経済キャスターの鈴木ともみです。今回は、榊原英資さんの新著『鎖国シンドローム 「内向き」日本だから生きのびる』(集英社)をご紹介します。

政治・経済、社会、明日の日本を担う若者までもが「内向き」だといわれる昨今の日本。

停滞、迷走する日本の将来はこのままで本当に大丈夫なのか? と皆が不安を抱くなか、同書は、これからの日本のあるべき姿をしっかりと描き出しています。日本が「鎖国」モードに入るということは、決して後ろ向きな選択ではなく、むしろ前向きな方向性でもあるのです。

凝り固まった私たちの常識を覆し、日本人の誇るべき資質を再認識させてくれる珠玉の一冊です。

榊原英資さんプロフィール

青山学院大学教授。(財)インド経済研究所理事長。東京大学経済学部卒業後、大蔵省入省。IMFエコノミスト、埼玉大学助教授、ハーバード大学客員准教授などを経て、大蔵省国際金融局長、財務官を務めた後、慶應義塾大学教授、早稲田大学教授を歴任。経済学博士(ミシガン大学)。

『鎖国シンドローム 「内向き」日本だから生きのびる』(集英社 榊原英資著 定価 : 1,680円(税込))

鈴木 : 「失われた10年、20年」と言われ、停滞、迷走する政治・経済、社会が慢性化し、誰もが不安を抱いてしまう時代が続いていますが、同書を読むと、とても穏やかな気持ちになりますね。

「鎖国」という言葉からは、どうしても閉鎖的で保守的なイメージを持ってしまいますが、実はこれまで日本は歴史的に江戸時代だけでなく、何度も「鎖国」モードを経験しているということを知りました。

榊原 : そうなのです。いわゆる鎖国時代と言うと、皆さん江戸時代を思い浮かべますが、必ずしもそれだけではありません。日本の過去2000年の歴史においては「鎖国的な時代」というものが、何度も繰り返されており、主に4つの時代がありました。

(『鎖国シンドローム 「内向き」日本だから生きのびる』序章より抜粋)
「鎖国的な時代」としては、次の4つの時代を挙げることができるでしょう。
(1)遣唐使廃止以降、平治の乱(1159年)まで(9世紀~12世紀) 平安時代
(2)元寇以降、日明貿易再開まで(13世紀末~14世紀半ば) 鎌倉時代の後期~室町時代初めまで
(3)豊臣秀吉の死(1598年)からペリー来航(1853年)まで 江戸時代
(4)日清戦争、日露戦争から第二次世界大戦まで
このように、「鎖国的な時代」、いわゆる「鎖国時代」は、日本が時代の危機や転換期に見舞われたときに現れ、何度も繰り返されてきたのです。
さらに国内的には「鎖国時代」がどんな時代かというと、それ以前に日本にもたらされた外来文化が咀嚼されて「日本化」が進んだ時代だということができます。

鈴木 : その「鎖国時代」と反対に「開国時代」というのがあって、日本は開国と鎖国を繰り返してきたという分析は、とても興味深いものです。

榊原 : 日本の歴史を長期的な視野で眺めると、「開国時代」と「鎖国時代」を繰り返すことで、社会が変化し、磨かれ、成長してきたということがわかります。開国時代に海外の最新情報や外来文化を取り入れ、鎖国時代に、それらの情報をもとに、独自の解釈や改良を加えて、日本特有の社会やシステム、文化を構築します。そして、その現象はある意味「日本化」と呼んで良いものだと言えるのです。

榊原氏は、「日本の歴史を長期的な視野で眺めると、『開国時代』と『鎖国時代』を繰り返すことで、社会が変化し、磨かれ、成長してきた」と語った

鈴木 : そもそも、日本特有の「鎖国時代」が繰り返し訪れる背景には、何があるのでしょうか?

榊原 : そこには、日本人特有の精神性「鎖国メンタリティ」が存在します。この「鎖国メンタリティ」には状況や環境によって強弱があり、弱まる時代には海外を意識して開国モードになる、強まる時代には海外との交流が減り、内向きモードになります。

鈴木 : 他の国には見受けられない、その日本人特有の精神性である「鎖国メンタリティ」は、日本という国が、一度も外国に征服されたことがないという歴史に起因するものだそうですね。

(『鎖国シンドローム 「内向き」日本だから生きのびる』第2章「江戸時代ブームー欧米化への反省」より抜粋)
日本という国は歴史上一度も異民族、外国に制服されたことのない国だということです。元寇のときに(文永の役=1274年、弘安の役=1281年)、大きな危機はありましたが、これも荒海と台風に救われました。国が始まって以来、明治までの大きな対外戦争はこの元寇の他、白村江の戦い(663年)と豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役=1592~93年、慶長の役=1597~98年)の2回のみ。しかも、その二つは朝鮮での戦いでした。
つまり、近代に至るまで日本は大変平和な国で、特に平安時代、江戸時代には内乱もない絶対的平和な時期が合わせて660年以上も続いたのです。世界広しといえども、これだけ対外戦争が少なく、平和な時期が長かった国は日本以外にほとんど見あたりません。
戦争に使うエネルギーと資源を平和的なものに向けたのですから、当然、教育や文化のレベルは圧倒的に高くなりました。正確な統計はありませんが、江戸時代の日本の識字率は他の先進国、例えば、イギリスよりも高かったといわれています。また、江戸時代の庶民文化のレベルは世界有数のものでした。

鈴木 : 日本は、鎖国の時代に社会や文化を熟成させるモデルができ上がったわけですね。

榊原 : そうなのです。「鎖国メンタリティ」は、新たな拡大や成長を求めるというよりは、「内向き」な成熟を求めるものです。それにより、日本は安定的で幸福な社会を形成することができました。

鈴木 : 一方で、その「鎖国メンタリティ」が及ぼす弊害についてもご指摘されています。

企業ガバナンスと「鎖国メンタリティ」の関連性について、オリンパス事件や大王製紙事件などが起こった原因には、企業の隠蔽体質があると分析されていますね。

(『鎖国シンドローム 「内向き」日本だから生きのびる』第3章「「鎖国メンタリティ」と企業ガバナンスの弛緩」より抜粋)
日本における資本主義の勃興期から高度成長時代までは、その「鎖国メンタリティ」は企業発展において非常にポジティブな形で作用しました。極めて同質的な人間たちが一致して団結して一つの目的に向かうパワー、同じ価値観やベースを持った人々が精度の高い流れ作業をこなせるシステム、品質の高さを誇りとして常に小さな改善を積み重ねていく努力、新たな事業開発における長期的な展望や長期の事業継続性……これらは産業の発展には欠かせないものでした。そしてそれは自動車産業であれ精密機械産業であれ、食品や薬品をつくる製造業であれ、変わらないといえるでしょう。
しかし1990年代以降、急速にグローバル化する社会においては、それまでの日本の会社を支配してきたやり方とは異なるルールが求められるようになりました。
グローバル・スタンダードの根本的な考え方は「会社は株主の利益のために存在する」ということです。したがって、従業員の雇用の維持よりも株主の利益を図るべきであるという考え方が基本にあります。コストパフォーマンスにおいても、短期的な黒字を維持したうえで国際社会における競争力を求められます。さらに、それまで日本で主流であった銀行が企業に投資をして経営指導もする間接金融よりも、株式市場で資金を調達する直接金融を主体とすること、四半期ごとの決算公開義務、銀行の自己資本比率に関するBIS規制など、それまでの日本の会社ではあまり馴染みのなかったルールに従うことを、グローバル企業は求められました。ここにきて日本の企業の同族的なメンタリティが、マイナスに働く場面も少なくなかったのです。
そこで、これらのルールにそぐわないことを隠蔽する企業も現れました。この考え方の底にも「鎖国メンタリティ」があることは想像に難くないでしょう。

鈴木 : 1990年代以降の急速なグローバル化に、日本特有の鎖国メンタリティがそぐわない一面もあるわけですね。その1990年代に日本は「失われた10年、20年」と呼ばれる時代に入っていきます。

榊原 : 90年代は、バブルの崩壊、金融システムの崩壊と長期的な二つの危機に直面しました。その状況下で、大型の公共事業対策などで景気を下支えしましたし、私も直接政策対応に関わっていましたが、95年4月には1ドル=80円を切っていた為替レートも日米の協調介入により9月には100円台に戻したのです。この90年代の政策対応は最近になって再評価されるようになりましたが、当時は、アメリカのローレンス・サマ―ズ財務副長官ら海外からは辛辣に批判され、国内でも悪い評価をされていました。その悪評の背景には日米の成長格差があったわけです。

ただ、その成長格差と言うのは、今考えれば、アメリカは金融バブル下にあり、一方の日本は成長国家から成熟国家へと移ったということによるものだったのです。ですが、当時は「失われた10年」に入った日本、大きく成長し続けるアメリカという対比で、日本が一方的に非難されていました。

(『鎖国シンドローム 「内向き」日本だから生きのびる』第4章「平成日本を覆う社会の閉塞感」より抜粋)
1998年2月、筆者は大蔵省の財務官としてスイスのダボスで開かれたワールド・エコノミック・フォーラム(世界経済フォーラムの年次総会、通称「ダボス会議」)に参加しましたが、この会議での日本攻撃も熾烈を極めました。筆者と同じパネルに出席したドイツのコメルツ銀行のコールハウゼン会長は「日本は世界経済に対する悪影響を考えていない」と厳しく非難し、「日本は半死状態(Japan is half dead.)とまで言い切ったのでした。
たしかに、アメリカ経済は好調で、1995年から10年強の間に、ダウ工業平均も住宅価格も3倍にまで跳ね上がったのです。結局、これがサブプライム問題を経て、リーマンショックにつながり、アメリカの金融システムの崩壊を招くのですが、バブルが形成されているときは、なかなかバブルだと気がつかないのが常です。2007~08年の金融システム崩壊後、アメリカはマイナス成長に陥り、08年はマイナス0.3%まで落ち込んでしまいます。アメリカの不況は世界経済全体を巻き込み、世界経済は2009年には、2.8%、日本経済はマイナス5.5%まで落ち込んでしまうのです。
景気後退ということでは2008~09年のマイナス成長は異常な不況期でしたが、1991~2011年度の平均成長率が0.9%にまで低下したのは、明らかに高度成長の時期が終わったということでした。
しかし、このことは日本が世界1、2の豊かな国になったことを考えれば、むしろ、当然のことです。IMFの「世界経済見通し2012年4月版」によれば2011年の日本の一人当たり名目GDPは4万5920ドルと世界18位、人口5000万人以上の国ではアメリカに次ぐナンバーツーです。アメリカと日本の差は約2500ドル強で全体の5%強、為替レートの推移でどうにでも変わる差です。
しかも、アメリカは格差の大きな国。2000年代半ばの相対貧困率(所得分布の中央値の半分に満たない国民の割合)は、17.1%と日本の14.9%をかなり上回ります(OECD、2008年)。ということは、平均的日本人が、おそらく、平均的アメリカ人より豊かだということを意味する可能性が高いのです。
日本がアメリカに次ぐ、あるいは、アメリカに並ぶ豊かな国だとすれば、成長率が下がってきたのは、ある意味では当然のことです。いわゆる"モノ"があふれ、人々の関心は次第に"モノ"から環境や安全、あるいは健康ということに移り始めているのです。

鈴木 : 「環境」「安全」「健康」においては、日本は世界のなかでトップランナーと言えるのかもしれませんね。

榊原 : そうなのです。それは成熟国家である証です。日本が成熟社会のモデルとして先進国の先頭に立つようになったのです。ですが、日本人の多くが成長を求め、成熟への戸惑いを感じ、それが社会全体の閉塞感につながっています。確かに企業が海外に進出し成長していくことは必要だと言えます。しかし、日本の社会全体を成熟から成長路線へと戻す必要はないのです。無理に成長政策を打ち出せば、バブルを生みかねない。成熟は、決して停滞でも迷走でも閉塞でもないのです。

鈴木 : 私たちのなかには「成長し続けなくてはいけない…」という強迫観念みたいなものがありますよね。

榊原 : 成長しなければならないわけではありません。豊かな成熟国家となった日本は、経済成長率で他国と競争する必要はありません。人口が減少していくなかでは1%成長で十分であり、むしろ、一人ひとりの生活の質を上げていくことが求められているのだと思います。そして、この洗練された成熟国家としての日本のモデルをもっと世界にアピールし、発信していくことも大切です。

鈴木 : 成熟国家として安定させるためには、やはり、食料=農業、エネルギーの改革が必要となってくると思うのですが…。

榊原 : エネルギーについては、地震と火山の国である日本では地熱の開発が有力でしょうね。また海に囲まれていますから海洋熱発電やメタンハイドレードにも期待が寄せられています。また、農業や漁業は衰退産業とされていますが、私は、まだまだ成長産業になり得る可能性を秘めていると感じます。

(『鎖国シンドローム 「内向き」日本だから生きのびる』第7章「資本主義の限界と、日本の未来」より抜粋)
成長産業としての農業を育てていくためには、農地の集約、大規模化、さらには企業の農業への新規参入が必要になってきているのです。
小規模の自作農を保護するのではなく、企業が社員として農業者を雇用し、農業を企業化することを推進すべき時なのです。製造業でもサービス業でも、そうした企業化、市場化は当然のこととして受け入れられ、日本経済を支える重要な柱になっています。
例えば、トヨタやパナソニックが農業に進出して、こうした企業の社員として農業者を雇うことがどうして悪いのでしょうか。戦前の小作のイメージがまだ残っているのかもしれませんが、多くの農業者もサラリーマンとして働いたほうが生活もより安定するのではないでしょうか。
農業や漁業は市場経済を基本とする日本にわずかに残っている「社会主義」的産業です。
そろそろ農業や漁業を企業化、市場化して日本全体の市場システムに組み込むべき時がきているのではないでしょうか。

鈴木 : 旧態依然とした考え方を転換すべき点はいろいろとありそうですね。例えば雇用の在り方や定年制についてなど…。

榊原 : そうですね。年功序列により、年齢で定年退職を迎えるシステムは、例えばゼネラリストの世界では必要かもしれませんが、手に職や技術を持った職人、特別な知識を持ったスペシャリストの世界では、人的資源の放棄にもなります。スペシャリストたちの技術が韓国などの外国企業に流出しているケースも多々あるのです。各々の分野のスペシャリストには、定年制で一律に退職させるのはやめるべきなのではないかと思います。

鈴木 : そういった改革、改善点があるなかで、日本特有の「鎖国メンタリティ」を活かしながら、世界に誇れる成熟国家としてのモデルを発信していきたいものですね。そうすれば、世界における日本の在り方や位置づけ、つまりは私たちの役割や居場所も確立できるのではないでしょうか。将来に向けての勇気をいただくことができました!

今日はお忙しい中ありがとうございました。

榊原 : ありがとうございました。

執筆者プロフィール : 鈴木 ともみ(すずき ともみ)

経済キャスター、ファィナンシャルプランナー、DC(確定拠出年金)プランナー。中央大学経済学部国際経済学科卒業後、ラジオNIKKEIに入社し、民間放送連盟賞受賞番組のディレクター、記者を担当。独立後はTV、ラジオへの出演、雑誌連載の他、各種経済セミナーのMC・コーディネーター等を務める。現在は株式市況番組のキャスター。その他、映画情報番組にて、数多くの監督やハリウッドスターへのインタビューも担当している。日本FP(ファイナンシャルプランナー)協会認定講座『FP会話塾 ~好感度をアップさせる伝え方~』講師。