江戸時代に将軍が住んでいた江戸城。その大部分は現在、皇居として使用されている。ここまではよく知られていることだが、そのために「江戸城を見学することはできない」と思い込んでいる人も多いようだ。そこで今回、東京都内に住んでいる人でも意外に知らない、日本最大規模を誇った江戸城の見どころを紹介しよう。

現在は皇居正門として使用されている西の丸大手門。普段は一般の通り抜けは禁止されている

男性禁制の大奥跡地も気軽に散策

確かに、皇居として使用されている吹上御苑や西の丸には天皇が住まう御所や宮内庁の施設が建っており、一般の立ち入りは禁止されている。しかし、それ以外の部分、特にかつての江戸城の中心であった本丸や二の丸、三の丸などは史跡として整備され、現在は皇居東御苑という名称で一般公開されている。

つまり、1,000人を超える女性たちが住んでいた男性禁制の大奥跡や、「忠臣蔵」で知られる松の廊下での刃傷事件の舞台などを気軽に散策することも可能なのだ。ただし、平日の月・金曜日は閉園なのでご注意を!

普段は立ち入ることのできない西の丸だが、正月一般参賀などで公開される場合もある。写真は、天皇陛下の傘寿を記念して2014年に行われた「春季皇居乾通り一般公開」の様子

将軍が寝起きした御殿跡を訪ねる

江戸城本丸へのアクセスの方法はいくつかあり、大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)の3カ所が皇居東御苑の出入り口。大手門であれば東京駅(大手町駅)、平川門、北桔橋門であれば竹橋駅が最寄り駅となる。ここでは、江戸城の正門であった大手門から、本丸を目指すことにしよう。

江戸城で最も格式の高い門である大手門。門をくぐると石垣で囲まれた四角い広場に出る。枡形(ますがた)という防御施設で、敵が直進できないよう、道が右に折れ曲がっている

大手門をくぐると、現在は石垣のみとなった大手三の門が見えてくる。ここで諸大名が乗ってきた駕籠(かご)を降りたことから「下乗門」との別称を持つ。門内には現存建物である同心番所が建っている。

その先には城内最大規模の巨石で組まれた大手中之門がそびえ立つとともに、日本最長ともいわれる検問所・百人番所が現存している。中之門を過ぎると道は上り坂となり、中雀門を越えると、いよいよ本丸跡である。

ただし、すぐに本丸跡の中心へ向かってはいけない。見落としがちだが、中雀門を抜けて左手方向に、木々に隠れるようにして富士見櫓が立っている。江戸城天守が明暦の大火で焼失してからは実質的な天守として機能してきたという重要施設。戊辰戦争の際は、大村益次郎がここから政府軍の指揮を執って、上野に立てこもった彰義隊と戦ったと伝えられている。

大手三の丸門。石垣の背後に立っている建物が同心番所である

巨石で組まれた大手中之門

長さ50mにおよぶ百人番所。100人の同心が常駐して番をしていたという

現存する本丸建築物として貴重な富士見櫓

本丸跡に残る有名事件の現場

本丸跡は現在、公園として整備されている。江戸時代には、ここに約130棟近い建物が建てられていたとされるが、現在、その面影をうかがうことはできない。しかし、周囲を散策すれば、忠臣蔵でお馴染みの松の廊下跡の碑が置かれており、歴史的な大事件の現場に立っていることを改めて感じさせてくれる。さらに奥に進むと江戸城の天守台が偉容をあらわす。

江戸城の天守は、家康、秀忠、家光の代にそれぞれ建てられたが、前述の通り、明暦の大火によって焼失した後は、石垣のみが再建されただけで天守が再建されることはなかった。近年、天守の再建計画が噂されているが、実は現在見ることができる明暦以後につくられた天守台の上に、天守が建てられたことは一度もない。

高さ11mの江戸城天守台は1658年に再建された

かつては多くの建物がひしめき合い、幕政の中枢として機能していた本丸跡

浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった刃傷事件の現場である松の廊下跡

天守台まで見学した後は、来た道を大手門まで戻るという手もあるが、かつては死者や罪人の出入りに利用され「不浄門」とも呼ばれた平川門を出て竹橋駅に向かってもいい。あるいは、少し歩くことになるが、約21mという江戸城で一番高い石垣がそびえる北桔梗門を出て、北の丸公園にも立ち寄った上で、日本武道館前を通って九段下駅に向かう手もある。その後の予定に応じて使い分けよう。

ビジネス街に隠された江戸城の痕跡の数々

以上が江戸城の本丸の歩き方になるが、これまでに紹介してきたのは内郭とよばれる城の中枢部だけである。実は、江戸城の見所はこれだけにとどまらない。

江戸城は、多くの市民ランナーたちがランニングを楽しんでいる皇居のお堀の外側に、さらに巨大な外堀を持っており、その堀にかかる橋には「見附」と呼ばれる防御施設が備えられていた。この見附の痕跡が現在でも日比谷見附跡、牛込見附跡、四ッ谷見附跡など、都内各所に残されている。この見附跡を巡ることで、江戸城の巨大さが実感できるはずだ。

JR飯田橋駅の西口そばにある牛込見附跡。道路を挟んだ両側に石垣があり、当時の見附の様子がよく残っている

JR四ッ谷駅そばにある四谷見附跡。かつてはここで甲州街道が折れ曲がっており、侵入してくる敵が直進するのを防ぐつくりとなっていた

JR市ヶ谷駅近くの外堀跡の様子。中央線市ヶ谷駅から飯田橋駅にかけての路線沿いには、水をたたえた江戸城外堀が残されている

見附の中では例外的に土塀でつくられていた喰違見附跡。道路がS字に折れ曲がっているのが、ここに見附があった名残りである

(文・かみゆ歴史編集部 小倉敬)

筆者プロフィール : かみゆ歴史編集部

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ、『国分寺を歩く』(ともにイカロス出版)、『日本の神社完全名鑑』(廣済堂出版)、『新版 大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。
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