鉄道というと、旅行や生活の足、つまり「乗るもの」ですよね。鉄道好きのジャンルとして、「乗り鉄」という言葉もありますし、乗ることが大きな楽しみなのは間違いないでしょう。でも今回は、一般の人は乗れない鉄道のお話です。同じように線路を走っているのに、お客さんを乗せない鉄道。貨物列車のお話です。

写真は北海道で見つけた車掌車。車内は荒れていた

ダイナミックな貨物列車に連結された車掌車に憧れを抱き…

筆者がまだ小さかった頃、昭和40年代の終わり頃ですが、近くの路線を走る貨物列車がやたら長かったような記憶があります。高度経済成長で物流が活発化していたからとか、おそらくそういうことだったのだろうと思いますが、国鉄の踏切でたまに貨物列車に出くわすと、とにかく長く待たされたのを覚えています。

でも、それが嫌だったかというと、そうでもありませんでした。いろんな形の貨車があって、見ていておもしろかったからです。

まるで倉庫のような有蓋貨車や、石炭を満載したホッパ車、タンク車、車運車、牛を積んだ家畜車、コンテナ車……。さまざまなタイプの車両が延々と、何十両も引かれていく様は、なんとも言えないダイナミックなものでした。

そして、いつも最後に連結されていたのが、黒くて小さな車掌車でした。

昔の子供はいまどきの子みたいに夜遅くまで起きていませんでした。筆者も夜9時になると寝てしまう、ごく普通の"良い子"でした。その頃住んでいた家は、200mほど離れたところを国鉄の線路が通っていて、布団に入って寝ようとするタイミングで、よく列車の音が聞こえたのです。夜の底の方からやって来て、「タタントトン」と遠く響いて、また夜に吸い込まれるように去っていく。そんな列車の音を聞きながら、いつも眠りに入っていくのでした。

真っ暗な闇に向かって、2本のレールがすうっと、溶け込むように延びています。重々しいディーゼルの音を響かせて、DD51形が通過していきます。その後に数十両の貨車が、「ガタゴト、ガタン」と続きます。そして車掌車の赤い尾灯が2つ、心細げに夜の奥へと沈んでいきます。そんな夢とも現実ともつかない情景……。おそらくそれは、実際に見ていません。けれどもその情景が、いまだに心の奥に残っているのです。なんともいえない強烈なノスタルジーを感じてしまうのです。

実際に車掌車に乗れるのは、もちろん車掌さんをはじめとする乗務員たち。鉄道会社の人たちだけが乗ることができ、一般の人はめったに乗ることができない車両です。それでも筆者は、いつか車掌車に乗ってみたいと思い続けていました。たくさんの貨車をつないだ後に続いて、「タタントトン」と、延々と。夜通し走って、知らない街で夜が明ける。そんなシチュエーションに憧れを抱いていました。

でも気がつくと、いつの頃からか貨物列車に車掌車はつながれなくなってしまっていました。調べてみると、その境は1985(昭和60)年だったようです。もともと乗れない「夢の車掌車」でしたが、さらにもうひとつ、物理的なハードルまで上がってしまいました。