相模鉄道は関東の大手私鉄だ。横浜~海老名間を結ぶ本線と、途中の二俣川駅から湘南台駅までのいずみ野線を運行する。現在は西谷駅から羽沢新駅経由で新横浜駅までの路線を建設中で、完成すればJR東日本や東急電鉄と直通運転を行う予定だ。鉄道ファンだけでなく、不動産業界や東京へ通勤する人々からも、相模鉄道とその沿線が注目されている。

現在のJR相模線と相模鉄道本線の略図。神中鉄道は厚木駅から始まったが、現在の相鉄本線は途中から分岐して小田急線海老名駅に到達した。厚木駅への線路は回送線として残る

一方、JR東日本の相模線は東海道本線茅ケ崎駅と横浜線橋本駅を結ぶ路線だ。途中に海老名駅がある。しかし相鉄本線・小田急線の海老名駅とは250mほど離れている。橋本駅はリニア中央新幹線の駅ができるため、相模線沿線も注目だ。

相模鉄道とJR相模線は、東海道本線から海老名までを結ぶという意味ではライバルかもしれないけれど、平行ではなく八の字状だから競合していないと思われる。それにしても、相模鉄道とJR相模線は名前が紛らわしい。JR東日本が相模線を「湘南橋本ライン」などと称してイメージアップをしても良さそうだ。

路線名よりややこしい話は相模線の歴史だ。じつは、相模線を建設した会社は現在の相模鉄道である。しかも、相模鉄道は相鉄本線と相模線の両方を運営していた時期があるというから、なおのことややこしい。当連載第327回「JR阪和線と南海本線、どちらも同じ会社だった時期がある」と似たような経緯がある。

"本家"を国に買収された相模鉄道

相模線と相模鉄道本線の歴史

現在はJR東日本が運営する相模線を相模鉄道が建設した。現在の状態になった理由は戦時買収だ。その経緯は相模鉄道の持株会社である相鉄ホールディングスのサイトで紹介されている。

発端は1917(大正6)年にさかのぼる。相模鉄道が創立し、茅ケ崎駅から厚木駅を経由して橋本駅に至る33.3kmの鉄道を建設した。開業は1921(大正10)年。茅ケ崎~川寒川間だった。1923(大正12)年には、寒川~西寒川間の支線が開業した。橋本駅までの全通は1931(昭和6)年だ。

相鉄本線となる路線は神中鉄道が全通させた。神中鉄道も相模鉄道と同じ1917(大正6)年に創立。開業は1926(大正15)年で、厚木~二俣川間だ。さらに横浜へ向かって延伸していった。横浜駅まで26.0kmが全通したのは1933(昭和8)年だ。

神中鉄道と相模鉄道の歩みは似ている。両者とも業績不振を経験し、東京横浜電鉄(現在の東急電鉄)傘下に入った時期もほぼ一緒だ。そして1943(昭和18)年、相模鉄道は神中鉄道を吸収合併する。おそらく東京横浜電鉄の意向もあって、業務効率化を図ったのだろう。

しかし、同じ会社に収まった2つの路線は1年あまりで引き離されてしまう。1944(昭和19)年に陸運統制令が発令され、相模線は国有化されてしまった。東海道本線と中央本線を短絡するルートが重要視されたためだ。神中線も1945(昭和20)年に東急へ委託され、大東急時代に加わることになる。

戦後、相模鉄道は独立し、旧神中鉄道区間を本線とした。しかし相模線は国有化されたまま戻ってこない。国鉄相模線となり、民営化でJR東日本の相模線になって現在に至る。

……というわけで、相模鉄道とJR相模線は名前だけではなく、経緯もややこしい。このトリビアを知っていたら、かえって乗り間違いを起こしそうなので要注意。誰かに話すときも路線名の言い間違いに注意しよう。