年賀状の定番ネタのひとつに、「干支にちなんだ駅」がある。2016年は申(さる)年だ。「申」または「猿」を駅名に採用する駅を探したところ、「申」は3駅、「猿」は5駅あった。でも、「申」「猿」を使った駅名には、どんな由来があるのだろうか?

名古屋鉄道三河線の猿投駅

干支の「さる」は「申」と書く。「申し上げる」の「申」である。じつは、この漢字は「猿」とは関係ない。「申」は稲妻に由来する象形文字で、神が降臨する現象だと考えられていた。「申」が草木の伸びる様子にも例えられ、神のような各上の地位に「申す」という意味でも使われるようになった。もともと「申」は神という意味だったけれど、わざわざ示偏(しめすへん)を付けて「神」という字を作った。

なぜ「申」が「猿」になったかというと、十二支を覚えやすくするためだ。十二支は年だけではなく、月、日、時、方位なども使う。そこで「申」に限らず、干支の文字と身近な動物を関連づけた。2015年の「未」の文字も「羊」の意味はなかった。

「申」の付く駅名は3駅

「申」の文字がある駅は、都内を走る都電荒川線の「庚申塚駅(停留場)」「新庚申塚駅(停留場)」と、松浦鉄道西九州線の「真申駅」(長崎県)だ。

「庚申塚」の「庚申」も干支にちなむ。干支と十二支を混同してしまうけれど、干支は本来、十干と十二支の組み合わせだ。60通りあって、「庚申」は57番目の干支である。現代の日本では廃れつつあるけれど、この「庚申」の日に祭事を行う庚申信仰があって、そのシンボルの塔が「庚申塔」または「庚申塚」というわけだ。「申」が猿と関連づけられているため、庚申信仰も猿がシンボルになっている。庚申塚駅の近くには、巣鴨庚申塚といって、猿田彦大神を祀った神社がある。新庚申塚駅は庚申塚駅の隣にある。「新」が付いているけれど、庚申塚駅と同じ日に開業している。

松浦鉄道の真申駅は「まさる」と読む。駅名の由来は不明だ。付近は炭鉱があった場所である。なんらかの「まさる」という言葉に良い字を当てたかもしれない。

「猿」の付く駅名は5駅

「猿」の付く駅名には、JR東日本の「猿和田駅」「猿田駅」「猿橋駅」、名古屋鉄道の「猿投駅」、広島電鉄の「猿猴橋町駅」があった。

猿和田駅は磐越西線の駅だ。「さるわだ」と読む。所在地は新潟県五泉市土堀だけど、付近には猿和田郵便局、猿和田駐在所があるという。もともと「猿和田」という地名かもしれないけれど、猿和田駅ができた後で郵便局や駐在所に名づけられたとも思われる。したがって、猿和田の由来は不明だ。和田は「実り豊かな田」という意味だそうで、その田んぼに猿が出没したのだろうか?

猿田駅は総武本線の駅。「さるだ」と読む。付近に猿田神社がある。干支に関係があるようで、庚申の年に祭事があるという。

猿橋駅は中央本線の駅。「さるはし」と読むけれど、1902(明治35)年に官営鉄道の駅として開業したときは「えんきょう」と読んだ。付近にある猿橋は甲州街道の橋で、桂川にかかっている。猿橋は「刎橋(はねばし)」という独特の構造で知られている。両岸の岩に穴を開けて板を差し込み、その上にまた板を重ねて延ばしていく。「猿たちが川を渡るときに、身体を支え合う様子がヒントになった」といわれているそうだ。

猿投駅は名古屋鉄道三河線の起点駅。「さなげ」と読む。付近に猿投山と猿投神社がある。猿を投げちゃうとは乱暴だけど、由来はその通りだった。第12代天皇の景行天皇が伊勢へ向かう途中で、飼っていた猿が不吉なことを行ったため、海へ投げた。その猿が移り住んだ山が「猿投山」と呼ばれるようになったという。

猿猴橋町停留場付近を走る広島電鉄3000形

猿猴橋町駅(停留場)は広島電鉄の路面電車の停留場だ。「えんこうばしちょう」と読む。広島駅停留場からひとつ目だから、広島駅停留場を起点とするすべての運行系統が通る。付近に猿猴橋があり、その由来は猿猴川にかかる橋だから。猿猴とは広島に伝わる伝説の妖怪で、海や川に住み悪さをする。猿のように体毛に覆われた河童みたいな生き物だ。

真申駅と猿和田駅は由来不明。どなたかご教示くださ~い。