前回は「値段」が経済の動きにどう関わっているかについて説明しました。この値段(価格)は、「100円」とか「1ドル」とかいうふうに、お金の額を単位として示されます。そこで、今回は「お金」について考えてみましょう。

ハイパーインフレを起こした「ジンバブエドル」、手前はなんと「100兆ジンバブエ・ドル」

お金に注目しすぎると経済の本質が見えなくなる?

この連載では、「お金に注目しすぎると経済の本質が見えなくなることがある」と再三、注意を促してきました。その理由は、お金というものの実態が実に複雑怪奇でとらえどころがなく、理解が難しいものだからです。そもそも正体のわからないものを手がかりに経済を理解しようとすると大事なことが見えなくなる可能性があるので、この連載ではあえて後回しにしてきたのです。

ただ、お金は経済という物語の中で個人や企業、政府といった登場人物たちをつなぐ重要な役割を果たしているので、避けて通るわけにはいきません。今回は、お金がいかに不思議な存在かについて考えてみましょう。

子どものころから身近に接しているので、私たちはお金が何者なのか知っているつもりになっています。でも、実は経済学者たちでさえ、お金の働きについて完全には解明できていません。

お金はなぜ価値があるのか

お金にまつわる謎はたくさんあるのですが、その一つが「お金はなぜ価値があるのか」という問いです。

もしかすると、「1万円札に1万円の価値があるのは当然じゃないの?」と思うかもしれません。しかし、考えてみれば、1万円札は金額と福沢諭吉の肖像画を印刷した、ただの紙切れにすぎません。紙幣を作るのにかかるコストは1枚数十円とされており、金貨などと違ってその材料に1万円の価値が含まれているわけではないのです。

もっと言えば、実は世の中に存在しているお金の大半は、実は「お札」や「コイン」のように形を持っていません。紙や金属でさえない、幽霊のような存在なのだと聞いたら、みなさんは驚かれるでしょうか。

例えば私たちが親しんでいる「円」は、発行元の日本銀行(日銀)から、私たちが取引している民間銀行に引き渡される形で世の中に出回ります。こう聞くと、日銀から銀行に札束を積んだ現金輸送車が走っていく様子を思い浮かべるかもしれません。

しかし、そうやって運ばれて行くのは、お金全体の中の、ほんの一部にすぎません。実際にはほとんどが、民間銀行が持っている日銀の預金通帳のようなものに「金額を書き込む」ことで発行されるからです。お金の全てが、お札やコインの形で発行されるわけではないのです。

私たちがクレジットカードで買い物をするときも、お店やクレジットカード会社、銀行などが裏で札束をやりとりしているわけではありません。企業と企業の取引のほとんどは、コンピューター上にあるそうした「預金通帳」の数字を書き換えることで手続きが終わります。例えばA銀行からB銀行に送金するときは、A銀行の口座の金額を減らし、B銀行の側で同じ額だけ増やすわけです。

実は円に限らず、世の中に存在するお金のほとんどは、お札やコインではなく、単なる「数字の記録」です。電子マネーのような「データ」にすぎないのです。

お金が「体」を持たないと知って不安になった人もいるかもしれません。しかし、そもそも「1万円」といった価値自体も、考えてみるとあやふやなものです。例えば明治時代の初めに「円」が登場したころの価値は、1円が純金1.5グラムでした。今、純金1.5グラムを買うには、日によって変わりますが7,000円ほど必要です。つまり、純金を基準にすると1円の価値は約140年で7,000分の1に下がったわけです。

選挙公約にからんで最近よく聞くようになった「デフレ」「インフレ」といった言葉も、お金の価値が日々、変動していることを物語っています。モノ全般の値段が下がっていく「デフレ」は、1万円で買えるモノやサービスの量が増えているわけですから、裏返すと「お金の価値が上がった」ことを意味します。逆に、「インフレ」は、同じ金額で買えるものが減ってしまうので、「お金の価値が下がった」ことになります。つまり、私たちが意識しないだけで、「1万円の価値」も日々、変わり続けているのです。

お金は「信用」があって初めて役目を果たす

最初の疑問に戻りましょう。私たちが、数字を印刷した単なる紙切れを「1万円札」としてありがたがるのはなぜでしょう。突き詰めて考えると、「1万円という価値を持つとみんなが信じているから」と言うしかありません。1万円札をお店で渡せば、それと引き換えに商品を受け取れるはずだと信じているから、自分自身も1万円札をもらう代わりに働いたり、お客に商品を渡したりするのです。

言い換えると、お金はそういうみんなの「信用」があって初めてお金の役目を果たせます。そもそもは紙切れや、形のない数字でしかないものが、価値を持ち、取引に使われるのです。

そのことが実感できる極端な例が「ハイパーインフレ」です。お金に対する人々の信用が失われ、例えば価値が毎日半分になるようなスピードで下がっていく現象です。こうなると、お金の価値は文字通り「紙切れ同然」になります。

私の手元には、アフリカのジンバブエという国で発行されたお札があります。その額面はなんと「100兆ジンバブエ・ドル」。よく見ると、確かにゼロが14個並んでいます。もしこれが「米ドル」であれば、1枚持っているだけで大金持ちです。でも残念ながらそんなことはなく、発行された当時から日本の1万円札より低い価値しかありませんでした。

それは、これを発行するジンバブエ政府を、人々が信用しなくなったからです。このお札を受け取っても、それを別の人が受け取ってくれるはずだという信頼感が失われたのです。そのため同国が発行するお金の価値もどんどん下がり、政府はそれを補うために紙幣の額面を引き上げていきました。冗談のような話ですが、ついには1枚100兆ドルの紙幣が印刷され、それでも価値がなくなって最後には廃止されてしまったのです。

お金は私たちの生活に、なくてはならないものです。でも一方で、「買い物に使える」とみんなが信じている間だけ価値を持つ、はかない幻のような存在でもあるのです。 

著者プロフィール:松林薫(まつばやし・かおる)

1973年、広島市生まれ。ジャーナリスト。京都大学経済学部、同大学院経済学研究科修了。1999年、日本経済新聞社入社。経済解説部、東京・大阪の経済部で経済学、金融・証券、社会保障などを担当。2014年、退社し報道イノベーション研究所を設立。2016年3月、NTT出版から『新聞の正しい読み方~情報のプロはこう読んでいる!』を上梓。