前回までのあらすじ

超マイペース且つ大雑把なB型男子である僕の彼女は、あろうことか超几帳面なA型女子だった――。このエッセイは独身B型作家・山田隆道が気ままに綴る、A型彼女・チーとの愛と喧嘩のウェディングロードです。

緊張とは予期せぬときに起こるものだ。あるいは、目の前の現実が自分の想像をはるかに超えていたとき、人は狼狽え、戸惑い、一瞬頭の中が真っ白になったりするものだが、もしかしたらそれを緊張と呼ぶのかもしれない。

結婚式のとき、僕はチャペルの前までは確かにリラックスしていた。チーと軽い冗談を交わし合いながら、バージンロードを歩く練習を繰り返していた。 しかし、チャペルのドアが開き、中に一歩足を踏み入れた途端、自分でも驚くほどの緊張が突風の如く背中から襲ってきた。

近い――っ! 思わず口の中で呟いた。チャペルに集まっていた参列者の顔が、想像以上に自分たちに近く、全員の視線をひしひしと感じたからだ。

お約束通り、頭の中が真っ白になった。あれだけ練習していた歩き方が一瞬飛んでしまう。しかも、真っ先に目に飛び込んできたのは、数十センチの距離に接近していた幼馴染み・Kくんの笑顔。大阪から遠路はるばる駆けつけてくれたのだ。

「おい、隆道、こっち見ろよ」Kくんの声が聞こえた。しかし、僕は極度の緊張のため、まともにKくんの顔を見ることができなかった。互いのちびっこ時代をよく知る特殊な間柄。そんな彼に対して、どんな顔をしていいのかわからなかった。

そう、難しいのは顔なのだ。これだけ至近距離で大勢の人間から視線を向けられた経験なんかないわけだから、そういう状況に際する表情のパターンがわからない。緊張のあまり、あからさまにドギマギする表情を見せるのは避けたいし、だからといって周囲を無視し続け、ずっと真剣な顔を崩さないのも、いささか味気ない。

かように悩んだ挙句、とりあえず笑っておくことにした。かの笑福亭鶴瓶さんが言ったとされる「困ったときは笑っとったらええんや」という言葉を参考にさせていただいた。神聖なヴァージンロードでへらへら笑うのはどうかとも思ったが、無邪気に笑う人間が周りから嫌われることは少ないだろう。笑顔は幸福を運ぶはずだ。

その後の僕は依然としてヘラヘラしながら、牧師の前まで辿り着くと、讃美歌の斉唱から誓いの言葉まで、順調に式を進めた。

笑顔はいい。周りだけなく、自分までリラックスできる。堀の深い外国人牧師が僕の締りのないニヤケ面を見て、なんとも微笑ましい顔をしていた。よし、こうなったら式の最後まで、徹底してこの笑顔を貫こう。スマイルウェディングだ。

しかし、指輪交換の段になると、一転して笑顔を失った。

目の前に対峙したチーが、ものの見事に号泣していたからだ。

「この指輪は、私の愛と思いやりと変わらぬ貞節の、誓いであり、しるしです」 そんな誓いの言葉を述べた後、指輪を交換するのが基本的な流れなのだが、あろうことかチーは涙で言葉が詰まってしまう。

「ごのゆびばば、ばだじのあいどおぼいやりど……」

もはや何を言っているのかわからない。大丈夫か、チーっ!

チャペルに集まった参列者たちも、チーの涙声に騒然となった。

「早い早いっ」そんな茶々が聞こえた。

確かにこんな初期段階で早くも号泣する新婦は僕も初めて見た。

「がんばれーっ」そんな励ましの声も聞こえた。すると、他からも口々に「がんばれーっ」という声が聞こえ、チャペルの中はなんとなく温かい雰囲気になった。小学校の運動会で、周回遅れの鈍足児童をみんなで見守っているような感じだ。

ああ、涙も悪くないな。なんとなく、そんなことを思った。前述したように、僕はずっと笑顔を心がけていたが、チーはそれと相反する涙を流したことで、場の空気を一気に和やかにさせた。笑顔が幸福を運ぶ一方で、涙は人を優しくするのだろう。

かくしてチャペルから退場するとき、僕は入場時とは打って変わって、参列者の顔をよく見ることができた。友人たちの笑顔は普段以上に柔らかく、いつもは恐れ多い担当編集者たちが、初めて見るような優しい顔をしていたのが印象的だった。

中でも驚いたのが、我が父の嬉しそうな顔だ。

ここ数年、父は僕に会うたびに口癖のように「早く結婚しろ」と急かしていた。なんでも周りの友人たちの中で孫が一人もいないのは自分だけらしく、いつも友人たちの孫自慢トークに参加できず、寂しい思いをしていたらしい。

戦後日本を支えた「団塊の世代」と呼ばれる還暦過ぎの父。今までは必死に走り続けてきた人生だっただろうが、これでようやく一息つける、少なくとも気持ちは落ち着くんじゃないかな。柄にもなく、そんな感傷に浸った。

さあ、次はいよいよ披露宴だ。

山田隆道最新刊発売中! 「野球バカは実はクレバー」(講談社)

現役選手、監督、解説者……ブログに綴られた球界のスターたちの意外な素顔を気鋭の「野球好きコラムニスト」山田隆道が痛快に斬る!

作 : 山田隆道
定価 : 1,300円

好評発売中! 「雑草女に敵無し~女性ADから教わったたくましく生きる極意~」(朝日新聞出版)

不況、不況と言われ、元気がない人が多い昨今。どうしたら楽しく明るく日々過ごせるでしょうか。本書で取り上げる、テレビ制作会社で働く女性ADこと、"雑草女"は、そんな不況なんてどこ吹く風。たくましく生きます。

  • 我慢できるうちは病気じゃない
  • 世の中、下には下がいる
  • お金がないならおごってもらう
  • 体型が気になるならあえて太ってみる
  • 嫌なことがあったら仕事をさぼる……
など、笑えてちょっぴりためになる珠玉の極意がたくさんつまった一冊になります。みんな元気のない時代に、この本を読めば、元気と勇気を取り戻せることうけあいです。
作 : 山田隆道
定価 : 1,300円(税抜)