【連載】

嫁は萌えているか?――いつか誰かに聞いた結婚の話

7 信じる者が救われても、信じた者を信じられなかった女

 

7/12

学生時代につきあっていた恋人は、とある宗教の熱心な信者だった。知り合った当初は知らずにいた。理数系科目に弱い私が何か非科学的なことを言ったり、無機物を擬人化してかわいがったりするたびにケタケタ笑うので、「私よりも格段に科学的な物の考え方をする人」だと思い込んでいた。

酒の席で政治と宗教の話はタブーだ、とよく言われるが、私の学友たちは、そんなタブーを好んで酒の肴にした。長くカトリック校に通っていた私、寺を継げと言われて進路に悩む住職の息子、趣味で巫女のバイトをしている同輩、外国語学習に熱中するあまり彼の地の神話世界を研究テーマに選んだ後輩、集まるといろいろな話をした。神を信じるか、死後の世界はあるか、宗教戦争はなくせるか、政教分離は可能か、オウム真理教事件はなぜ起きたか、カルトとは何か、終末期医療に宗教はどう関われるか。

恋人はそんなとき、人を救うはずの宗教が人を殺めることなど絶対にあってはならない、と熱く語っていた……気がする。よく見れば、自室にも愛車のバックミラーにも聖なる御札が貼ってあったし、書棚にもそれらしき書籍が並んでいた。そもそもはご両親が長年の敬虔な信者で、大きな祭礼の準備期間などは多忙を極めると聞いた記憶もある。言葉を濁すのは、耳馴染みのないその宗教法人が何という名称だったか、すっかり忘れてしまったからだ。もう十数年会っていない。

僕の宗教へようこそ

その新興宗教法人は、開祖の血縁者が世襲する仕組みで、彼ら教祖の血統は「現人神」に相当するらしい。恋人は、今までの人生で味わった幸福や成功体験はすべて、この神様の「ご加護」だと信じていた。大学受験に合格したのも、大怪我を負うはずの事故に遭って軽症で済んだのも、金銭トラブルを未然に防げたのも、親戚の難病が完治したのも、当事者の力ではなく、捧げた祈りが神様に届いたからである、と。釈迦が母親の右腋から生まれたことも、ルルドの泉が万病に効くことも鼻で笑うのに、その「奇跡」だけは信じて疑っていなかった。

いや、待ってよ、初耳だよ、私もたまには神頼みするし、初詣も墓参りも行くし、不可視の存在に心を慰められることだって人並みにはあるけど、骨折した脚が早く治ったのは腕のいい外科医のおかげで、志望大学に受かったのは勉強の成果でしょ? そのなんとかいう教祖のオッサン、ただの人間じゃん、なんで祈祷してもらっただけで折れた脚の骨がくっつくのよ、そのためにあなたの家族は、いったい幾らお布施を積んだのよ?

「この世には人智の及ばない不思議な現象がたくさんある。科学的探究心と信仰は両立可能なんだよ」と彼は笑った。「無理して信じなくていいんだ。僕だけの話だよ」と話を終え、以後、教典の講読や祭事への出席を無理強いされたこともない。親しい仲間内でも彼の信仰を知る者は皆無だった。宗教と政治の話で盛り上がる酒の席で、彼がそれを口にすることは一度もなかった。ずっと後になって恋人の私にだけ、大切な秘密のようにそっと打ち明けたのだ。

隠すつもりはなかったのだろうが、言わずにいたら隠したも同じだ。本当に信じているなら、コソコソしないで誰の前でも熱く語ればいいのに、と思った。できれば触れずにおきたいのか。秘密にしたほうが穏便に信仰生活を送れるのか。信じて疑わない神様の教義を、多角的な議論の標的にされるのが、嫌だったのか。

信心深い人間の例に漏れず、家庭的な男だった。「子供は何人欲しい?」「実家の土地には二世帯住宅を建てられる」「早く家族に紹介したい」……おいおい、いいのかよ、こちとら偉大なる教祖様の骨接ぎパワーを信じようともしない女だぜ? と怯んだが、「そんなことは僕にとって、大した問題じゃない」と、最初から最後までそう考えていた様子だった。おおらかで大変結構だ。でも私にとってそれは大した問題で、話は全然、終わっていない。

This isn't the girl for you, oy, oy, oy!!

この社会には信教の自由がある。何を信仰するか、しないか、私だってそんなことは気にしない。宗教法人のことはもう名称も忘れた、ずっと憶えているのは、彼自身の問題だ。一つの角度からしか物事を見ようとしない、そのように育てられてそのようにしか生きられない人とは、友達づきあいはできても、人生を共にすることはできない。一方的に話を切り上げて、他の意見に理解を示すフリをして対話を拒む人とは。決着をつけるべき問題と、曖昧なままでよい問題、その判断基準が自分と異なる人とは。

こんなに大事なことに無頓着でいられる男は、将来、私が大事にする他のことも、もっと無頓着に、もっと無神経に、平然と軽んじるだろう。心のどの部位を土足で踏みにじっているかも気づかずに、それを考えようともせずに、「夕飯は何を食べる?」「子供は何人欲しい?」なんて些細なことだけ、甘い声で尋ねてくるのだろう。君と僕とは独立した個人だよ、君には自由と権利があるよ、僕はいつでも君の意見を尊重するよ、という顔をして。それで何か言うと、耳を塞ぐのだ。

特定の宗教を信仰しているわけではないが、私の心にも私自身が築いた、大切な聖域がある。私はその聖域をもって他者と対峙する。私がどうでもよくないと思っていることを、どうでもいいと思っている男とは、結婚してはダメだ。私が質問する前に開示してほしいことを、訊かれるまで答えずにいる男とは、結婚してはダメだ。ちょうど二十歳の頃だったか、こう肝に銘じて、ひとつ恋愛を終えた。

今はただ遠い場所から、彼の幸福が続くことを願う。同じ宗教に属する敬虔な信者同士で結婚していればよいなと思う。幹部のご両親と二世帯住宅を建て、好きな数だけ子供を作り、家族思いで信心深く、異教徒の友人も多くて鈍感力の高い、何にでも「大した問題じゃないさ」と笑う、おおらかな花婿。信者の女性にとっては理想的だろう。どうか幸福でありますように。教祖様のご加護がありますように。

厳格な父親が同じ宗派の男としか結婚を認めてくれないとか、ご両家の初顔合わせでいきなり改宗を迫られたとか、パートナーが棄教したことで親戚づきあいが断絶して育児が大変だとか。無宗教な暮らしを送る不信心者が大多数のはずのこの国でも、愛と平和を唱える宗教がネックとなって、「愛だけじゃ、乗り切れないよねー」と溜息をつく人々が、少なくない。問題は、信仰じゃなくて「人」だよね、と私は応える。

神はコスプレ衣装にも宿る

先日、女子校の同窓会があった。小規模な会合で、メンバーは文化系の部活に所属していたオタクばかり。新婚の私は口々に祝福された。「次はおまえだな!」と肩を叩かれる女子がいて、聞けば、最近つきあいはじめた彼氏と、さっそく結婚秒読み段階だという。しかしずいぶん浮かない顔だ。

「今すぐ同居はできないよ。一緒に住みはじめちゃうと、いろいろ隠すのが大変になるでしょう? 困ったな、いま仕事も忙しくてさ、脱ヲタ断捨離とか隠蔽工作とか、してるヒマないんだよねー」

何事かと思えば、腐女子で乙女ゲーマーで絵師でコスプレイヤーでサイト運営者でもある彼女、なんと、歴代の彼氏にも、現役の夫候補にも、自分がオタクであることを一度も打ち明けたことがないという。私は知り合って二十年以上、彼女がオタク的言動を隠した姿など見たことがない。職場と恋人の前でだけ、完璧に「擬態」しているのだそうだ。開いた口が塞がらない。

「内緒でもう一つマンション借りて、オタク関連のものは全部そっちに隠しておく二重生活が、現実的かな。あー、結婚ってめんどくさいねー」とのたまう彼女に、新婚風を吹かせた私が説教したのは言うまでもない。今すぐ彼氏にカミングアウトするべきだ。オタクでいる時間が何より好きで、どうでもよくない大事なことだと思っているのなら、人生を共に歩む相手には、そう表明すべきである。言わずにいたら、隠したも同じ。そんでもってトランクルームが断然おすすめ。云々。

「大事なことは、隠さず先に言え」……別れてしまった元恋人と、結婚秒読みの同窓生に、この言葉を贈りたい。いつかバレるまでのらりくらりとかわせばいい、地雷を踏んで宗教戦争が勃発する前に話を切り上げてしまえばいい、そんな態度で結婚しても何もいいことはない。隠れて逃げ回りながら、狂信的に「聖域」をガードしたところで、他者との溝は深まるばかり、和平は望むべくもない。諦めずに、多角的に対話を重ねれば、歩み寄りの糸口はきっと見つかるはずなのだ。私はそう「信じている」。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海

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インデックス

連載目次
第12回 いつか誰かに聞いた結婚の話を、別の誰かに話す今
第11回 したいことができるように、できることをする女
第10回 不躾なモテない質問、美しく燃える銛の女
第9回 違いがわかる男、上質を知る人、見て見ぬフリをする我々
第8回 その財布を開くのは私、あの金を払うのはあなた
第7回 信じる者が救われても、信じた者を信じられなかった女
第6回 君のいないところにいて歌う僕
第5回 愛妻家の君と恐妻家の僕
第4回 教えられた事と知りたい事がいつでも少しズレてる女
第3回 めずらしきとつくにに心おどる女
第2回 個人事業主にヘッドハンティングされた女
第1回 ためいきの数だけブーケを束ねた女

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