東日本大震災の影響で、JR水郡線が全線不通となっていましたが、4月15日に全線での運行が再開されました。水戸から郡山へ、久慈川に沿って北上する水郡線。沿線は、田園地帯と山地が織りなす里山の風景が広がり、日本三大名瀑の1つとして有名な「袋田の滝」など、観光スポットも点在します。今回は、そんな水郡線磐城石川駅での貴重な3列車交換風景の写真です。

下り列車先頭のキハ35車内から上り貨物列車を発見し、すぐにシャッターを切った。水郡線磐城石川にて。1974(昭和49)年11月

下り列車最後尾のキハユニ15と上り貨物列車との並び。タブレットを持つ駅員が荷物を降ろしている。郡線磐城石川にて。1974(昭和49)年11月

下り列車に乗って磐城石川駅に到着したところ、貨物列車が停車していたのですぐに下車して撮影。乗ってきた列車の最後尾は、改造されたブタ鼻ライトがご愛敬な湘南電車顔の珍車・キハユニ15でした。しばらくすると、上り列車が郡山方面より到着。目の前で、列車2本と貨物列車、計3本の列車交換が行われたのです。

郡山方面より上り列車が入線、先頭はキハ25。水郡線磐城石川にて。1974(昭和49)年11月

目の前で行われた3列車の交換。上り列車のキハ28、下り列車のキハ35、上り貨物列車が並ぶ貴重なシーン。地方でよく見られた構内踏切が懐かしい。水郡線磐城石川にて。1974(昭和49)年11月

2本の普通列車が発車後、しばらくしてから貨物列車が発車。水郡線磐城石川にて。1974(昭和49)年11月

当時の駅構内には数両の貨車が留置され、それなりの貨物扱いがあったようです。その後、水郡線の貨物営業は1987(昭和62)年に廃止されました。水郡線のバラエティーに富んだ車窓からの風景は、今でも思い出に残っています。大きく蛇行する久慈川を何度も渡りながら展開される里山の風景、長閑な田園地帯、山地を行く山岳線のような雰囲気……。機会があれば、ゆっくりと全線を乗り通してみたいですねぇ。

キハ25・35・28で組成された4連が行く。気動車は、通勤形から急行形まで雑多な形式が連結運転可能だった。水郡線常陸大子 - 下野宮にて。1974(昭和49)年11月

車窓から見えた久慈川に木橋らしきものが見える(水郡線)。1974(昭和49)年11月

まるで模型のような待合室で、思わずシャッターを切った。水郡線東館。1974(昭和49)年11月

松尾かずと
1962年東京都生まれ
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現: 目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う撮り鉄に。特に、73形が大好きで南武線や鶴見線の撮影に足繁く通った。