今回のテーマは「トレジャーハンティング」。宝探しです。例の「徳川埋蔵金」とか、どうです? 何だかウサン臭いでしょ。でも、ほぼ別世界講座ですから、こういうテーマもガシガシ取り上げていく予定です。

「トレジャーハンティングというのは、海外では高尚な大人の遊びとしてとらえられています。でも日本では、山師が金目当てに行う胡散臭いものと思われている。一時期テレビでブームとなったときは、機械を使った大掛かりな作業というイメージが植えつけられました。そのような誤った認識やイメージを変えたいんです」

今回お話をうかがった「日本トレジャーハンティング・クラブ(JTC)」代表の八重野充弘(やえの みつひろ)さんは、そう強調しました。

八重野さんのサイトには、埋蔵金に関するさまざまな情報が掲載されていますが、メインインデックスには次のような文章で始まる「注意事項」があります。

「トレジャーハンティング(宝探し)は夢とロマンの対象である反面、とてつもない魔性も秘めています。"一攫千金"の欲望だけにとりつかれて、人生のほとんどを探索にかけ、財産を失い、家族や社会的信用も失い、最後は食うや食わずで独り寂しく死んでいった人が何人もいます。……」

……はい、怖いですね。実際、トレジャーハンティングのことを聞いていくと、結局最後は「人間」の話になっていったのでした。

そもそも埋蔵金ってホントにあるの?

ところで、トレジャーハンティングの話をうかがう前に、埋蔵金はほんとに出るものなのか聞いてみました。

最上川で発見された小判。白鷹町役場に23枚所蔵されている

「太平洋戦争後だけでも見つかった例はおよそ50件あります。すべて工事中に発見されていて、トレジャーハンターが掘り当てた例はありません。ところが日本の埋蔵金研究の第一人者で私の師であった故・畠山清行先生によると、昭和30年代から40年代にかけて、先生のもとに報告された発見は100件を超えていたそうです」

思いのほか埋蔵金が発見されていた事実。知りませんでした。ではなぜそれほどの発見例が表沙汰になっていないのか? 理由は、法律によって発見者がかなり不利になるからだそうです。中には相当理不尽な法律の適用もあるとのこと。発見した人がネコババする気持ちもわかります。もっとも八重野さんはちゃんと届けて法律の問題点を指摘するそうです。もちろん、埋蔵金が見つかればの話ですが……。

過去最高の発見は、1963年、中央区の日清製油本社ビル改築工事現場で見つかった豪商・鹿島清兵衛の埋蔵金で、当時の時価で6,000万円。今ならなんと10億円近くになるそうです。その7年前には、銀座の工事現場から深川の埋立地へ運ばれた土の中から、大量の小判が発見されたこともあり話題となりました。

鹿島清兵衛の埋蔵金。二朱金22,500枚ほどが出た1週間後、二朱金約56,000枚と小判1900枚が発見された。(C)日清オイリオグループ

これが小判。100枚ずつに束ねられていた。一度はこんなふうに手にしてみたいもの。(C)日清オイリオグループ

深川の埋立地の土から見つかった小判。発見者はさぞ驚いたことだろう。(C)小松ストアー

希少価値が高い「慶長」「正徳」「享保」の小判なども含まれていた。現在は、東京国立博物館に収蔵されている。(C)小松ストアー

「30年以上、成果は出ていないですよ」

北陸のある県で旧日本軍の隠匿物資を探索したときのようす。左が八重野さん

八重野さんは1947年熊本市生まれ。大学卒業後、学習研究社で小学生向けの学習雑誌の編集に携わっていた1974年に、熊本県天草下島で財宝探しを開始します。その顛末を綴った『三角池探検記…天草四郎軍の遺宝を求めて』で第3回日本旅行記賞を受賞。以後、本格的にトレジャーハンティングの世界へと進みます。

「天草四郎軍がキリシタン関係の秘宝を『三角池』に沈めたという記録は、江戸のある商家に残されていました。地元では『カラ池』と呼ばれる湿地帯が『三角池』らしいということで発掘調査を行いましたが、残念ながらこれといった成果はなかったですね。このときは、何か見つかるかもしれないと期待する一方で、何も出ない可能性も大きいと思いつつ調査していました。いわば『一歩引いて』臨んでいたわけですが、後から考えるとそれはとても重要なことでしたね」

天草四郎の財宝探し。1974年から78年にかけて計8回調査が行われた

夢とロマンを追い求めるのも、実際はなかなかたいへんそうだ

八重野さんはそのときの様子を描いた著書の中で、「忘れてならないのは、自分たちが虚構と現実の狭間に身も心も置いているということだった」と書いています。

バランス感覚をつねに保ち、その後は徳川幕府の御用金探しをはじめ、数多くの埋蔵金調査を実行。トレジャーハンティングの第一人者として知られていき、雑誌やテレビなどに登場することも多くなりました。

「今まで何が見つかったかよく聞かれます。でも、30年以上まだ何も見つかっていないんですよと言うと、相当の変わり者なんだなという顔をしますね」

そう笑う八重野さんですが、あるテレビ番組で司会者から埋蔵金探しの魅力を質問されたとき、とっさに「人間の能力のすべてをふりしぼって挑戦するに値するものだからですよ」と答えたとのこと。奥が深い言葉です。

埋蔵金探しに大掛かりな機械はいらない

人が大切なものを埋めて隠す。そのとき発揮した知恵に立ち向かうのがトレジャーハンティングだというのが、八重野さんの考えです。

土を掘る前に不可欠なのが資料に当たること。情報の信憑性を分析すること。そして、推理すること。実際のフィールドワークでは体力も必要となります。探知機などは使いますが、大掛かりな機械は使いません。

「昔の人が埋めたものを探すわけですよ。テレビ番組では何十mも掘り下げたりしますが、まったく無意味です。むしろ大切な痕跡を見逃してしまう可能性もあります。私は深さの目安を、数人いれば1日で5、6m掘り出せると考えていますが、これまで発見された埋蔵金で最も深かったのは1.5mです」

徳川幕府の御用金探しのようす。群馬県みなかみ町の旧三国街道(現在の国道17号)沿いで行われた

地下にあると言われていた横穴を発見。結局中からは何も見つからなかったが、「横穴を見つけたときの喜びは忘れられません」と八重野さん

たしかに、昔はパワーショベルなんかありませんよね。宝探し=大掛かりと思い込んでいる人は多いらしいのですが、スコップを使った地道な作業が欠かせないわけです。ちなみに、お金もそんなにかかりません。

群馬県片品村の金山跡でも、徳川幕府の御用金探しを実施。わずかに金山の跡が見える

片品村の金山跡はこんなに山奥。ルートが険しく、辿り着くのもひと苦労だ

「おもしろそうだな……」と思った方は、八重野さんのWebサイトをご覧ください。まだまだおもしろい話がいっぱいあります。また、「日本トレジャーハンティング・クラブ」のメンバーも募集中です。なお、最も手軽な宝探しは砂金採りかもしれません。この情報も充実しています。

このような探知機を利用して探査を行うことも

結局、人間のおもしろさが見えてくる

八重野さんの最新刊『埋蔵金伝説を歩く ボクはトレジャーハンター』(角川学芸出版)。天草にはじまる調査の数々、さまざまな人々との出会いなどが描かれている。あの「徳川埋蔵金」ブームについても言及。埋蔵金探しそのものだけではなく、それを取り巻く人間模様が興味深い

最初に書いたように、八重野さんのホームページのトップには「注意事項」が書かれています。トレジャーハンティングの世界を見続けてきた八重野さんは、さまざまな人間模様を見てきました。裁判沙汰になったり、身を持ち崩す人がいたり……。

「財宝が見つからない場合、最も大切なのは『引き際』です。でも、やっぱり自分を見失ってしまう人もいます」

わかります。「自分はどうなのだろう?」と思わず自問してしまいます。お金やお宝にかかわると、人間の本性が出るわけですね。

「隠したのも人間、見つけ出そうとするのも人間です。埋蔵金探しは、結局、人間の本質、さまざまな意味でのおもしろさが見えてきます」

八重野さんがトレジャーハンティングに魅了されているのは、そんなところにも理由があるのでしょう。

最後にこんな話をしてくれました。

砂金採りに、例えば親子3人で行くと、最初に飽きてしまうのは子供でほかの遊びに移ってしまう。次にやめるのはお父さんで、川原でビールなんかを飲む。でも、母親はいつまでも砂金を探すそうです。

見つかる可能性が高い場合、女性は不撓不屈の精神で挑みます。しかし、見つかるかどうかもそもそもわからない宝探しに興味を抱く女性は、実に少ないとのこと。もちろん、必ずそうだとは言えませんが、女性の現実的な考え方がわかる話ではないでしょうか。

###八重野充弘プロフィール 1947年熊本市生まれ。1970年、立教大学卒業。学習研究社勤務。1974年、熊本県天草下島で財宝探しを開始。1978年、日本トレジャーハンティング・クラブを結成。以後、日本各地の埋蔵金伝説を追い求める。1983年、くもん出版勤務。1992年、作家、科学ジャーナリストとして独立。『桃太郎の黄金』『謎解き・徳川埋蔵金伝説』など著書多数。