鉄道路線には「本線」「支線」という関係がある。鉄道路線を大樹に見立てると、地面からまっすぐに空へ向かっていく幹が「本線」、幹からヨコ、ナナメに分かれていく枝が「支線」だ。だから「本線」が「幹線」と呼ばれたり、「支線」が「枝線」と呼ばれたりする。「新幹線」も、新しい「幹線」という意味である。

常磐線は寝台特急や長距離貨物列車も走った(写真はイメージ)

JRの路線図を見ると、東海道本線、東北本線など主要路線は路線名に「本線」が付いている。どちらも新幹線が並行しており、在来線側の特急列車は少ないけれど、かつて特急列車や急行列車、長距離鈍行が走っていた。鉄道ファンはこれを、「本線の風格がある」などと評している。これに対して、「支線」はローカル線というイメージがある。1両か2両の旅客列車がのんびり走るような風景が思い浮かぶ。

上野駅からは山手線、京浜東北線、東北本線、高崎線、常磐線の電車が発着している。鉄道会社が国に届け出た路線を掲載する「鉄道要覧」によると、山手線や京浜東北線の一部区間も東北本線だ。高崎線も正式には大宮~高崎間で、上野~大宮間は東北本線に乗り入れている。本線と支線を樹木の幹と枝の関係になぞらえると、山手線は東海道本線の品川駅から分岐する支線といえる。高崎線も東北本線に対する支線である。京浜東北線は東京駅を境に、北は東北本線の幹の一部、南側は東海道本線の幹の一部だ。

「常磐線」「上越線」だって「本線の風格」はあるのに

ところで、常磐線はなぜ、「常磐本線」と呼ばないのだろうか? 常磐線は上野~水戸間をはじめ、特急列車がたくさん走っている。成田線や水戸線、水郡線などの「枝線」もつながっている。常磐線だって「本線の風格がある」わけだけど、「常磐線」であって「常磐本線」ではない。

上越線は「とき」「はくたか」など特急列車が多かった(写真はイメージ)

「本線の風格がある」といえば、「上越線」も「上越本線」ではない。高崎駅から日本海方面は、「信越本線」「上越線」の2路線が接続していた。信越本線は碓氷峠区間が廃止されたり、途中の区間が第3セクター鉄道になったりしてブツ切り状態だけど、JRに所属する区間は「信越本線」を名乗っている。上越線も、上越新幹線開業前は特急列車がたくさん走り、吾妻線という大きな「枝線」もある。

信越本線も上越線も、新幹線が作られるほど重要な路線だ。そもそも上越「新」幹線ができたからには、「上越線は幹線だ」と認められたようなもの。それでも上越線は「上越本線」にならなかった。「本線」と名乗るために、なにか必要な要素はあるのだろうか?

どちらも「東北本線」の支線扱い

私鉄の場合は、「京急本線」「京成本線」のように、メインルートを本線と呼ぶ場合がある。一方、JR各社の路線名は国鉄時代の路線名を継承している。国の鉄道だったから、路線名は国が決めたわけだ。これは正式な通達として、1909(明治42)年に鉄道院が制定した。東海道・北陸・高山・中央東・中央西など23の本線を定め、それぞれの本線の従属路線として支線を分類している。鉄道路線ごとに人材、資材、経営状態などを管理する都合で設定されたようだ。

この通達によると、常磐線も上越線も東北本線に所属していた。つまり、どちらも東北本線の支線というわけだ。他の本線は「幹」と「枝」の関係がわかりやすいけれど、東北本線についてはかなり広範囲で、常磐線や上越線などの幹線級も含まれている。

常磐線は東北本線の日暮里駅から分岐しているので、「支線」としても納得できるけれど、上越線は東北本線に接していない。東北本線の支線の高崎線、そのまた支線の上越線、つまり孫のような考え方だ。遠い親戚のような東北本線に所属している理由は、国鉄に編入される前の民間企業「日本鉄道」が開業させた路線をひとまとめにしたからといわれている。

ちなみに、信越本線は鉄道院の制定によって本線と定められ、飯山線、越後線、弥彦線などが支線として所属している。上越線は日本鉄道が建設したけれど、信越本線は国が建設した。「本線」の有無は、その路線の生い立ちも関係したといえそうだ。

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