爆発的ヒットとなったのは過去の報道を見ても明らかだ。ここで話は前後するが、MicrosoftはWindows 3.1をリリースした翌年から、企業向けOSであるWindows NTをリリースしている。その一方、次世代OSとして開発が進められていたのがCairo(カイロ:開発コード名)だ。詳しくは後述するが、その中継ぎOSとして生まれたのがChicago(シカゴ:開発コード名)。このChicagoが後のWindows 95となる(図006)。
Windows 95の開発は着々と進められ、1994年には一部ユーザーを対象にしたベータテストも行われた。このベータ1ではGUIも一新され、現在のようにユーザーがデスクトップにオブジェクトをおけるようになったのも、この頃から。内部的にはWindows 3.1のコードが各所に残っており、Windows 9x系におけるバグとして残ってしまうミスも発生したが、過去のWindows OSと比較すると大きな一歩だった(図007)。
Windows 3.1時代から一部でサポートされたいたVFATをベースにしたロングファイルネームや、Plug&Play機能を実装したのもWindows 95からである。画期的かつデファクトスタンダードOSとして十分な機能を持つ同OSだったが、唯一の欠点はインターネットへのアプローチが遅れた点だ。当時のMicrosoftは1990年代の情報インフラとして普及していた"パソコン通信"を選択し、世界中にアクセスポイントを用意したMSN(The Microsoft Network)というサービスを開始した。
現在のWindows OSでも採用されているWindows Updateも、MSN経由でサポートする旨の説明が行われたが、当時は既にインターネットの黎明期に差し掛かっており、半年もせずに方向転換を発表。インターネットに注力するようになったものの、Windows 95のアドオンパッケージだったPlus! for Windows 95のコンポーネントであるInternet Explorerではなく、Netscape(ネットスケープ)を使うユーザーが大半だった。
爆発的成功を収めつつも、安定性に難のあったWindows 95をベースに改良したのが、1998年に登場したWindows 98である。当時の開発コード名はMemphis(メンフィス)。当初は1997年にリリースが予定されていたが、その開発は諸事情により遅延し、最終的に1998年6月25日にリリースされた(日本語版は同年7月25日)。Windows 95 OSR2から実装されたFAT32のサポートや、USBデバイスのサポート強化、前年に登場したInternet Explorer 4.0と統合することで実現したアクティブデスクトップなど、安定性と野心的な取り組みが行われている(図008)。
内部的な改良も幅広く施されており、WDM(Windows Driver Model)やACPI(Advanced Configuration and Power Interface)、OnNow(オンナウ)が実装されたのもWindows 98からだ。例えばWDMは、Windows 95まで使用されていたVxDとWindows NTドライバーモデルを改良し、OSの安定性を計ったデバイスドライバーのフレームワークである。しかし、WDMは同社自身も認めている欠点が残されており、改善には後述するWindows Vistaの時代を待たなければならなかった。
ACPIはIntelやMicrosoft、東芝などが共同で作り上げた電源制御規格で、1997年に制定されたものだ。それまでのコンピューターではAPM(Advanced Power Management)を使用し、省電力機能として未完成な部分が多かったのも事実である。このACPIをサポートすることにより、現在では普遍的に使用されるスタンバイ機能などを実現した。
最後のOnNowは、Microsoftが提唱した機能の一つ。コンピューターの電源投入直後から使用可能になるまでの時間を短縮するという、今でもよく耳にする機能だが、ACPIの仕様確定が遅延したことと、OnNow自体の定義も曖昧だったため、現在では同単語を耳にすることはなくなった。もっとも「より高速に起動する」という試みは形を変えて各Windows OSにも組み込まれるようになり、後述するWindows 8の高速スタートアップもコンセプト的には同等と言えるだろう。
外部的な変更点として取り上げるべきは、Active Desktop(アクティブデスクトップ)である。インターネットへのアプローチに遅れたMicrosoftは、Shellであるエクスプローラーが管理するデスクトップとWeb機能を統合することで、インターネットへのシームレスなアクセスと、自動的な情報取得を実現した。操作性の幅を大きく広げると同時に、ローカルとネットワークの境目を打ち消した最初の一歩であると評価できる。
しかし、思想が先行しすぎたのか、設計の曖昧さに問題があったのか断言できないが、Active DesktopはWindows 98のパフォーマンスを著しく低下させる要因となり、多くのユーザーから敬遠されてしまった。コンピューターのハードウェアスペックだけでなく、インターネットの接続形式としてダイヤルアップ接続を用いるユーザーが多かったことも普及しなかった遠因だったのだろう。