デジタルデバイスのOSアップデートは、それをプラットフォームとするアプリ側にとっても転換点となる出来事だ。新機能の搭載やインタフェースの表現など、OSの進化に伴ってアプリ側にも進む道が示される。逆に、そこへ追従していなければ、激しい進化の流れからはすぐに取り残されることになる。

ハードもソフトも変わり続け、それを利用する顧客からも求められるものが変わっていく。何のために、どこを目指してアップデートしていくべきか。先のiOSおよびwatchOSのアップデートを目前にしたタイミングで、全日本空輸 マーケティング室の渡邊勇喜氏に同社のアプリ開発についてお話をうかがった。

全日本空輸 マーケティング室マーケットコミュニケーション部デジタルマーケティングチームアシスタントマネージャー 渡邊勇喜氏

Apple Watchへの対応は「やらない理由がない」

ANAのスマートフォン用アプリは、空席予約・運行状況・予約照会・国際線チェックインなど航空機を利用するための様々な機能を搭載し、マンスリーのユニークユーザ数が80万を超える大きなサービスとなっている。特にiOS版のユーザーが多く、市場のOSシェアよりもiOS版の比率が高い状態が続いているそうだ。

インタフェースはiOS 7のリリース時にいち早くフラットデザインを導入

渡邊氏が所属するデジタルマーケティングチームは、同社のWebサイト、スマートフォン向けサイトおよびアプリの開発と運用、SNSによるプロモーションなどを一手に手がけている。従来はこれらの媒体からの売り上げ最大化を目標としていたが、現在はそれだけではなくなってきているという。

渡邊氏 「現在は、モバイルデバイスを利用して、いかに良いカスタマーエクスペリエンスを提供できるかを中心に考えています。航空券を購入する部分の最適化だけでなく、買っていただいた後に何を提供できるかが、世界的なエアラインの勝負所に移ってきていると感じています」

同社のアプリがいち早くApple Watchに対応したことも、この考えが背景にある。モバイルデバイスのユーザーが増加する中、新たな端末に対応することは「やらない理由はない」と渡邊氏は語る。

ただし、最初に提供された段階ではOS側の制限により利用できる機能は限られたものとなった。フライト時刻のカウントダウンやゲート番号の案内、「Wallet」アプリと連動で表示されたQRコードで搭乗できるなど、各国のエアラインが似たような機能を提供する格好となっていた。そんな中で、ANAの特徴的な機能となったものがある。

Apple Watch上に利用者の名前とステータス、マイレージ(スカイコイン)の残高を表示

渡邊氏 「予約のない時に、お客様のお名前とステータス、マイルの残高を確認できる機能です。ごく普通じゃないかと思えますが、アプリで最も多くタップされるメニューは運行状況や空席照会ではなく、このマイルの残高なんです」

アプリはダイヤモンドやプラチナといったステータスの高い顧客に多く利用されており、意識的にマイルを貯めたい、確認したいというマインドも高いことがうかがえる。

渡邊氏 「お名前とステータスを表示するのは何でもないようなことですが、アプリで一番タップされている、つまりニーズが現れている部分なので、その気持ちをきちんと汲もうと思いました。海外のエアラインでもここを丁寧に表示しているものは案外なく、だからこそ大事にしている部分でもあります」

ニーズにまで至っていない思いを拾いたい

去る8月末、羽田空港到着時に搭乗口まで最短の保安検査場をナビゲーションする機能がアプリに追加された。空港内に設置されたiBeaconを利用してポイントごとに通知で案内を送り、通知を開くと地図も見ることができるというものだ。通知はApple Watchで受信できるので、「左のエスカレーターを上ってください」という案内なら、iPhoneを取り出さずに確認することができる。

通知からマップを開き、保安検査場までのルートを確認できる

渡邊氏 「空港って、何かを確認する作業が一番多い施設ではないかと思うんです。便名を確認する、ゲートを確認する、時間を確認する……と、手に持っているチケットに必要なことは全部書いてあるのに何度も確認するのはなぜだろうと、社内でも議論しています

利用者が自ら情報を取りに行く行為に対して、サービス側が適切なタイミングで十分な案内を届けられれば、安心できるのではないか。利用者にとって"なんだかそわそわする"という、まだニーズという形になる前の思いを丁寧に見ていくことが鍵になると渡邊氏は語った。

空港内のナビゲーション機能についても、電車で到着した利用者の場合、改札を通る段階でスマートフォンを見る人はほとんどなく、その先のエスカレーターに乗った時に荷物から手を離して初めてスマートフォンを取り出すケースが多かったという。その時に、Apple Watchにプッシュ通知でナビゲーションが届いていれば、この先のルートをちょうど良いタイミングで確認することができる。その行動に合わせた設計も、デバイスを通したユーザーエクスペリエンスという発想が土台になっている。

10月のwatchOS 2リリースに合わせて同社のWatchアプリもアップデートされ、コンプリケーションの追加やネイティブアプリの通知でパスを開けるといった機能が加えられた。大きな荷物を持って雑踏を歩く空港では、手を離さずに確認できるApple Watchに適した役割は多いはずだ。特に、watchOS 2では、Apple Watch上でネイティブアプリケーションが動作するようになったので、今後のアップデートで多くの単独機能が追加されることも期待される。

荷物で手がふさがっていても、Apple Watchならばすぐに情報を確認できる

渡邊氏 「モバイルデバイスがサービスに与える影響が本当に大きい時代になっていると感じています。現在、そしてこの先も、デジタルの力でカスタマーエクスペリエンスを提供していくことが一番力を入れる部分になります。それだけに、"普通"なことこそが大事だと思っています」

同社が目指すデジタルデバイスを活用したエクスペリエンスとは、航空券の購入前から始まり、目的地に到着して空港を出た後まで続くものを意味する。その行為の中で"普通"に必要になることをカバーする。例えば、羽田に行く交通機関の運行状況や、到着した空港でのバス乗り場案内もアプリ連携で実現できる可能性がある。機内のWi-Fiが整備されれば、フライト中にも情報やコンテンツを提供できるかもしれない。OSの機能を活用する意味では、Apple Watchのフォースタッチなどの機能も生かしていきたいと、渡邊氏は考えている。

渡邊氏 「例えば、乳幼児連れのお客様に空港のキッズルームをご案内したり、時差ボケを最小化するために最適な時間に起こしてくれる機能など、様々なシチュエーションで何ができるのか、真剣に検討しています。まだまだ、やりたいことの1/3もできていません。デバイスによる役割の違いも丁寧に考えながら、いろいろなことをやっていきたいと思います」