いまでは当たり前のように利用されている新幹線。その路線網は北海道や北陸へも延びつつあり、リニア中央新幹線も実現しようとしている。思えば東海道新幹線の成功は、日本のみならず、世界の高速鉄道のきっかけにもなっただろう。だがかつて、鉄道は斜陽の時代と考えられていた。不祥事が続く国鉄の総裁を引き受けた十河信二は、島秀雄を技師長として招請し、弾丸列車計画に鉄道の夢、日本の未来を託す……。

『新幹線をつくった男たち』は2004年、テレビ東京の開局40周年記念で放送されたドラマ。東海道新幹線の開業が同じ1964(昭和39)年という縁で生まれた企画だ。原作は高橋団吉氏の著書『新幹線をつくった男 島秀雄物語』。新幹線計画の立役者となった島秀雄氏の実話を元にしたドキュメンタリーだ。脚本はヒューマンドラマに定評があり、劇画『人間交叉点』の原作者でもある矢島正雄氏。島秀雄役は松本幸四郎さん、十河信二役は三國連太郎さんが演じた。2005年にビクターエンタテインメントからDVDが発売された。

東海道新幹線は1964年に開業した(写真はイメージ)

「ゼロ戦」から「ゼロ系」へ、技術者たちの新たな目標

1955年5月。宇高連絡船「紫雲丸」は貨物船と衝突して沈没。修学旅行の小学生など160名以上が死亡する大惨事であった。そのニュースを島秀雄は住友金属工業の取締役室で見ていた。島は国鉄の出身であった。しかし、国鉄勤務時代の労使問題のこじれ、事故や不祥事の連発、桜木町事故の処理における上層部の醜態に嫌気がさし、4年前に退職していた。

この事故はもう1人の男の運命も変える。鉄道院出身で満州鉄道の理事を務め、引退後は静かに余生を過ごしていた十河信二であった。71歳だった彼は、紫雲丸沈没事故で引責辞任した国鉄総裁の後任に請われ、第4代国鉄総裁に就任する。十河にはやり残した仕事があった。戦時中に発案された「弾丸列車計画」だった。東京~下関間に標準軌の新線をつくり、将来は海底トンネルで北京へつなぐ……。しかし戦争の激化で計画は中止に。

総裁となり、東海道本線の輸送量が限界と知った十河は、弾丸列車計画を復活させようとする。十河はかつてD51や湘南電車を設計し成功させた鉄道技師、島秀雄を招聘する。「国鉄には戻らない。もう55歳の自分には夢を追えない」と言う島に、「私のような老人にも夢はある」と十河が諭す。弾丸列車計画は島の夢でもあり、島の父で鉄道技術者の安次郎の夢でもあった。島は機関車ではなく、電車による高速列車を提案。弾丸列車ではなく「新幹線」という新たなプロジェクト名を十河に伝える。

しかし、国鉄の理事たちや世論は新幹線に無関心だ。同作品では、新聞記者の林田(益岡徹)に、「もう鉄道の時代は終わったんですよ。これからは飛行機と自動車の時代です。アメリカだって線路を剥がしてハイウェイにしているじゃありませんか」と言わせている。これが当時の世論であり、不祥事続きの国鉄に対する国民の懐疑心でもあった。

一方、島の国鉄復帰を鉄道技術者たちは歓迎する。彼らの多くは陸海軍の航空技術者たち。敗戦により冷や飯を食っていた彼らは、島の高速鉄道計画に共鳴し、寝食を忘れて研究に没頭する。それぞれの心の中に、戦時中に死んでいった仲間やパイロットへの思いがあった。ゼロ戦の振動抑止技術、風力解析技術などがそのまま新幹線0系へとつながっていく。

その研究成果を実際の車両設計に活かす役目は、島家3代目の鉄道技術者、島隆であった。さらに島は、かつての盟友で北海道支社長の大石重成を新幹線調査室長に迎える。東海道新幹線実現に向けた、十河、島、大石の奮闘が始まった……。

歴代新幹線車両や保存車両たちが「脇役」に

同作品はJR西日本とJR東海の協力により撮影された。とくにJR西日本の協力は大きく、引退直前のドクターイエロー(922形)を使って走行中の台車やパンタグラフなどが撮影された。当時、このドラマの制作に関わった映像プロデューサーの竹山昌利氏によると、この撮影がきっかけでJR西日本にロケーションサービス部門が設立され、後の映画『旅の贈りもの 0:00発』につながっているという。

新幹線が舞台とあって、映像には東海道新幹線の歴代車両が登場するほか、島が手がけたD51など、博物館の保存車両も映し出される。まるで映像による鉄道博物館だ。島が大石に会いに行く列車が、大井川鐵道のC11というのはご愛嬌。新幹線開業時のニュース映像もあり、新幹線建設のエピソードを知る貴重な作品ともいえる。DVD版の特典映像によると、新丹那トンネルの工事現場は北陸新幹線飯山トンネルがロケ地に選ばれたという。

ちなみに、三國連太郎さんはインタビューで、別の映画のロケで十河本人に会ったエピソードを明かしている。「盛岡で」と言うから、おそらく『大いなる旅路』と思われる。

ドラマ『新幹線をつくった男たち』に登場する鉄道

0系 ニュース映像で出発式のH2編成が登場。ドラマの場面は当時JR西日本が保存していた車両を使っている
100系 冒頭で走行シーン、車両基地での並びなど
300系 冒頭で富士山を背景に走る
500系 16両編成の勇姿
700系 ドラマ放送当時の最新鋭車両として新幹線紹介場面などに登場
800系 冒頭の新幹線網紹介で
400系 冒頭の新幹線網紹介で
win350 車両基地の並びのシーンにちらりと映る
D51形蒸気機関車 2号機。交通科学博物館に保存。島秀雄の設計とされる
C62形蒸気機関車 26号機。交通科学博物館に保存。島秀雄の設計とされる
80系電車 前面3枚窓の湘南電車。交通科学博物館に保存。島秀雄の設計とされる
パシナ979(絵) 満州鉄道の機関車。特急あじあ号で使用された。島秀雄の父、安次郎が関わったとされる。国鉄総裁室で十河が島秀雄に絵を見せ、国鉄に復帰するよう説得する
小田急3000形 SE車。設計に国鉄の技術陣も加わり、狭軌速度記録試験のために東海道線を走った。島が小田急に持ちかけたというエピソードが紹介される
東京駅 いまとなっては懐かしい八角屋根。国鉄本社の場面などで背景に映る
新幹線鴨宮車両基地 ラストシーンで十河と島が歩く。新幹線の実験線の基地としてつくられ、後に新幹線の車両基地となった。現在は保線車両の基地となっている。新幹線発祥の地の記念碑がある
東京駅18・19番ホーム 十河のレリーフが紹介された