サイエンスライター・森山和道氏が、ITビジネス書、科学技術読み物、自然科学書など様々な理系書籍の中から、仕事や人生の幅を広げる「身になる」本を取り上げて解説する「森山和道の身になる理系書評」。今回は、文藝春秋から発刊されている『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』(シーナ・アイエンガー 著/ 櫻井祐子 訳)を紹介する。

「選択」の心理学を解説した『選択の科学』

『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』
価格:1,700円

品揃えが多過ぎると消費者の購入率はむしろ下がる。選択肢を減らし、絞り込んだほうが売り上げは上がる――。実際に市場でも応用されているこの「ジャムの研究」で知られる著者が「選択」の心理学を解説したのが、『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』(シーナ・アイエンガー 著/ 櫻井祐子 訳)である。

なぜ人は「選択」したがるのだろうか。選択肢が多いほうが常に魅力的に感じられるのはなぜだろうか。厳格な戒律のなかで暮らすシーク教徒で、盲目の女性研究者である著者は、「選択」という文脈の中で物事を考えることに対して、常に興味を持っていたという。 「選択」とは自分や環境を変える能力のことだ。そのためにはまずは「自分で状況を変えられる」という認識を持つ必要がある。

本書で紹介されている実験によれば、驚くべきことに動物にもその能力があるらしい。自己決定権の維持やそれが失われることによる無力感が人生の質に関わるだろうことは想像に難くないが、実際に選択権の幅がある職能階級の高い人のほうが健康リスクが低いことが追跡調査で示されていると聞くと、やはり驚いてしまう。だが、制約があるからといって自己決定権の感覚が維持されなくなるわけではない。厳しい戒律のもとで生活している人のほうが楽観的に人生を送っているという研究データもある。問題は、自分の人生を自分で決めているという感覚を持てるかどうかにある。

自分が人生をコントロールしているとはどういう意味なのか。著者はこう述べている。それは、その人がどのような物語を伝えられ、どのような信念を持つようになったかによる、と。たとえば著者の研究によれば、同じ一日を過ごしていても、アメリカ人のほうが日本人よりも、自分に対して開かれていると感じる選択の数は1.5倍もあったという。

「選択」とはすなわち可能性であり、確かに大きな力がある。だが「選択できる」ことに価値を重くおきすぎるあまり、人間は「選択」を手段ではなく目的としてしまう。「選択したい」ことへの欲求が強過ぎるのだ。

では選択できることは常に良いことなのか。違う。「選択」は代償を伴うことがある。著者は本書の後半で、わが子の延命措置をするべきか否かの決断を自分が決めたときと、医師のような第3者に任せた場合とを例に出して論じている。映画にもなった「ソフィーの選択」の話も出てくると言えば、選択そのものが代償を伴うことがあるということの意味も分かるのではないだろうか。自己決定に伴う苦痛だ。

著者は、他人に難しい選択をゆだねたほうが良い場合について、人生で行う選択の総量を減らすのではなく、その配分を変えると考えることによって、他人に選択を制限されて自主性を侵害されることなく、自己決定に伴う不都合から逃れることができると述べている。

この本の邦題は「選択の科学」だが、原題は「The Art of Choosing」である。実際の内容は科学というよりは心理学であり、もっと言えば原題どおり技術/ 芸術、あるいは生き方の指針を模索する著者の様々な思考をまとめた一冊だ。人生は、「運命」や「偶然」としか言いようがないものに左右される。だが、その中に主観を伴う「選択」が入ることで人の物語は主観的に、しかし大きく変化する。他者から知らぬ間に選択を強制されていることもある。また「運命」を「選択」と見ることで苦しみが生まれることもある。もちろん、その逆も然りである。受け容れ難い運命を「選択」の結果だと見ることで救いを感じることもある。自分の人生の意義を変える「選択」について考えるための一冊である。

著者プロフィール:森山和道

脳科学、ロボティクス、インターフェースデザイン分野を中心に、科学技術分野全般を対象に取材執筆を行うフリーランスのサイエンスライター。研究者インタビューを得意とする。 メールマガジン「サイエンス・メール」「ポピュラー・サイエンス・ノード」編集発行人。共著書に『クマムシを飼うには 博物学から始めるクマムシ研究』(鈴木忠、森山和道 / 地人書館) [森山和道氏のサイト]