今回のテーマは「おばあちゃんの知恵袋」だ。

おばあちゃんと知恵袋というのは、イメージ的にはちょい足し的なものな気がする。「今のままでもいいんですけど、これをやるとさらに良くなります」みたいなものだ。そういうのは基礎あってのものである。

例えば、プリンに醤油をちょい足しするとウニの味がするという知恵袋があったとしよう。まず、味を覚えるほどウニを食ったことがねえという問題や、どう考えてもウニよりプリンの方が好きという事実はあるが、そう聞いたら試したくなるのが常である。しかし、それはまずプリンとして成立しているプリンがないとできない。砂糖入り卵汁に醤油を足しても、砂糖醤油入り卵汁になるだけだ。

それどころか、虚空に向かって醤油を振り掛けることになり、それは床に落ちてシミになる。基礎ができてないやつほど、こういうちょっとしたアイデア的なものには食いつく。しかし、基礎ができていないので失敗し、何らかの残骸を作り出すのである。

よって、うちのババア殿も何かしら知恵袋を持っていたのかもしれないが、それをこいつに教えても、いらぬ手間が増えるだけと判断したのか、そういったことは教えてもらった記憶がない。つまり、ババア殿には当たり前のことを言われ続けるだけの人生であった。

主に、物は元あった場所に戻せ、何かやったらやった後を見ろ、と言われてきた。そして、それらを一度も守ることなく家を出たのだ。よって、ババア殿の知恵袋はどこにも伝授されることなく腐った。後継者問題は、一般家庭でも起こるのである。

しかし、ババア殿が何かしらこちらに知恵を授けようとしたとしても、それを素直に受け取ったかは疑わしい。ババア殿や親の言うことは、先人だけあって正しいことの方が多い。しかし、仮に正しくても、身内の言うことゆえに素直に聞けぬということがある。むしろ反発さえしてしまう。

よって、おばあちゃんの知恵袋よりも、どこぞの誰かも分からぬ者が発した、ヤフーとかの知恵袋の知恵に「深い」とか「知見がある」とか言って、素直に従ってしまったりするのである。つまり、私が現在このような、飛行機がジャングルに墜落し、そこに住むゴリラに育てられたかのような風貌と生活をしているのは、親が祖母が教育しなかったわけではなく、私がそれを全無視したため、「諦めた方が早い」という結論に達したからである。

そんなわけで、私は諦めたババア殿が作る飯を食い、私が汚したものを諦めたババア殿が片付けるという生活をしていたのだが、ついに結婚し、家を出ることになった。27年間かけて育んだ当家の恥が外部に輩出されるのである。諦めていた親も焦った。焦りのあまり、母上は全ての過程を飛ばして、「お茶とお花を習いに行きなさい」と言い出した。正気の沙汰ではない。

もちろんそれは、虚空に醤油を撒(ま)くようなものなので行かなかったし、花嫁修業的なものも一切しなかった。だが、「味噌汁ぐらい作れるようになって行け」というババア殿の言により、味噌汁の作り方だけは習った。

ここで特筆すべきは、マジで「味噌汁の作り方しか教えなかった」という点である。これ以上をこいつに教えても無駄だと思ったのかどうかは分からないが、本当に味噌汁のみ、それも豆腐の味噌汁オンリーで教わった。おそらく、「具に火を通す」という概念がなくてもできるからだろう。それも、「ひと手間」とか「ちょい足し」とか一切ない。必要最低限の材料で分量も適当な味噌汁だった。

だが、その唯一教わった味噌汁を今も私は作っている、当然、何の工夫もない、分量適当の味噌汁だ。しかし、だからこそ作り続けられているのである。他のものはCook Do先生や、マックスバリュのお惣菜の素パイセンなどが作ってくれている。逆にあの時、少しでも手の込んだものを教えられたら、今それを作っていないと思う。

ババア殿がそこまで考えて味噌汁だけ教えたとは思い難いが、結果的に一番有益な知恵を授けたと言えよう。そんなババア殿も米寿を迎え、歯が弱くなり、固形物が食べられないので、主食はジュースやプリン、アイスという、子どもの夢みたいな食生活を送っているという。

それを聞いて、当初はドラッグストアでそういう人用のゼリーなどを買って差し入れていた。しかしよく考えたら、この期におよんで健康とかしゃらくさいこと考えたくないだろうし、おいしいもの食いたいよな、と思ったので、今度はハーゲンダッツを箱で差し入れようと思う。

筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。
デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。