焼山寺を14時45分に出発して、下りの道を進むと途中の道にある杖杉庵(じょうしんあん)に15時20分に着いた。

杖杉庵は、次のようないわれがある。昔、伊予国(愛媛県)に衛門三郎というお金持ちなのにケチな長者がいた。そこに諸国を巡っていた弘法大師が訪ねて施しを幾度にわたりお願いしたが、衛門三郎は何もあげなかった。それどころか大師の鉢をうばって投げ捨てた。すると鉢は8つに割れ散った。その後8日間、衛門三郎の8人いた子どもが毎日1人ずつ死んでいった。そこで衛門三郎は自分の強欲さを悟り、大師の後を追いかけて、四国88カ所を巡った。ところが、20回まわっても大師に会うことができない。それで、21回目は逆にまわり、ついにここ焼山寺で大師に巡り会うことができた。でもそのとき衛門三郎はもう死にかけていた。大師は、衛門三郎の最期を看取り「衛門三郎再来」と書いた石を三郎の手に握らせ、再来を祈願した。大師が墓標として衛門三郎の杖を立てると、杖から芽が出て大杉が育ったという。その杉が、ここ「杖杉庵」の名前の由来でもある。

杖杉庵のお堂

杖杉庵の像

衛門三郎の墓

大杉は享保年間に火災で焼け、今ある杉は後に芽生えたものだそうだ。51番札所「石手寺」には、衛門三郎の生まれ変わりとして生まれてきた子どもが握り締めていたという「衛門三郎再来」と書いた石が残っているという。51番に行ったら忘れないように見なくては! また47番の近くには、衛門三郎の子どもたちの墓が残されている(八塚)とされ、この衛門三郎の伝説が四国遍路の由来とも言われている。境内には衛門三郎と弘法大師が出会ったときの像があった。衛門三郎のお墓もあったのでお参りして「私も無事にお遍路、まわれますように」とお願いした。

下りの道は、何人も歩きお遍路さんに出くわした。私の前を歩く中年男性の4人のグループは白いお遍路の巡礼スタイルだけど荷物を持たずに手ぶらで歩いている。どうも、荷物は車に乗せて運んでもらっているらしい。私はリュックが重かったのでうらやましかった。

下りの遍路道は何度も車道と交差していたので、ずっと山道を歩いているという感じはなかった。スケジュール上、明日は徳島市内に着きたいので、次の13番札所の大日寺まで歩きでなくバスで行くことにした。でも、バスは1日に朝昼夕の3本しか走ってなくて最終は16時31分。なんとか16時には山道を抜け、バス停近くまでたどり着いた。山道を抜けたすぐのところには食堂があって、店先で人が待っていた。どうやら先ほど手ぶらで歩いていた男性4人グループのお遍路さんと知り合いらしく、親しげに「待ってたよ」と飲み物を出していた。ほぼ一緒に歩いていた私も招き入れてくれて「ごくろうさん、一緒に休んで行きなさい」と飲み物とうどんをご馳走してくださった。運よく、お接待を受けれたのである。ありがたい。

念のためお店の人に、バス停の場所を確認すると「すぐそこにあるバス停でなくて、もう少し先のアベ酒店の前の広場にバスが来るよ」と親切に教えてくれた。そういえば、焼山寺のお坊さんもそう教えてくれていた。お礼を言い、食堂を後にしてバス停へ向かう。5分もしないで酒屋の所のバス停に着いた。バス停で待っている人は誰もいなかった。なんとなく不安になって待っていると町営バスがやって来た。そのバスは直接13番札所「大日寺」に行けるのではなくて、いったん街まで行って乗り換えだ。終点「寄居中」というところでバス料金250円を払い、バス停も何もない店先で待っているようにと教えられる。時刻表は店の看板に貼られていた。

しばらくすると、バスはほぼ定刻通りの16時48分になるとバスはどこからともなくやって来た。はじめは乗客もまばらだったが、乗っているとだんだん混んできた。ぜんぜん着かないので不安になり、前に座っていた人に「13番札所の大日寺はどこで降りたらいいんですか? 」と訪ねると「一宮札所前ってとこで降りるやわ」と教えてもらった。てっきり「大日寺前」というバス停があると思い込んでいたので、聞いてよかった。疲れていたのでついうとうとしていると、前のおばさんが「次だよ」と教えてくれた。あわてて財布からバス料金750円を支払い、無事バスを降りると、すぐのところにバス停の名前の一宮神社があり、その向かいに大日寺があった。もう今日は遅いのでお参りは明日にし、大日寺のすぐ隣にある宿泊予定の「かどや」へ行った。宿泊は私と中年夫婦のみ。その夫婦のすぐ隣の2Fの和室の個室に通され、豪勢な夕飯を食べ、眠りに付いた。翌日の朝食は、1Fのバーのような小さな食堂で食べる。身支度をとすませ、清算し隣の大日寺へ向かう。

大日寺の山門を入ると、正面に合掌した手の形のオブジェの中に安置された「しあわせ観音」の像がある。その名の通り、幸せを祈るとよいそうだ。その前に新しくてきれいな宿坊があったので「こっちに泊まればよかったかも」と後悔するが後の祭りだ。

大日寺宿坊(きれいな宿坊のほう)

さて、ここ13番札所「大栗山 大日寺(おおぐりざん だいにちじ)」は元々、向かいにある一宮神社の別当寺だった。札所は一宮神社で、納経所が大日寺だったという。それが明治の廃仏毀釈の政策によって分けられたのだ。その時に一宮神社の本地仏であった十一面観音像を大日寺に移して本尊とし、この十一面観音は行基菩薩の作と伝えられている。元の本尊であった大日如来像は、脇待仏となってしまった。だから大日寺というのに、本尊は大日如来ではなくて、十一面観音像となった。四国八十八カ所で同じ名の「大日寺」は他に2つあるが、そちらは名の通り大日如来が本尊である。両方秘仏だが、弘法大師が亡くなった日(旧暦の3月21日)のみご開帳されるそうだ。

大日寺山門すぐのしあわせ観音

一宮神社

大日寺本堂

大日寺大師堂

大日寺は弘法大師が開かれた寺。弘法大師が弘仁6(815)年にこの地を巡っていた際に、鮎喰川の対岸にある「大師ヶ森」で護摩の修法をしていた。その時に大日如来が現れたので、大師は大日如来の像を刻んで本尊としてお堂を建立したという。境内はこじんまりとしていた。お参りをすませ、せっかくだから向かいの一宮神社もお参りする。鳥居が物干竿のような青竹で、少々変わっている。ここでのんびりもしていられないので、さっとお参りをすませ、約3km先の14番札所を目指した。