川上:『ローニャ』作っている時も美術の人が逃げそうになって、どう考えても作業工程的に間に合わないようになったことがありました。

庵野:穴のあく可能性は手書きの方が大きいんですが、最終的にはそこは人海でばらまいて埋めることになります。その上でクオリティをどう維持するか。ものを作るのって大変だし、ちゃんと作るのはもっと大変です。

氷川:以前庵野さんが、時間に制約があって必ずしも思った通りのものが上がってこない時に、情報量を減らしちゃうという話をしていました。

庵野:止めにしちゃうとかはありますね。一枚目だけはがんばって、みたいな。

氷川:動きという情報を消しちゃう。

監督の一番のストレスは妥協

庵野:『ふしぎの海のナディア』の34話(「いとしのナディア」)のようにどうしようもない時は、2週間で描ける絵コンテに描き直したりします。その方がクオリティも上がるんですね。もうあまりにもひどくて、これがオンエアされるのがつらかった……それならもう少しマシになるコンテを描き直そうと。

川上:庵野さんは世間的なイメージでは全力疾走で最後に力尽きるイメージですが、妥協もあるんですね。

庵野:監督の一番のストレスは妥協だと思います。あらゆるところで妥協なので、100%の満足というのはありえないです。とにかく下駄をはかせて、どう及第点に持っていくか。宮崎さんも高畑さんもそうだと思います。宮崎さんは特にそうですね。僕はいつもそうなんですが、宮崎さんで一番面白いのは絵コンテなんです。コンテが宮崎さんの100%で、だんだん他の人が介在して宮崎度が下がっていく。だから僕が一番好きなのは『ナウシカ』の漫画で、それは宮さん100%で構成されてるからなんです。

川上:庵野さんの絵コンテ本当に面白いと思ったんですが、完成した作品は違うものになってでてきますよね。

庵野:コンテって自分のタイミングで読むので、僕が宮さんのコンテを読むとき自分には宮さんの最高傑作が見えているので、初号で見るとこういう動きじゃないんだよな、と思うんです。もちろんうまいアニメーターさんもいるので、自分が思っていた動きよりいいこともたくさんあるんですが。

川上:庵野さんも絵コンテが一番完成度が高いんですか?

庵野:僕の場合は絵コンテは必要な要素だけを入れて、完成度は低くしています。コンテは作品作りのハブになればいいと思っていて、これとこれがこう繋がったら面白くなるよ、で、そこから先に面白くなる余地を残したい。宮崎さんの場合は完成予想図で、僕は到達点をコンテの時点で作りたくない。そこが宮崎さんと一番違うところです。

川上:宮崎さんは絵コンテのままが完成形で、庵野さんはコンテから生きもののように変わりますよね。

庵野:変えたいんです。どうなるかわからないけど、こうした方が――を探りながら最後までギリギリで作ろうとするからいつも初号がギリギリになる。粘った甲斐はある画面になって、足元に入れる影をちょっと入れるだけでも本当に違うので、作る以上は細かいところまでこだわりたい。

氷川:川上さん、改めてこの本の宣伝も兼ねて、アニメの情報量について感じたことを教えてください。

川上:この本、面白いんですよ。こういう本って今までなかったと思うんです。

氷川:僕もストーリーだけを問題にするならめんどくさいアニメなんて作らなくていいじゃないと常々言ってるんです。

川上:クリエイターも最終形をわかっていないで作っているし、見ている人も自分が何を見ているのか実はわかっていない。コンテンツって、わかってない者同士のコミュニケーションだと思うんです。

庵野:見ている人の経験と知識ででしか物事ははかれないので、それは仕方ない。

川上:作品は読者のものだというのは、原理的に見てもそうなんだなと思います。

庵野:ラーメン屋と一緒なんです。どういうラーメンを食べたいのかはお客さんが自由で、しょうゆか豚骨かぐらいはお客さんが選ぶ。ラーメン屋の店主はこれぐらいの油がいいと思って出すんですが、それがおいしいと感じるか濃いと感じるか薄いと感じるかはお客さん次第。だからどうしようもないし、おいしいと思ってもらえたらありがとうございます。映像のいいところはそれ以上のことは考えなくていいところですね。

川上:でもいろんな人に向けたサービスをして作るんですよね。

庵野:いろんな人に向けたサービスと、極端にこの人だけに向けた狭いサービスを使い分けています。