時代はコンシューマ市場へ

NeXGenの買収も発表され(発表は1995年10月、買収完了は1996年1月)、AMDが次期製品K6を出すということは周知の事実になったが、PC市場はIntelのPentium、MicrosoftのWindows 95(1996年の10月に発表)主導で飛躍的な成長を続ける。IntelはPentiumの大成功をさらに加速する形で、PentiumにMMX(マルチメディアエクステンション)という命令セットを追加し、今までは主にビジネスに使われていたPCプラットフォームをゲームなどの個人的な市場に展開するのに躍起だった。何しろ、ビジネス市場とコンシューマー市場とは規模の桁が違う。今まで、コンピューターだったものが、オンラインゲームのハードウェアになってしまうのだから…

ビジネス市場の製品が一般コンシューマー市場に転換してゆく際に大きく立ちはだかるのは、コストである。ビジネス市場はあくまでも企業の生産性向上の投資対象であるが、コンシューマー市場は個人のポケットマネーから払われるのであるから、おのずとコスパ=コスト・パフォーマンス(このような言葉も、今から考えると電子機器の個人市場への拡大から生まれてきたのだと思う)を追求することとなる。家電量販店にPCが大きな棚スペースを獲得し始めたのもこのころだと思う。この動きに対応すべく、Intel互換のCyrixがMediaGXという統合チップを発表し、千ドルPCのコンセプトを発表した。

Cyrixが千ドルPCを目指して発表したMediaGX (提供:長本尚志氏)

こうした状況にあって、Intelから技術上の主導権を奪うことを主目的とし開発されたK5の完成は遅れに遅れ、結局は1996年の3月にようやく正式発表をみた。しかし、当初の市場からの高い期待に反して、K5としてAMDが発表した2製品K5 PR75/PR90はPentiumに対抗する性能を持ちえなかった。前に書いたように、K5は当時としては革新的な下記のようなアーテクチャを採用していた。

  • 複雑な処理を行う可変長のX86命令を実行するCISC(Complexed Instruction Set Computer)という従来の考え方に加え、アウトオブオーダーのスーパースケーラーのアーキテクチャの採用
  • クロックあたりの命令処理能力を上げるために、X86のCISC命令を、Am29000で培ったRISC(Reduced Instruction Set Computer)風の短い固定命令に変換し、命令の順番に関係なく多数の実行ユニットを使って、複数命令を同時に発行する方法
  • 強化された命令キャッシュ、データキャッシュ

これらのアーキテクチャ上の特徴はIntelが後に第六世代のPentuim Proで採用したものと似ている。ということは、AMDのエンジニア達が目指した方向は正しかったのだが、その優れたアーキテクチャを製品に反映する製造技術を持ち合わせていなかったので、市場の要求とずれが生じてしまい、発表された時にはごく"並の性能の"CPUとしか受け取られなかったということである。ハイテクの市場で一番重要な、Time To Marketの失敗例の典型といえよう。

当時のK5拡販のために制作されたポスター (出典:「THE SPIRIT OF ADVANCED MICRO DEVICES」)

K5は失敗ではなかった

しかし、その後のAMDのCPU開発の動きを見てみると、K5はビジネス的には成功とはいえなかったが、革新的なアーキテクチャの開発、その経験で得た技術的知識・資産の蓄積、高いゴールに向かって果敢にチャレンジするエンジニアの情熱と結束、といった点では全くの失敗とは言えないのだと思う。というのも、K5の開発で培った貴重な経験と技術的資産は、本連載の一番初めで述べたK7:Athlonに明らかに引き継がれているからだ。K7が大成功を収めたころに、10年来の知己のAMDエンジニアと話した時に、"K5は失敗ではなかった、K7の中にK5が生きている"、としみじみ語ったことが懐かしく思い出される。

実際、エンジニアがK5とK7の内部ブロック図を見比べるとK7の中にK5で開発された回路ブロックの痕跡が見られるという。初期のK5は430万トランジスタでできている。前回のシリーズでAm386のリバースエンジニアリングについて書いたが、当時の最新CPUのトランジスタ数はこの時点で既に10倍以上になっていた。CPUの開発は半導体の微細加工とCADソフトの飛躍的な発展により、人間がマニュアルで作り上げるという手法から、各機能ブロックの組み合わせで作られるようになったことがよく理解できる。拡大写真を目視で解析するなどと言うことは、もう既にできなくなっていたのだ。

完成が遅れてビジネス的には失敗したが革新的なアーキテクチャを採用したK5 (提供:長本尚志氏)

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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