浜松町駅から羽田空港を結ぶ路線といえば東京モノレールだ。開業は1964年9月17日で、昨年、開業50周年を迎えた。いまでこそ羽田空港アクセスの代表的存在だけど、開業当初は業績が思わしくなかったようで、さまざまなPRキャンペーンが行われた。その中に公式ソングがあった。鉄道会社のキャンペーンソングの先駆けともいえる楽曲で、当時を代表するアーティストが制作に関わっていた。

空港アクセス路線の元祖ともいえる東京モノレール

東京モノレール開業記念企画として出版された『東京モノレールのすべて』(戎光祥出版)によると、東京モノレールの公式ソングは開業から2年後、1966年に制作・発表されたという。2曲あり、タイトルは「恋のジェット航路」「モノレールの歌」。通常のレコード盤ではなく、ソノシートだった。

『東京モノレールのすべて』(戎光祥出版)

ソノシートとは、塩化ビニール製の薄いレコードを指す言葉。黒くて固いビニール製レコードに比べて音質は悪いけれど、安価で制作できた。東京モノレールの公式ソングは営業用として少量生産し、放送局などに配布されたと思われる。

しかし、安価なソノシートとはいえ、楽曲は本格派だった。「恋のジェット航路」の歌い手は「和田弘とマヒナスターズ」だ。1959年、「誰よりも君を愛す」で第2回日本レコード大賞を受賞。1964年、「お座敷小唄」が300万枚以上の大ヒット。1965年には、「愛して愛して愛しちゃったのよ」をヒットさせている。当時の大スターを起用したわけだ。作曲は春日八郎が歌った「お富さん」を作曲した渡久地政信。作詞は「誰よりも君を愛す」を書いた川内康範だ。

川内康範といえば、後に森進一に「おふくろさん」を提供した大御所である。作詞家になる前は劇映画作家で、『月光仮面』の原作・脚本を担当している。「恋のジェット航路」の歌い出しは、「雲が飛ぶのかそれとも風か」で、『月光仮面』のようなヒーローの登場を想起させる。「恋の電波」というフレーズも、当時としては斬新だったろう。モノレールを指して「ジェットカー」と呼んでいる。10年前ほど前に誕生したジェット旅客機になぞらえて、速さをアピールしている。

「モノレールの歌」について、歌唱者は本書も東京モノレールも明らかにしていないけれど、ネット上の情報によれば安西愛子が担当したようだ。安西愛子は「お山の杉の子」でヒットし、当時はNHKの幼児向けラジオ番組で「うたのおばさん」として活躍していた。後に参議院議員にもなっている。作曲は下元彬人で詳細は不明。作詞は本間一咲(いっしょう)で、作詞の懸賞公募の達人というプロフィールだった。

「モノレールの歌」の歌詞は、「月の世界を旅するような」「宇宙時代がひらけるような」と、羽田空港の旅客機よりもさらに上を飛ぶという志の高い内容だ。3番まであって、締めの歌詞は1番から3番まで「羽田東京15分」と所要時間の短さをアピール。歌ができた当時、途中駅は大井競馬場前駅だけ。競馬開催日以外は通過していた。

ちなみに現在、浜松町駅から羽田空港国際線ビル駅まで空港快速で13分、羽田空港第1ビル駅まで17分で結んでいる。これはモノレールが遅くなったのではなく、羽田空港が沖合に移転したためだ。

「恋のジェット航路」「モノレールの歌」はYouTubeの東京モノレール公式チャンネルでも視聴できる。動画には開業当時の車両や旅客機など、懐かしい映像もふんだんに盛り込まれ、モノレールのポイント切替など珍しい場面も収録されている。当時を懐かしむ人も、当時を知らない若い人にもおすすめだ。

なお、今回の"ネタ元"である『東京モノレールのすべて』にも、全歌詞と楽譜が紹介されている。その他、モノレールの撮影ガイド、車両紹介、線路のしくみといった技術解説から、キャラクターの「モノルン」「羽田あいる」「羽田みなと」、CMにHKT48が起用された理由なども紹介されている。東京モノレールだけで208ページというボリュームに驚いた。どのページも濃い内容で面白かった。