あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?

理想のコンピュータ「Dynabook」を目指して

「DynaBook J-3100SS」
(写真提供:東芝)

1989年(平成元年)6月26日、東芝から「DynaBook J-3100SS」が発表されました。のちに世界標準とまで言われる、ノートPC「DynaBookシリーズ」(現・dynabook)の誕生です。

A4サイズシャーシに、640×400ドットELバックライト液晶ディスプレイ(モノクロ)、CPUには80C86(10MHz)、1.5MBメモリ、3.5インチFDD(フロッピーディスクドライブ)を搭載して、重さ2.7kg、標準価格は19万8,000円(税別)を実現します。オプションの「英語MS-DOS V3.3」(3万円)を利用することで、「IBM PC/XT」のコンパチブル機として5~6万種類(当時)のソフトウェアが利用できました。

また、2.5時間利用可能な脱着式ニッカド電池や、電源オンで電源オフ時の状況を回復するリジューム機能を備えています。パソコン通信も、最大2,400bps対応のモデムカードが内蔵オプションで用意されるなど、現在のノートPCに通じる機能を持っています。のちに同社は、「世界初のPC/AT互換機ノートPC」をうたっています。

「Dynabook」の語源は、米国の科学者、アラン・カーティス・ケイさんが提唱した理想のコンピュータの概念です。1972年の論文「A Personal Computer for Children of All Ages」に登場します。直訳すると「すべての年齢の子供たちのためのパソコン」という題目ですが、創造性を引き出すためのダイナミックな対話型コンピュータ環境を描写して、その実現可能性を検討する内容です。GUIを持つOSや、ノートPCの原型(形状、重さ、ディスプレイ、通信機能等)、さらに500ドルという価格を40年前に提唱していたことに驚きます。

東芝未来科学館で展示中の初代DynaBook「DynaBook J-3100SS 001」。W310×D254×H44mm、重さは2.7kg。ELバックライト液晶ディスプレイ(モノクロ)640×400ドット、輝度・温度調節可、反転表示可。当時としては必要十分な機能を備えています

DynaBook J-3100SS 001は、ワープロ専用機並みの本体サイズに、当時の定番だったICカードではなく、薄型に改良された3.5インチFDD(2DD/2HD併用タイプ)が搭載されています。84キーのキーボードを横面からのぞき込むと、階段上に打ちやすく配置されている「ステップスカルプチャ・シリンドリカル方式」を採用していることが分かります

DynaBook J-3100SS 001のLEDは、左から「Power/Speed」「Batt.」「Disk」「DC IN」「Caps Lock」「Scroll Lock/カナLock」「Num Lock」と、7つの状態表示が並びます。天板には、「DynaBook」が誇らしげに白色プリントされています

東芝はDynaBook J-3100SSの発表前、1985年に欧州でラップトップPC「T1100」を発売し、1986年には16bitのラップトップPC「J-3100」を発表しています。J-3100の画面はプラズマディスプレイ(オレンジ単色)、CPUにi80286-8を搭載し、3.5インチFDDモデル(B-11)で重さが6.6kgありました。

ラップトップ、つまり膝の上に置くにはちょっと厳しい重さかもしれませんが、DGP思想(※)やワークステーションの階層化という、画期的な考えを打ち出しています。1人が1台のコンピュータを利用するなど夢のような時代に、狭い個人の机上にデスクトップ型でなく、ラップトップ型のJ-3100を提案したことは先見の明がありました。

その後継となった製品の名称に「DynaBook」を冠し、DynaBook J-3100SSから、その名の通り「Daynabook思想」に則って小型軽量化、低価格化を図ります。つまり、誰でも、いつでも、どこでも使える理想のコンピュータを目指した進化が始まりました。

(※) DGP思想
全社レベルで(Corporate)「ホストコンピュータ」
部レベルで(Department)「分散処理コンピュータOAプロセッサ」
課レベルで(Group)「トータルワークステーション・J-5000シリーズ」
個人レベルで(Personal)「パーソナルワークステーション・J-3100」

1985年に東芝は、写真の「T1100」を欧州向けに約52万円で発売しました。当時、欧州市場を中心に年間1万台を販売しています。T1100は、2013年10月に世界最大の電気・電子関係の学会であるIEEEから「IEEEマイルストーン」に認定され、ラップトップPCの発展に大きな貢献したことを歴史に刻みました(撮影協力:東芝未来科学館)

高解像度LCDや低消費電力型3.5インチFDDなど、主要部品は東芝が独自開発をしています。 充電可能なニッケル・カドミウム2次電池によって、世界初の8時間バッテリ駆動、重さ約4.1kgを実現しました

DynaBook J-3100SSとの出会い

DynaBook J-3100SSは1989年7月に販売開始。筆者は秋葉原のラオックス新ビルにて、表計算ソフト「Lotus 1-2-3」の店頭デモを行うDynaBook J-3100SSと出会います。

1989年は、NECのPC-9800/8800シリーズが販売台数の累計300万台を達成し、圧倒的なシェアを誇っていました。ラップトップの人気機種、エプソンのPC-286LS(1989年2月発表 / 80C286 CPU / 8階調白液晶ディスプレイ / 47万8,000円 / 8.6kg)などと比較して、DynaBook J-3100SSの軽さ(2.7kg)とプライスパフォーマンス(税別19万8,000円)は、独自のアーキテクチャを搭載するという点を考慮しても十分に魅力的でした。また、当時の税法では、20万円以下のコンピュータは固定資産に計上せず、一括償却できる金額でしたので、ビジネスユーザーが多く参加していました。

DynaBook J-3100SSのマーケティングメッセージは、『みんなこれを目指してきた。「ブックコンピュータ」出現』として、モータースポーツのF1に初フル参戦のレーサー、鈴木亜久里さんをイメージキャラクターに採用します。当時、一般的な呼び名であったラップトップではなく、あえてブックコンピュータとすることで、2.7kgの軽さを差別化し、市場に訴えたのです。さっそうと片手でDynaBook J-3100SSを抱える鈴木亜久里さんのポスターや製品外箱はカッコよく、店頭デモで女性がDynaBook J-3100SSを抱える実演も斬新でした。

本文とは話がそれますが、写真のPCは、東芝が1986年に日本国内で発売した「J-3100」です。先に紹介した欧米向けラップトップPCのT3100をベースに、日本語処理機能を搭載。価格は69万8,000円(B12モデル)でした(写真提供:東芝、撮影協力:東芝未来科学館)

J-3100は、W311×D360×H80mm、重さ6.8kg(B12モデル)。CPUはIntel i80286-8(8MHz)、メモリは640KB、OSは日本語MS-DOSバージョン2.1(英語MS-DOSはオプション)。プラズマディスプレイ(640×400ドット、オレンジ色、カラー表示は不可)を採用しています。なお、J-3100には、「DynaBook」の名称は付いていません

余談になりますが、1989年以前にも、ハンドヘルドコンピュータとしてエプソンの「HC-20(1982年)」、NECの「PC-8201(1983年)」、ポータブル機では富士通の「FM-16π(1985年)」などがありました。ただ、デスクトップ型PCに比べて機能面での制約が大きく、特定の業務用端末や特殊用途、またはPC入門機などの位置付けにとどまり、一般には普及しませんでした。

当時の筆者は、NECのPC9800シリーズ、富士通のFM-TOWNS、シャープのX68000といったコンピュータでゲームソフトに夢中でしたので、DynaBook J-3100SSの互換ソフトウェアは筆者にとってマイナーな存在でした。しかし、鈴木亜久里さん関連グッズがプレゼントされることで参加したDynaBook J-3100SSの店頭デモを通じて、日本市場でも「一太郎 Ver.4」(ジャストシステム)など、必要十分なソフトウェアがあることが分かりました。英語MS-DOS環境で世界標準とされているソフトウェアにはどんなものがあるのか、興味を持って調べたものです。また、日本国内におけるコンピュータ市場の特異性を最初に考えさせられたときでした。

1989年6月、あの日あの時

DynaBook J-3100SSの発表日、1989年(平成元年)6月26日は、バブル経済、どまん中です。同日の日経平均株価終値は33,626円、同年12月29日(大納会)のピーク、38,916円まで上昇の一途をたどります。日本経済も活気があり、自動車業界では、名車たちの発表ラッシュを迎えます。ホンダの「NSX」(2月)、スバルの初代「レガシー」(2月)、日産の「スカイライン GT-R(BNR32型)」(5月)、マツダの初代「ユーノスロードスター」(9月)など、自動車史に残る車です。景気好調を背景にして、企業は製品開発にも潤沢な投資ができた時代だったと思えます。

1989年は、ノートPCの元年とも言われています。1989年5月10日~13日まで東京都の平和島・流通センターで開かれた「マイクロコンピュータショウ'89」では、シャープ、日立、三洋などのLCDコーナーで、カラー表示のラップトップマシンに人が群がりました。

また、ワープロ専用機の年間出荷台数が、過去最大の271万台とピークを迎えます。言い換えれば、ノートPCの台頭などにより以後、ワープロ専用機は減少の一途をたどります。1978年9月に東芝は、初のワープロ専用機「JW-10」(630万円)を発表していますが、最後のワープロ専用機「Rupo JW-G7000」を製造した2000年には、ワープロ専用機の市場規模は26万台。1989年の10分の1以下になりました。

日本語ワードプロセッサの初代機「JW-10」。1978年10月のデータショウ(現在のCEATEC JAPAN)において展示、1979年2月から工場出荷が開始されました。JW-10は、2008年11月にIEEEより「IEEEマイルストーン」に認定。この初代日本語ワードプロセッサが、日本の情報化社会の進展において主要な役割を果たし、パーソナルコンピュータにおける日本語ワードプロセッシングの基礎となった点が認められたものです(撮影協力:東芝未来科学館)

新しいマーケットの創造は、時に成熟した市場を壊す引き金にもなります。2013年、ノートPCの台数はPC全体の比率で70%を超えていますが(2013年度JEITAパーソナルコンピュータ出荷台数)、タブレットとスマートフォンの台頭によって、特に個人向けPCの市場は減少しています。

アラン・カーティス・ケイさんが提唱した理想のPC像は、達成している部分もあると思いますが、創造的なユーザーの欲求を満たす進化したdynabookを、今後とも期待しましょう。

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撮影協力 : 東芝未来科学館

今回、神奈川県・川崎ラゾーナ地区の「東芝未来科学館」に展示されている機材を撮影させていただきました。