企業の採用活動が3月1日から解禁となった。それにあわせて就活に関する情報が多く出回るようになった。

私は就活対策のプロではないので、あまり就職活動の細かいテクニックや、統計的な数値などには明るくない。一方、採用する側の立場で採用面接携わってきた。PRやプレゼン手法については、それなりに経験を積んできた。その立場で、特に就職面接での「個性の発揮」で気になっていることがある。

個性はひとつではない

誰もがいろいろな性格の側面を持つ。「ある時は○○だが、ある時は△△になる」「以前は○○だったが、最近は△△になってきた」

簡単に自分の「個性」を一言で言い表せられない。それが普通だと思う。だが面接では短時間でこの「個性」を発揮しなくてはいけない。正確に言うと、「面接」という限られた時間(少なくても普段よりは緊張する)の中で、相手に何らかのメッセージが伝わらないといけない。

その「メッセージ」はどういうものであるべきか?

もちろん、自分の「ありのまま」で面接に臨む。それでダメだったら、しょうがいないという考えもある。これは「正しい」ことだと思う。就職のために自分自身を偽ることはない。とはいえ、実際に社会に出て半年も経たないうちに、「ありのまま」だけでは通用しないこともわかる。「正しい」と「通用する」とは必ずしも「イコール」ではない。

自分自身を偽らない範囲で、そこそこの工夫はしてみた方がいい。どんな工夫が考えられるのか?

大きく自分の「個性」を2つに分けてみる。

「とがった自分」
「とがっていない自分」

「とがった自分」とは、10人あるいは50人に1人の自分。少し変わった自分の個性。「とがらない自分」というのは、他人にもよくある「個性」のこと。「プラモデル作りが得意」というのは普通、前者。「まじめ」というのは普通、後者となる。

そして、自分が面接を受ける際に、その面接がだいたい「何倍」の倍率なのか想像してみる。1万人に1人を採用する面接なのか? 100人に1人を採用するのか? それとも5人のうち1人を採用する面接なのか? 正確な数字は誰にもわからない。ただ、この倍率の違いによって戦い方は変わってくるはずだ。

「とがった自分」「とがっていない自分」の、どちらを強調するかイメージしてみる。10人のうち1人を採用する面接の場は、「とがり」はほどほどでいい。「とがっていない自分」の個性をいくつか掛け算する。他の4人と比較されて「落とされない」ことが、発信するメッセージのポイントになる。

例えば、「まじめ」×「英語が得意」×「体育会系」×「ちょっとおっちょこちょいだけど好かれる」がメッセージとして伝わると、5人に1人の戦いならば残る可能性はあるかもしれない。この戦いでは、あまり不用意に「とがり」過ぎない方がよい。

もっとも、1万人に1人の面接だと、これでは弱くて話にならない。類似した個性をアピールする学生が他に数百人いるかもしれない。いかに「落とされないか」ではなく、こちらはいかに「選ばれるか」がポイントとなる。

「歴史小説を書いてコンクールで佳作に入賞した」×「空手部所属」×「日本の魅力についてフランス語でのスピーチを経験」×「Javaを使って実際に使えるプログラムを完成させた」

もちろん業種や職種にもよる。個性の見せ方だけで全てが決まるわけではない。適性などその他の要件も重視される。ただ、これくらいの「とがり」では、1万人から1人を選ぶとなると、まだ十分に浮かび上がってはこないかもしれない。

就活は誰にとってもしんどい。一筋縄ではうまくいかない。いろいろな制約や「見えない壁」も実際にはある。だから最期は胆力(人間力)がものをいう。自分の切れる「カード」はすべて利用して、ドライに整理して作戦を考えた方がいい。もっとも、これらはものすごく特別なことをしなければいけないわけでもない。社会人が、日々、行っていることだったりする。


<著者プロフィール>
片岡英彦
1970年9月6日 東京生まれ神奈川育ち。京都大学卒業後、日本テレビ入社。報道記者、宣伝プロデューサーを経て、2001年アップルコンピュータ株式会社のコミュニケーションマネージャーに。後に、MTVジャパン広報部長、日本マクドナルドマーケティングPR部長、株式会社ミクシィのエグゼクティブプロデューサーを経て、2011年「片岡英彦事務所」を設立。(現 株式会社東京片岡英彦事務所 代表取締役)主に企業の戦略PR、マーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。2011年から国際NGO「世界の医療団」の広報責任者を務める。2013年、一般社団法人日本アドボカシー協会を設立代表理事就任。