あの日の頃のわれを思えば

「岡田さんは日本にいるより海外のほうがモテそうだから、婚活がてらパリにでも行ってくればいいんじゃない?」

独身時代、赤の他人からあちこちでそんなふうに言われて辟易していた。日本語圏外で学び働くことを我がこととして検討したことのない、ホモジニアスな集団内部で似たような異性にのっぺりとモテまくっている、結婚が人生のゴールであると信じているような、そのくせテレビ番組のフランス語会話を毎週楽しみに視聴しているような、赤の他人たちからである。

「オトコなんて星の数よ、6000万人くらいはいるんだからさー!」

別の人から、そう笑い飛ばされたこともある。国内人口を諳んじて2で割る暗算はできるのに、地球上に人類のオスがどれだけ生息しているか知らないんだろうか、と気になって気になって、お追従で笑うこともできなかった。

日本人の感覚は不思議なものだ。アメリカもエジプトもベネズエラもバチカン市国も、まず一律に「海の外」と括られてから次に「異国」と認識される。もし国土が四方を海に囲まれた形状でなければ、あるいは単なる海禁政策を超えて文化的鎖国を実践した過去がなければ、現代日本人にはまったく別の精神性が培われていたかもしれない。

といって歴史は書き替わらないし、誰に教わったわけでもないのに日常会話にのぼる「国内」の対義語は「海外」、一方で、手前の1億3000万人を飛ばしてその先の70億人超をいきなり想像する意味で使われる「国際感覚」なる概念は、いくら教わろうともなかなか身につかない。それは私もそうなのだ。

外国へ生活拠点を移していった日本人たちが、最初はただ「ここではないどこか」を求めていた、それだけだった、と話すのを聞くと安心する。ここでなければどこへでも。そう願う気持ちは、日本を離れたことのない私にさえ、前進する力を与えてくれる。その勢いのまま飛び出して、漕ぎ着いた先が次なるホームであり、斃れたところがゴールである、という考え方は、机上の「国際感覚」よりよっぽど理解しやすい。

そうしてぐるりと思いを巡らせて初めて、「そんなに生きづらいなら、どっか『外』でも行けば? 『内』で探してなかったものが、『外』で見つかるかもしれないよ?」という赤の他人の暢気で無責任なアドバイスに、少しだけ耳を傾けることもできるようになってくる。

ゆきこう人もいと楽しげに

「私は将来、外国人と結婚したい」と夢を語る幼馴染がいた。ヨーロッパ貴族と恋に落ちて大聖堂に馬車で乗りつけるハデ婚をして、金髪碧眼の子をもうけてウィーン少年合唱団とスイスの寄宿学校へ預ける、といった構想だ。ツッコミどころ満載だが、昭和末期の女児が考える「白馬に乗った王子様」像のある種の典型だった。平成生まれのそれはドバイの石油王かもしれない。ともあれ、オトコの総数が6000万人ぽっちでないことは、小さな子供でも知っている。

結婚相手の条件を「東大卒なら誰でもいい」「年収一千万以下ではダメだ」と挙げる人がいるように、「外国人なら誰でもいい」「日本人ではダメだ」とする人もいる。「秋刀魚は目黒に限る」の殿様と同じようなもので、何か私にはわからない、けれど彼らにとって大切な意味が、そこにあるのだと思う。

そこまでの強固な信念がなくとも、たまたま外国人と恋仲になり、「国籍なんて気にしないわ」と言う人たちもいた。残念ながら私は、そう宣言したカップルが末永く続いた例を知らない。日本人の多くは、誰かと「同じ」ことにも「違う」ことにも無頓着である。パスポートの発行元、母語、宗教、政治観。喧嘩をしたとき最後の一言のニュアンスが届かない。ゆかりのない旅先で、ふと垣間見た相手の偏見にぎょっとする。共白髪を目指すなら、そんなわだかまりは少なければ少ないほどいい。どんな些細なことでもいちいち頓着して、全部潰しておかねばならない。

私の知る限り、末永く続いている多国籍カップルは、互いの「同じ」と「違い」を非常に気にしている。人生の伴侶を選ぶ際には「おまえが気にしているもの、俺はちっとも気にしないぜ」では済まされないことも多いのだろう。使用する言語が何であれ、つねに対話を重ねている印象がある。昔、ある女性が日本人の夫について語っていたことが忘れられない。

「私は日本語がわからないので、彼が日本語で表現した作品、仕事として書いている文章を読むことはできない。それでも私は彼の作品を尊重する。どれも書き上がるまでの過程を、白紙の状態からすべて見てきた。漢字は読めないが、何が書かれているのかは知っている。長い制作期間、彼が私に語ってくれたテーマやモチーフのすべてが、そこに書き尽くされていると信じている」

こう言われてみると、たまたま漢字仮名交じり文が読める、というだけの私たち読者が、彼女ほど彼の作品内容について理解できているのかは疑問である。「でも、やっぱりいつかは直に読めるようになりたい」と日本語を学ぶ彼女と変わらぬ努力を、同じ国に生まれ、同じ文化に育ち、同じ言葉を話すパートナーにだって、費やすべきなのだ。

国際結婚はいろいろ問題が生じて難しい、と言われるけれど、同国人との結婚だって、等しく難しい。ひょっとすると「同じ」の影に隠れて見えづらい問題を一つ一つ掘り返して叩いて潰すほうが、骨の折れる作業かもしれない。学歴や年収や所属や出身地で異性を篩にかける行為を責めるのは簡単だが、では「結婚するならゼッタイ同じ日本人がいい。だってガイジンは言葉の壁があるでしょ?」と決めつけてかかる人が、彼らの選考基準について何を言えるだろう。同じ国に生まれ同じ言語を使用しているにもかかわらず「言葉が通じない」、そんな異性なら私も山ほど知っている。

ちなみに件の幼馴染は、大学のサークルで知り合った男性から熱烈なプロポーズを受け、卒業と同時に盛大に挙式して、子供を産んで海外で生活している。夫はヨーロッパ貴族ではなく堅い勤めの日本人エリートだけれども、かつて彼女が夢想していた「白馬の王子様」像、そこに仮託していた「理想の結婚」像は、だいたい80%くらい達成されているんじゃないかと、幸福そうな姿を見て思う。「全然違う男と結婚しちゃったわー」と嘆く彼女の人生を、残りの20%が不幸にしているとも思えない。ウィーン少年合唱団には入団不可能でも、生まれた娘は天使のように愛らしい。

うるわしき思い出や

独身時代、東京在住のリア充から「パリ行けば?」系アドバイスを投げつけられるたび、神経を逆撫でされていた。モテたいだけなら猟場を変えろというのは一理ある。実行に移して成功した知人もいる。それでも反発したい気持ちが強かった。「私だってあなたたちと『同じ』ように結婚したいんだ!」とアピールするたびに、なぜか私だけが「おまえは別のルールで執り行われる『違う』競技に参加しろ」と拒絶されているような気分だった。

そして実際に自分が結婚してみて、まさにその通りだったことを知る。同じ国に生まれ、同じ街に育ち、同じ学校を出て、同じ職場に勤め、たとえ同じ人を好きになったとしても、いつかは『同じ』のベルトコンベアーを降りて、それぞれの道を切り拓いていく時が来る。そこから先が本番であると、赤の他人たちは教えてくれたのだろう。または、単に私の非モテ自慢話がウザくて打ち切りたかっただけだろうが。

まさか自分がこんな男と結婚するとはね……、と驚きながら、今は気になることを一つ一つ掘り返して叩いて潰し合っている最中だが、その相手が同じ東京出身者でも、沖縄人でも、パリジャンでも、火星人でも、おおむね65%くらい達成できれば上々なんじゃないか、と思っている。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海