2月12日22時15分。大阪は梅田を爆走する1人の男性が。はい、私です。相変わらずの遅刻魔でして、「22時28分発」と書かれている寝台急行「銀河」の片道切符を握りしめつつ、JR大阪駅の改札口を走り抜ける。電光掲示板を見上げると……。「えっ! 22時22分発!? そんなん、ありえない!」と声を上げた。3月14日廃止の「銀河」なのに! 今日乗らなきゃ、もう乗れないかもしれないのに!!

腕時計を見ると、22時19分50秒。ありえなくても電光掲示板には22時22分発と書いてある。とにかく10番線の階段を1段ぬかしで駆けのぼって、ホームに到着。「寝台急行『銀河』号、あと2分で発車です」というアナウンスを聞いて、ホッと安堵のため息をついた。意外に人影はまばらだ。ホッとしたのも束の間、急いでバックからカメラを取り出す私。このコラム用に写真を撮影しなければいけないのだ。ここで撮り忘れてしまっては、京都出身女性編集者Hにまたもやネチネチといじめられてしまう。汗・汗・汗。

大阪駅発車寸前の寝台急行「銀河」。あと、残り75秒で発車!

まずは先頭部分を撮影。先頭の電気機関車は定番のEF65。急行だからなのかはわからないが、ヘッドマークが付いていないのはやはりちょっと寂しい。……なんて思っていると、「寝台急行『銀河』号、あと1分で発車です」というアナウンスが鳴り響き、2号車のドアから乗車する。結局大阪でお土産を買う時間はなかった。

廃止間近! 車内は熱気ムンムン

私が乗車した2号車は「オハネフ25」。いわゆる24系25形。「新潟鐵工 昭和52年」というプレートが入口に付けられている。新潟鉄工は日本を代表する鉄道車両メーカーだったが、2001年に経営破綻。2003年に設立された新潟トランシスがその事業を引き継いでいる。

昭和47年、北陸本線の北陸トンネル内で客車急行「きたぐに」で深夜火災が発生、乗客30名死亡、700余名が負傷するという大惨事となった。この事故の反省から、国鉄は客車の部品、内装を燃えにくい材質に変更し、電源装置を旅客車から切り離した集中電源方式を採用することに決定。こうして誕生したのが、24系客車である。24系寝台車は3段式だったため、時勢に合わせて2段式寝台車の24系25形が誕生した。

車内に入って、8号車から2号車まで通路を歩く。いずれも開放式B寝台だが、通路でも寝台ベットでも、多くの乗客がビデオや一眼デジカメを構えていた。「鉄ちゃん」(鉄道ファンのこと)の熱気に圧倒されて、目眩を覚えたくらいだ。

乗車した2号車は「オハネフ25」

2号車(24系25形)の内部

私は今回もB寝台。銀河の場合、A寝台といっても真ん中に通路が通っており、高級感は全くない。しかし、私が通常予約する下段は、3日前に満席。B寝台自体が残り4席だったので、やむなく上段にしたのだった。上段に行くには、コンパートメント中央にある金属製のはしごを上っていく必要がある。私は寝相が悪いので、いつもいろんな人に迷惑をかけている。以前、ポーランドのホテルに泊まった時には、寝返りを打っただけのつもりが2度ほどベッドから転落し、しばし床に横たわったまま息ができなかったほどだ。ポーランドの鉄道旅行の話は、いつかおいおい書こうと思う。

B寝台の上段。上段にははしごを使っていく。現在の25形は製造当時と異なり、2段固定されており、昇降ボタンもなくなっている

A寝台(オロネ24)。中央が通路になった開放式寝台なので、あまりゴージャス感はない

大阪駅を発車して5分後、新大阪駅に着く。ここで下段に60歳台のご夫婦が来た。おそらく旦那さんが奥さんを一緒に乗ろうと誘ったのだろう。そんな雰囲気がちょっと漂っていた。しかし奥さんの方は、サッとカーテンを閉めてしまった。まるで、夏目漱石の小説である。

寝台車に女性が1人。何を想っているのだろうか

最近は、女性にも鉄道ブームが浸透しているようで、この「銀河」にも鉄子(女性の鉄道ファン)がちらほら。たとえば、身長175cmぐらいのしっかりとした体格の女性は、いきなりキヤノンの高性能デジカメを片手に写真を撮り始めた。「鉄! その1号」である。京都から乗ってきた女性は、通路の簡易イスを引き出して腰掛け、なにやらもの思いに耽っている。「いつもこんなに賑わっていたなら、『銀河』も廃止にならずに済んだのに」とちょっと思った。

するといきなり、車内が騒がしくなってきた。テレビ局の取材が入っていたのだ。取材陣は、ナビゲーター役の年配の男性とカメラ、レポーター、助手の4人、それにJR西日本の広報の若い男性が付き添っている。通路、A寝台、B寝台、通路、洗面所などを撮影していたようだ。どこの局かと訪ねてみると、読売テレビ。全国放映ではなく、大阪ローカルの朝の番組のようだった。

「便所使用お知らせ燈」。名前がレトロだ

洗面所には水量計があった

意外に快適な上段

私が最初に寝台に乗ったのは、小学生の時だった。上野から北に向かう寝台急行「北星」号だった。この時はたしか中段だったのだが、親が寝台から落下しないようにと通路側に縄を張ったのを今でも覚えている。上段のおじちゃんたちに笑われたのだが、朝起きると、腰から下がベッドから落ちてブランブランしていたっけ。

私の寝相の悪さは子供の時からで、寝台に乗るときはずっと上段を避けていたのだが、いざ上段ベッドで寝ると快適なことに気が付いた。下段より天井が高い。また、天井が曲線を描いているので、さらに高く感じる。もっとも、上半身を起こしたまま目薬をさすことができないほど、実際はそれほど天井が高くないのだが。寝具は平成7年製。十数年前に乗った時には、シーツに穴が開いていたけれども、今回はまぁまぁキレイ。

「銀河」は23時52分に米原を出発したあと、車内アナウンスが休止されて車内灯が暗くなり、眠りの時間に入る。私もすぐにうつらうつらとし始めた。どこかで、名古屋だという声が聞こえたが、起きることもなく、再び眠りについた。夢の中で、「富士」や「熱海」という乗客の声を聞いたような気がしたが、目がさめたのは、「おはようございます。もう少しで大船に停車します」という朝のアナウンスだった。

後日談。22時22分の謎が解明

「銀河」は横浜駅に定刻どおり6時18分に到着。まだ駅は朝もやの中である。向かい側には「銀河」に追いこされる湘南電車が停まっている。どうやら読売テレビの取材陣は東京まで向かうようだ。しかしここで気になる点が1つ。なぜ切符には「22時28分発」と書かれていたのに、大阪駅を22分に発車したのか。ギリギリで間に合ったからいいものの……。

その謎が後日、解けた。記念にとっていたその時の切符を見て、気がついた。急行券・寝台券の発駅はなんと新大阪だったのだ。「大阪から」と頼んだのに、どうやら駅員が間違えたのだろう。しかし、まぁ、こちらも寝台の上段・下段が気になって発駅をきちんと確かめなかったのも悪い。いずれにせよ「ギリギリはよくない」と今回も反省することしきりの旅であった。

朝靄の横浜駅に停まる寝台急行「銀河」

横浜駅を発車していく。テールランプの「銀河」の文字がうらさびしい