2016年3月26日、北海道新幹線が開業し、同時に並行在来線の第三セクター鉄道、道南いさりび鉄道も開業した。他の新幹線・新線の開業に比べると課題も多いようだけど、まずは予定通りに開通できて良かった。心よりお慶び申し上げる。

さて、新幹線が開業すると並行在来線はJRから切り離される。ここまでは整備新幹線の建設の条件だ。1996年の政府与党合意で、並行在来線をJRから分離すること、分離区間はJRと沿線自治体の合意が必要と決定した。つまり、JRからの分離までが整備新幹線建設の条件だ。自治体に存続を義務づけられたわけではない。

したがって、沿線自治体が並行在来線を必要だと思ったら第三セクターを設立するなどで事業を継続し、必要でなければ廃止となる。道南いさりび鉄道は、地元自治体が「新幹線開業後も江差線は必要」と考えたから発足し、鉄道事業を継続する。

じつは、いまから28年前、新幹線になる前提で建設された海峡線が開業するときも、並行する在来線が姿を消した。いわば「幻の並行在来線」だ。路線名を松前線という。起点は木古内駅、終点は渡島半島の最南端に位置した松前駅だった。

松前線の線路略図。松前線は松前駅から先、大島駅まで延伸する計画だった

松前線は乾電池の素材としても知られるマンガンを輸送するため建設された。木古内~渡島知内間が開業したのは1937(昭和12)年で、当時は「福山線」という名前だった。その後は採掘ルートに沿って延伸され、とくに太平洋戦争時はマンガンが軍需物資だったため、重要路線のひとつだった。福山線は碁盤坂駅、渡島吉岡駅へと順次延伸された。

戦後も復興のためにマンガンが必要だった。1953(昭和28)年、福山線は松前駅へ到達し、路線名も松前線に変更された。青函トンネルは当初、北海道側で松前線の渡島福島駅付近で接続する構想だった。しかし、整備新幹線計画によって北海道新幹線が定められると、青函トンネルも、そこに接続する在来線も新幹線の規格が求められた。

松前線はローカル線だから、カーブや勾配の面で新幹線の規格に合致しない。そこで、青函トンネルの北海道側は、青函トンネル出口から木古内駅付近まで新幹線の規格で作り直した。これが後に海峡線となる。

昭和40年代には、松前線にも急行列車が走っていた。しかし、もともとは鉱物資源輸送が目的の路線だ。旅客数は期待できず、マンガン輸送終了後は赤字路線に転落。1988年1月末の運行を最後に鉄道路線は廃止。バス路線に転換された。

松前線の廃止から約2カ月後、青函トンネルを含む海峡線が開業した。海峡線の北海道内部分は、廃止された松前線に並行している。松前線の渡島吉岡駅には、青函トンネルの建設基地があった。その地下に海峡線の吉岡海底駅が設置された。現在は吉岡定点という避難設備になっている。湯の里駅付近には海峡線の知内駅が設置された。知内駅は北海道新幹線建設工事に関連して廃止され、湯の里知内信号場となった。

松前線は整備新幹線の条件となる並行在来線ではないけれど、在来線として開業した海峡線は新幹線運行を前提としていた。もしバス転換されなければ、今頃は並行在来線として扱われ、道南いさりび鉄道になっていた……いや、その前に廃止されたかもしれない。ちなみに江差線木古内~江差間は、新幹線開業に先んじて2014年5月に廃止されている。