経済キャスターの鈴木ともみです。今回は、日本が世界に誇るエコノミスト・浜矩子さんの新著『誰も書かなかった世界経済の真実~地球経済は再び斬り刻まれる~』(アスコム)をご紹介します。

『通商』というテーマを軸に、世界経済の真実、グローバル経済の今とこれからが、わかりやすくまとめられています。

タイトルの「誰も書かなかった」は「誰も書けなかった」という意味でもあり、私たち誰もが理解していなかった真実と言えます。

同書は、その真実が明快に解析された珠玉の一冊です。

浜矩子さんプロフィール

同志社大学大学院ビジネス研究科教授。1952年生まれ。一橋大学経済学部卒業。1975年、三菱総合研究所入社。ロンドン駐在員事務所所長を経て、2002年より現職。専攻はマクロ経済分析、国際経済。国内外の多くのメディアにも登場し、その広範な視野、分析力、明快な語り口でファンが多い。著書に『グローバル恐慌』(岩波書店)、『「通貨」はこれからどうなるのか』『「通貨」を知れば、世界が読める』(PHP研究所)、『誰が「地球経済」を殺すのか』(実業之日本社)などがある。

『誰も書かなかった世界経済の真実~地球経済は再び斬り刻まれる~』(アスコム 浜矩子著 定価 : 本体952円(税別))

鈴木 : 浜先生にはこれまでに何度か取材させていただいてるのですが、いずれもテーマは『通貨・ユーロ』についてでした。それが今回は『通商』がテーマ。読ませていただくと、先生の深い造詣と熱い思いが伝わってきます。『通商』をテーマとされた背景には、「満を持して!」という意識がおありだったのでしょうか?

: 満を持して…と言えば確かにそうだと言えるかもしれません。私は常々「FTA」や「TPP」に対する世の中の解釈が間違っている、解説される方々も勘どころがハズレている、と感じていました。また、皆さんの関心が「通商」から「通貨」へと変わっていくなかで、実は、「通商」の領域で本当に怖い事態が起こりつつあるということをお伝えしたいと思っていました。それで、時あたかも「TPP」議論が注目を集め始めたこのあたりで、全面的に『通商』にフォーカスし、その実像と怖さを追求してみたいと考えたのです。

鈴木 : その狙いについては、同書のプロローグ部分に託されていますね。

(『誰も書かなかった世界経済の真実』~はじめに「これは、「通商」と「通貨」を巡る地球サイズの攻防である~」より抜粋)
かつて、世の中、通商を巡って大いに湧く。そんなふうだった時代がある。(中略)
ざっくり言って概ね1980年代いっぱいまでがその時代だったと言えるだろう。
「通商摩擦」という言い方も盛んに新聞紙上をにぎわせた。日米通商摩擦に日欧通商摩擦。(中略)
通商は売れるが通貨は売れない時代。それがあの頃までの時代だったのである。だが、今や逆の状況になっている。(中略)
2011年において、日本の貿易収支は久々に赤字になった。それでもなお、日本は経常収支黒字大国であり続けている。それはなぜかと言えば、日本の所得収支が大きな黒字を計上しているからである。
所得収支とは何か。
それは日本人と日本企業が海外で稼ぎ出す利子や配当や収益などと、外国人と外国企業が日本国内で稼ぎ出す利子・配当・収益などの差額である。したがって、所得収支が黒字だということは、日本が海外で稼ぐ所得が、海外勢が日本で稼ぐ所得を上回っていることを意味している。
然らば、なぜ、日本人と日本企業が海外で稼ぎ出す所得はここまで大きくなったのか。答えは簡単だ。日本から資本がどんどん海外に出て行くようになったからである。(中略)
日本のカネが世界でカネを生み出すようになってきたのである。所得収支の黒字は、資本輸出大国としての日本の「繁栄の反映」にほかならない。(中略)
このような世の中になっているのであるから、モノの世界である通商の領域に対して人々の関心が薄れて、カネの世界である通貨の領域が脚光を浴びるというのは、極めて合理的な成り行きだと言える面がある。(中略)
さて、それなのに、なぜ本書は通商に焦点を当てるのか。それは、どうもこの通商の領域から、ヒト・モノ・カネが国境を越える今の時代に対して、思わぬ逆襲の嵐が押し寄せることになりそうだからである。
竜巻の到来を示唆しているのが、今日におけるいわゆるFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)の増殖傾向だ。その極めて今日的な事例が、かのTPP(環太平洋パートナーシップ協定)騒動である。(中略)
目に見えない通貨と金融の市場に翻弄されるあまり、その圧力に耐えかねて、国々が目に見えるモノの市場の斬り刻み行動に出始めている。それが現状だ。
国々が独り占めや囲い込みや締め出し行為の誘惑に負けるとき、そこにあるのは分断と排除の世界だ。その世界の実像と怖さを本書で追及してみたいのである。

鈴木 : プロローグを読むだけで、グローバルに行き交うマネーの変遷、地球サイズでの「通商」と「通貨」の攻防・関係性を俯瞰して捉えることができます。「通商」と「通貨」は、本来、車の両輪であるべきなのですよね。

: はい。「通商」はモノの世界。「通貨」はおカネの世界。この双方の足並みが揃わなければ、安定的な共生が成立しないのです。今は、おカネの世界が、モノの世界よりも大きくなりすぎ、国々の依存関係を壊す撹乱要因になっています。

鈴木 : このいびつな関係性については、常に目配りしておく必要性があるわけですね。そうしたなか、今日のグローバル経済において、各国が共存していくことのできる通商・貿易関係とはいったいどのような形を指すのか? 現状の通商風景の問題点はどこにあるのか? その点を探るべく、第1章では、TPP・FTA・EPA各々の内容や関係性が丁寧にまとめられていますね。

(『誰も書かなかった世界経済の真実』~第1章「TPP・FTA・EPA-世界経済は斬り刻まれる~」より抜粋)
FTA(Free Trade Agreement)は自由貿易協定である。
字義通りに解釈すれば、貿易を自由化するための協定ということになる。ここで、敢えて「字義通りに解釈すれば」という言い方をするには理由がある。現実に存在するFTA群には、本当の意味での貿易自由化あるいは自由貿易に反する面があるからだ。(中略)
FTAの明かせぬ本名。それを筆者は「地域限定排他貿易協定」だと言いたい。
そもそも、まず、全てのFTAがその対象地域を限定している。米韓FTAは米韓2カ国が対象だ。北米自由貿易協定(NAFTA)はカナダ・アメリカ・メキシコの3カ国間で結ばれたFTAである。FTAはこのようにして地域を限定している。だから地域限定だ。そして相手を特定し、その仲間同士の間だけで貿易自由化を進める。その意味で、当該協定の仲間に入っていない人々を差別している。排他的である。すなわち、FTAは地域限定排他貿易協定だ。
このやり方は、WTOの「自由・無差別・互恵」の原則に真っ向から反している。(中略)
EPA(Economic Partnership Agreement)は、FTAの拡大版だと考えればいい。経済連携協定である。
貿易のみならず、ヒト・モノ・カネの全般にわたって協定国間の関係を強化していこうというわけである。
かつて、国境を越えて国と国との間で行き来するのは、もっぱらモノだった。だが、今やヒトもカネも情報も、いとも簡単に国境を越える。国境を越えない物事が、ITが作り出すバーチャル空間を通じて国境の向こう側の人々に影響を及ぼす。そんな時代の自由貿易協定が、すなわちEPAなのだと考えておけばいい。(中略)
TPP(Trans Pacific Partnership Agreement)は、要するにFTAあるいはEPAの一形態だ。既に見た顔ぶれの国々の間で「環太平洋パートナーシップ協定」という名前のFTAもしくはEPAを締結しようという構想である。(中略)
アメリカの通商代表は、TPPは「アジア・太平洋地域」におけるアメリカの輸出拡大に寄与すると言っている。このことから見ても、アメリカにとってTPPは明らかに太平洋上の日付変更線の向こう側の世界を視野に入れた通商テーマだ。(中略)
特徴は大別して二つある。第一に、交渉対象分野が極めて広い。第二に、関税交渉に関する条件設定が極めて厳しい。(中略)
TPP交渉においては「あらゆる関税をゼロに」が前提になっているのである。(中略)
というわけで、TPPとはすなわち「環太平洋」という特定地域を対象とするFTA構想である。
交渉の分野の広さから言えば、EPAの一類型だという方が正確かもしれない。だが、EPAも要はFTAの発展形態であるから、より一般的な言い方として、TPP構想は環太平洋地域版のFTAであると言って差し支えないだろう。
交渉分野が広くて、関税交渉の条件が厳しくて、何とも不可思議な起源と経緯を背景とするFTA。それがTPPの本質だ。

鈴木 : TPP交渉の対象分野は24分野もあり、多岐に渡っていますね。日本政府の整理・分類によれば21分野に上ります。

: そうなのです。日本での報道のされ方を見ていると、主に農産物中心のイメージに偏りがちですが、それではTPPの全貌は見えてきません。

鈴木 : 交渉分野は「物品市場アクセス」「電気通信サービス」「金融サービス」「投資」「環境」「労働」「知的財産」に至るまで多種多様な業種・業界が対象となっています。改めて驚きました。ぜひ同書を読んで読者の皆さんにも確認してもらいたいと思います。

: まず、TPPが単なる日本農業の保全問題ではないということをご理解いただきたいですね。

鈴木 : 各々の通商形態とその実態を把握できたところで、第2章からはタイムスリップの旅が始まりますね。この発想がおもしろくて読みやすい!

: ありがとうございます(笑)。通商の歴史書というのは、どうしても読みづらい難しい書になりがちなのですが、できる限り、読者の皆さんの頭に入りやすい表現の仕方を試みました。史実を整理しやすくするために、タイムスリップした時代ごとに区切って「世界経済史年表」も付けています。

浜矩子さん

鈴木 : 本当にわかりやすかったです。そのタイムスリップですが、まずは第2章、WTO(World Trade Organization : 世界貿易機関)が誕生した1995年へと向かいますね。そこではWTOの前身がGATT(関税と貿易に関する一般協定)であること、最も今的であるはずのWTOがグローバル化の進展により、今や取り残された存在になってしまった経緯と理由が明かされています。この第2章を読んで、WTOがうまくいかない時代状況や、実際にいくつかの問題点があるにしろ、FTAやTPPで細かく貿易区域が限定され始めている今こそ、WTOが掲げる自由貿易の基本理念に立ち返るべきなのではないか、と改めて考えさせられました。

(『誰も書かなかった世界経済の真実』~第2章「1995年 哀れWTO-最も今的なのに最も今から遠い存在~」より抜粋)
実際に、WTOの「自由・無差別・互恵」の基本理念は、まさしく国々が一つのグローバル市場を分かち合っていくための指針にふさわしいものだと思う。まず、「自由」から行こう。(中略)
自由な交易は国々を相互依存関係のネットワークの中に組み込んでいる。お互いに相手なしには生きていけない。相手がモノを買ってくれること。そして相手がモノを売ってくれること。この前提の上に、国々の経済活動が成り立っている。この関係が広範に成り立っていれば、誰もが誰もを大事にするようになる。(中略)
ただし、自由もあまり濫用されるとかえって危険だ。GATT・WTO体制が目指しているのは、加盟各国における高い雇用水準の実現である。したがって、自由に任せた輸入品の洪水的流入で、国々の国内雇用が脅かされるようなことになっては、本末転倒になってしまう。(中略)
結局のところ、自由貿易は生かすも殺すも当事国たちの見識と節度にかかっているということになる。ここは、重要なところだ。いかに精緻な管理体制を作り上げても、人間が悪知恵をもってその網の目をかいくぐろうとすれば、しょせんはどうにでもなってしまう。(中略)
自由貿易の世界は、基本的に性善説が通用する世界でなければならない。(中略)
「無差別」についてはどうか。これがまた、実に重要な概念だ。無差別とは読んで字のごとし。差別をしないということだ。相手を区別しない。選ばない。相手によって態度を変えない。誰に対しても、同じように振舞い、対処する。それが無差別原則の意味するところだ。
GATT・WTO体制の下での無差別原則は、「最恵国待遇」というもう一つの概念としっかり結びついている。
最恵国を辞書で引けば、「通商条約を締結する諸国のうち最も有利な取り扱いを受ける国」とある。いわば、上得意のお客さんとして、特別扱いをするということだ。
驚くべきことに、GATT・WTO体制下では、この特別待遇の無差別適用が原則となっている。最恵国待遇の無差別適用。これが、WTOが掲げる無差別原則の意味なのである。全ての貿易相手国を分け隔てなく、とびきりの上得意扱いをするのである。(中略)
この理念に忠実であることは、容易なことではない。そもそも、人間は特別扱いが大好きだ。特別扱いは、する方においてもされる方においても、お互いを大切に思う気持ちにつながっている。だが、これも行き過ぎれば差別となれあいと腐敗の温床になる。そして、国々の間でえこひいきが充満すると、それは排除と囲い込みの論理につながっていく。(中略)
ここまで来れば、EPAやFTA、そしてTPPがいかに非WTO的なものであるかは明白だ。そして、非WTO的であるということが、いかに危険な道に引き込まれる恐れを秘めているかも、見えてくる。無差別原則は、特恵主義が地球経済を斬り刻んでいくことに対して、先人たちが用意してくれていた絶妙な防波堤なのである。今こそ、その効力に頼るべきときだ。
そして「互恵」である。お互いに恩恵を施し合う。それが互恵の精神だ。この互恵によく似た言葉で「相互」というのがある。相互主義と互恵主義。この二つはWTO加盟国間の関係を規定する二つの柱だ。(中略)
互恵の二文字が相互の後に続くことで、締約国間の関係が大きく変わることは明らかだ。相互主義のみによって結ばれている関係であれば、行動に際して相手への影響をおもんばかる必要はない。自分が相手より損をしなければいいだけの話だ。だが、そこに互恵の要請がかぶさってくれば、状況は一変する。お互いの恩恵を施し合う。それを念頭に行動しなければいけない。

鈴木 : この相互関係という言葉と互恵関係と言う言葉はとてもよく似ていますが、実は根底の部分で、その意味が違ってくるのですね。

: そうなのです。相互主義というのは、奪い合いの論理、それに対して互恵主義は分かち合いの論理と言えます。つまり相互主義は、市場においてどれだけのシェアを奪い取ることができるのかを考えること、一方、互恵主義は市場をいかにうまく皆で分かち合いシェアできるかをおもんばかること。奪い合いの対象として、マーケット用語で言うところの占有率のシェアと、フェイスブックなどで浸透している分かち合いを意味するシェアとの間には、大きな違いがあります。奪い合いのシェアの意識が強まれば、それは地球経済を斬り刻み、占有率を高める行動につながっていくことになります。

鈴木 : EPA、FTA、TPPは、各国同士の奪い合い、国々が自国の占有率を高めるためのシェア意識と言えそうですね。この「シェア」については、第3章において1948年、第4章で1930年代へと遡る旅をした後、第5章にて、浜先生の見解を述べていらっしゃいます。これまで転倒、倒錯、混迷してきた「通商」の世界の未来に向けて、その解決策が見出されていきますね。浜先生らしい発想だなぁと感じました。私がまさに「惚れた!」ご意見でもあります。

(『誰も書かなかった世界経済の真実』~第5章「再び2012年へ~グローバル時代に合った「理念探し」マラソン~」より抜粋)
グローバル・ジャングルには、固有の共生の論理が内在している。それを発見することが、グローバル時代を生きる我々の使命なのだと思う。そのように考えたとき、やっぱり「自由・無差別・互恵」の中に、少なくとも解答の一角が潜んでいるのだと思えてならない。
競い合いながらも、調和する。共生しながらも、切磋琢磨する。そのような関係の中で高めあい、支え合っていく。最大のライバルが最大の友にほかならない。そんなイメージが21世紀的「自由・無差別・互恵」の中から浮上しては来ないだろうか。分業は支え合いであり、貿易は分かち合いにほかならない。
この原点を国境なきグローバル時代においてどう再確立するか。このテーマを追求していく中で、我々はグローバル時代を共に生きるための勘所を見出す場面に向かって前進していくことができるのではないか。

鈴木 : まとめとなる第5章では、そもそも市場というものが、弱肉強食のジャングルの世界なのか、ということについても触れていらっしゃいます。浜先生はそこは違うのではないかという考えをお持ちですね。

: はい。ジャングルという世界は、淘汰の世界であるのは確かですが、調和を保った共生の世界でもあるわけです。つまりあらゆる生き物たちが、各々に一定の役割を果たし、生態系の循環が形成されている世界です。

強者だけが他の全てを食べ尽くし生き残ったとしたら、そのうちに生態系は滅びてしまいます。本来の共生・互恵の関係はジャングルの世界でも成立しているのです。グローバル・ジャングルの共生の論理を多くの人たちが知り、そこから今、そしてこれからの時代に合った理念・解決策を見出すことができれば、と思っています。

鈴木 : その理念探しのマラソンのゴールを読者の皆さんにも目指してほしいものですね。今日は忙しい中、ありがとうございました。

: ありがとうございました。

執筆者プロフィール : 鈴木 ともみ(すずき ともみ)

経済キャスター、ファィナンシャルプランナー、DC(確定拠出年金)プランナー。中央大学経済学部国際経済学科卒業後、ラジオNIKKEIに入社し、民間放送連盟賞受賞番組のディレクター、記者を担当。独立後はTV、ラジオへの出演、雑誌連載の他、各種経済セミナーのMC・コーディネーター等を務める。現在は株式市況番組のキャスター。その他、映画情報番組にて、数多くの監督やハリウッドスターへのインタビューも担当している。日本FP(ファイナンシャルプランナー)協会認定講座『FP会話塾 ~好感度をアップさせる伝え方~』講師。