前回のまとめ

シングルマザーとしての一番の辛さ。個人的には生活や将来の不安以上に、世間の偏見や差別と前回書いた。テレビドラマなどの影響か、「母子家庭=貧困」という目で見られることも多く、世間から我が子が"かわいそうな子"という烙印を押されることも受け入れがたい。子どもが小さい頃はファミリーで賑わうような場所に母子だけで行くのが辛く、また親切に手を差し伸べてくれる人にまで心を閉ざしていた時期があった。

便利家電は「必要経費」

子育てをしながら仕事も家事も、すべて1人でこなさなければいけないシングルマザー

とはいえ、そんな風に思うのも、子供が小さい時だけ。次第に子供が手を離れていくにつれ、自分自身の自由な時間も増え、精神的には余裕ができていく。社会の偏見に卑屈になったり、心無いひと言にいちいち敏感に反応して傷ついている自分が嫌で、一時は周囲との交流を避けていた自分も、子供が自立するに従い、少しずつ社交性を取り戻っていった。後から振り返ると、そんな負の感情を抱きながら子供に接していたことを少し申し訳なくも思うし、育児をもっと楽しむべきだったと思う。でもその当時は、世間の雑言に耳をふさぎ、生活のためにがむしゃらに働くことがストレスや不安を解消することになり、必要なプロセスだったのだ。ただの一時的な悪循環だったと思う。

シングルマザーとして生きていくことで大切なのは、気持ちの切り替え方だ。特に、自分の意志ではどうにもコントロールできない子供と向き合いながら、仕事に家事にと何役もこなさなければならないシングルマザーにとって、日々の生活をうまく乗り切るためには何でも効率化していくことが重要。ロボット掃除機など便利な家電やアイテムは、経済的に可能であれば必要経費とみなして積極的に投資していった。とにかく人手が足りない母子家庭では、機械で代用できることはなるべくそれで済ますという割り切りが時に必要。

買い物もなるべくストックを多めに、子であれ自分であれ、外出できない状態になってもいいように備えをしておく。万が一、自分が疲れてどうしようもない時は、ストックしてあるものでとりあえずはしのげるいう意味で心に余裕が生まれるし、東日本大震災の時にはそうした心構えによって大いに助けられた。災害時、シングルマザーは子供の安全も守りながら、子供に食べさせなければならない。それを両立させるには、夫婦そろった家庭以上に備えが重要だ。

繰り返しになるが、シングルマザーとして何より辛いのは、やはり代わりがいないこと。病気の時も、緊急時も1人で何もかもこなせばならない。子供に何かあった時よりも辛いのは、自分に何かがあった時。そうした時はどうしても周囲の手を借りなければならないが、私自身はできれば周囲の知人・友人は頼りたくなく、最終手段として考えている。というのも、万が一、事故などで問題が生じてしまった場合、お互いの間にしこりを残してしまうからだ。

それならば、しかるべき対価を支払ってサービス会社にお願いしたいと考えている。そうした理由から、私自身はママ友との関係は、情報交換や悩み事の共有、話し相手までになるべくとどめるようにしている。

生後4カ月で保育所へ

養育費や慰謝料、保険などをたくさん受け取っている場合を除き、ほとんどのシングルマザーが働きながら子育てすることを強いられる。シングルマザーに専業主婦という選択肢は現実的ではない。従って、子供が小さいからと言って人に預けて働くことは当たり前で、夫婦そろった家庭に比べれば、世間から非難を浴びることも悩むこともない。

私自身は、子供を生後4カ月から預けて本格的に働き始めた。しかし、正直当時、葛藤がないわけではなかった。寝ているばかりの生まれたばかりの赤ちゃんから次第に表情豊かになるなど成長していく様子に触れるにつけ、日に日に芽生えていく子供に対する愛着。 予想よりも早く、保育所への入所が可能との連絡を受けた際には「もう少し一緒にいたかった」と戸惑ったものだ。だが、遠方に住む実母にその報告をした際には、「あなたがしっかり働いてこれからずっと養っていくのよ。今からそんなことを言っていてこの先どうやって子供を育てていくの? しっかりしなさい! 」と厳しく喝を入れられた。

そして気が進まないままに、子供を連れて保育所の職員の方々と面談。でも、「仕事がない時は休ませてもいいのよ。赤ちゃんと一緒にいられる時はできるだけそうしてあげてください。遠慮なく休ませてください。お母さんがお仕事の時は、私たちがそのぶんしっかりお世話をしますから、安心してお母さんはお仕事を頑張って! 」と温かい言葉で励まされ、あふれそうな涙を必死でこらえて帰った日のことを今でも忘れられない。

周囲のそうした前向きな励ましの言葉の数々は、1人で肩ひじを張って生きてしまいがちなシングルマザーにとっては、ふとした時の心のよりどころであり、潤滑油だ。「あなたがいつでも明るく、楽しく過ごしていればきっとこの子は幸せだよ」と言ってくれた先輩、「私は母子家庭に育って、2歳で父親と別れたから父のことも覚えてないくらいだけど、こんなにいい子に育ったでしょ」と何よりも説得力ある言葉を掛けてくれた親しい旧友。社会の偏見や、心無い言葉に傷ついた経験は意外にも忘れてしまうものだが、そうした言葉はいつまでも心に刻まれていて忘れない。

シングルマザーとして知り合った友人たちの中には、その後新しいパートナーを得て、新しい家庭を築いていく人もいる。そういう友達に対しては、かつての同志、"卒業生"みたいな感覚で、少し羨ましい思いと新しい人生の幸せを心から祈る気持ちで送り出す。自分自身も周囲から「この先結婚とか考えないの? 」と聞かれることが多いが、現時点ではまったくの白紙。今のまま子供と2人でしっかり生活をしていく覚悟とそれなりの心構えはしているし、この先人生にもう一度転機があれば、それはその時考えようと極めてフレキシブルに考えている。

ただ1つ、何も変わらないのは、我が子とは永遠に親子であるという事実。周囲の環境がどのように変わっても、養育義務がある間は我が子の人生に責任を持ち、立派に育て上げる義務を負っている。シングルマザーとしてその任務を最後まで全うし、できることなら人々の役に立つような人間として我が子を社会に送り出し、自身も豊かな人生を送ってほしい。そう思いながら、日々現実と我が子に向き合っている。

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