最近のインテルの発表

最近のインテル関係のニュースで気になったものが2つある。1つが"従業員の10%を削減"、と"現在進行中のモバイルSoCデザイン(スマートフォン用のアプリケーションプロセッサ)プロジェクトのキャンセル"である。

嘗てAMDに在籍しインテルとの血みどろの競争に明け暮れていた私にとって、インテルは相撲で言えば、さながら北の湖、千代の富士、今では白鳳などのだれもが認める大横綱だった。AMDはと言えば、大関くらいまではいったと思う。横綱相手に1-2回は場所優勝したこともあったが、ケガも多く3場所くらい毎に巡ってくるカド番の場所を何とか切り抜けるというクンロク(9勝6敗)大関と言ったところか。そして、今の私と言えば早々に引退して、今は向正面のアナウンサーの隣に陣取る解説者という気分である。

戯言ではあるが、当時のインテル、AMDをめぐる競合、カスタマーたちを相撲風に表現してみた。これらの企業に勤めた、あるいは現在もいる方には失礼を承知の上でのお遊びとしてお許し願いたい。

2000年当時のPC業界CPUとPC・サーバーメーカー ‐筆者独断と偏見による2000年ころの各社の番付表

さて、冒頭で触れた2つのニュースを読んでため息交じりに感じるのは、往年のインテルの圧倒的な力に明らかに陰りが見られるということだ。"どうしたインテル、そんなはずじゃないだろう!?"と言うのが正直な感想だ。嘗て、インテルは何度も大きな危機に瀕したがそれを常に見事にはねかえし逆に大きく進化、成長してきた経緯があるからだ

  1. 日本メモリメーカーのダンピング攻勢にさらされ、DRAM市場から撤退、マイクロプロセッサに完全にシフト。
  2. Pentiumに重大なバグがあることが発覚、全面リーコールを決定。
  3. AMDの独自アーキテクチャK7、その後のK8に技術的リードを許し市場シェアを大幅に減らすも、コアアーキテクチャで完全に奪回。
  4. 独占的地位の濫用でAMDに独占禁止法違反で損害賠償請求裁判を日本、USで訴えられたが、裁判開始直前にあっさり和解(和解金は1500億円)。

(C)ママカメラ

こうした、幾多の危急存亡の状態にあってインテルは常にいち早く危険を察知、そのあとのリカバリーを偏執狂的なパワーと集中力であっという間にやり遂げてしまい、他を全く寄せ付けない圧倒的に強い横綱として常に君臨してきた。

新たな挑戦者が常に現れ、今までの技術があっという間に陳腐化する"生き馬の目を抜く"厳しい半導体にあって、誰もが"トップ企業1社が横綱として四半世紀も君臨できるはずがない"、と言っていたが、インテルは今までこれを見事にやってのけた。その不屈、常勝の企業DNAは少し前に亡くなったアンディー・グローブが打ち立てたものに間違いない。

それが今はどうだろう。ここ5-6年のインテルの記事は注意して見てきたが、インテルがスマートフォンの急速な隆盛という現実をさすがに察知していろいろな手を打ってきたのは確かだ。しかし"どすこい、どすこい"と柱に向かってテッポウを打つだけで、結果が全く出ていないのだ。

私は、いつかインテルは、クライアントPC・サーバのCPUの世界で今までAMDを含む幾多の挑戦者たちにしてきたように"最初のひと張りくらいは許しても、そのあと怒涛の攻撃でなぎ倒し、最後はだめ押しで病院送りの大けがをさせるに違いない、勝てばいいんだから品格なんか関係ねえ!"、と信じて疑わなかったが、一向にその気配がないのだ。そこにきて、この衝撃的なニュースを見るに至って、"今回のインテルは本当に苦しんでいるな"、という実感がわいてくる。

(次回へ続く)

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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