「六本木」など都内にも多い数字のついた数字地名は、読み方も由来も比較的分かりやすいものが多いが、中には超弩級の難読地名もある。徳島県の「十八女」と島根県の「十六島」、この2つが難読数字地名の横綱格だが、その由来には平家の落武者伝説、神話の国出雲の民間伝承が深く関わっており、日本の歴史の奥深さを感じさせてくれる。

現在は「六本木ヒルズ森タワー」、昔は六本の松の木がランドマークだったとの説もある六本木

由来が分かりやすい東京の数字地名

数字を含む地名は全国に数多い。古代より地理上の区分をするのに数字が使われ、その地を特徴づける自然物や事物の数、大きさなどが地名として定着したからだと考えられる。例えば東京には「一」から「十」まで数字のつく地名があり、その地名由来は次のように言われている。

一)一ツ橋=日本橋川と小石川の二つの川が一つに合流する地点に橋があった
二)二子玉川=二つの古墳があって二子塚と呼ばれていた。玉川は多摩川
三)三鷹=徳川御三家の鷹場があった
四)四谷=四軒の茶屋、四家(よつや)があった。後に「家」が「谷」となった
五)五反田=この地の水田が一区画五反の大きさだった
六)六本木=六本の松の木があった(異説あり)
七)七曲坂=つづら折れの坂があった。七はつづら折れを象徴する数字
八)八丁堀=この地の堀の長さが八丁あった
九)九段=江戸時代、この地に九層の石段があった
十)十条=古代の条里制に基づく(異説あり)

ついでに、百、千という大きな数字のついた地名の由来も紹介しておこう。

百)百人町=江戸時代に伊賀組百人鉄砲隊の屋敷があった
千)千駄ヶ谷=この地では千駄の茅が刈り取れた(駄とは馬一頭に負わせる荷の量)

いずれもその由来は分かりやすく納得できるものである。

二子玉川を流れる多摩川。二つの古墳があったのは写真左岸の川崎市側である

青森の「戸」は「地区」や「地方」の意味

東京から離れても、例えば岩手県の北部から青森県の南部にかけて、一戸(いちのへ)町、二戸(にのへ)市……八戸(はちのへ)市、九戸(くのへ)村と「一」から「九」まで数字の順番を表した地名があるが(四戸だけはない)、これも昔の行政的な区分であっただろうことは容易に推測できる。

青森県庁の公式ホームページ中ではこれら「戸」のつく数字地名について、「平安時代後期に、現在の青森県東部から岩手県北部にかけて糠部郡(ぬかのぶぐん)が置かれた際、郡が9つの地区に分けられ、一戸から九戸まで、地名がつけられたことが始まり。そのためこの「戸」は、「○○地区」や「○○地方」といった意味である」といった趣旨の説明がなされている。

地名辞典などによれば、この地域は馬の産地であり、「戸」とは貢馬(くめ)と呼ばれる年貢として馬を収めるための行政単位だったともされる。

「娘十八 番茶も出花」だから「十八女」も……

だが、こうした分かりやすい数字地名がある一方で、まるで謎掛けのような難読・難解な数字地名も少なくない。その横綱格が、徳島県阿南市の「十八女町」と島根県出雲市の「十六島」である。

「十八女」は普通なら「じゅうはちおんな」と読んで別に難読でもなんでもないが、まさかそんな読みの地名があるとは思えない。では、何と読むかと言えば、これがなんと「さかり」と読むのである。古いことわざに「娘十八 番茶も出花」というものがあるが、どうやら18歳は女の盛りだから「さかり」と読ませたらしい。しかし、なぜに「十八女」などという不思議な地名が誕生したのだろうか。

徳島県では平成13年度から15年度にかけて「自分たちの近くに眠っているとくしまのたからものを探すために」という趣旨で、県民から郷土の誇りと思えるものを募り、それを「探そう! とくしまのたからもの」という名のホームページで紹介している。その「たからもの」のひとつに「十八女町」があり、町名の由来のひとつを紹介している。

その由来によると、昔この地に18歳の姫様を守護した、平家の落武者である侍大将が落ち延びたと紹介している。平家の落武者に美しい18歳のお姫様、なんともロマンチックな地名の由来だが、残念ながらホームページには、なぜ「さかり」と読むのかの解説は記されていない。

十六善神ゆえに? それとも海苔ゆえに?

次は島根県出雲市の「十六島」。この地で採れる岩海苔はかつて皇室にも献上されていたとされる逸品で、現在も「十六島海苔」として名高いので、グルメの方ならご存知かもしれないが、まずほとんどの人が正しく読むことはできないだろう。こちら、「うっぷるい」と読むのである。

「十六島」をなぜ「うっぷるい」と読むのか、地名辞典の類をひも解くと「うっぷるい」という読みはアイヌ語や古代朝鮮語に由来するなど諸説ありとなっているが、『平田市大辞典』(平田市は合併して現在は出雲市)に、そのひとつが掲載されている。

それによると、昔、十六善神が海中から大般若経を背負い、十六島湾の端にある経島に上陸した際、土地の名を尋ねたところ「うっぷるいです」との答えだったため、十六善神は「それならば私の名を語りなさい。文字は"十六島"と書いて、"うっぷるい"と読みなさい」と制定されたのだとか。

また、別な伝承もある。それによると、昔、少彦名命が北浦海岸をめぐりながら杵築(今の大社)を訪問した途中、この地で香り高い海苔が一面にあるのを喜んだという。それを少彦名命が岩からはぎ取って海水に浸し、何回もうち振って土産に持参したのだが、その打ち振りがなまって「ウップルイ」となったという(『ひらたしのむかし話』より)。さすが神話の国の地名である。格調が高い。

十六島は高品質の岩海苔が採れることで有名だ(提供:出雲市)

千葉の大網白里市と富里市にも数字!?

さて、ここでクイズ。千葉県の大網白里市と富里市は、いずれも元は数字地名なのだが、この2つの市名にはどんな数字が隠されているか、お分かりだろうか? 大網白里市のヒントは、九十九歳を白寿というがごとし。同様に、白里の白は九十九を意味するのである。

どういうことかというと、白里地区は九十九里浜のほぼ中ほどに位置し、かつてはいわし漁で栄えた地域で、白里の地名も「百」の文字の上の一をとると「白」の文字になり、百里から一里をとり「九十九里」であるということからつけあわせて名付けられたと伝えられているというのだ。命名者のセンスはなかなかのものである。

一方の富里市は、明治時代に13の村が合併して生まれた市(当時は村)。その「十三」を「とみ」と読んで「富」の文字を当てたのがその由来だそうである。同市の秘書広報課によれば、「新しく住民になった方は市名の由来を知らない方も多いと思われるので、市の広報誌などで由来を紹介するようにしています」とのことだった。

九十九里の波が洗う白里海岸(提供:大網白里市)

スイカの産地の富里市市役所前にはこんなモニュメントが立つ(提供:富里市)

●参考文献
『角川日本地名大辞典・東京都』、『同・徳島県』、『同・島根県』 他