JR田端駅に隣接する田端信号場駅から北王子駅までを結んだ東北本線貨物支線、通称「北王子支線」が、7月1日をもって正式に廃線となった。1926年に開通したという同支線は、約90年の長きにわたり、一貫して貨物線として利用されてきたが、列車の運行はすでに今年3月14日をもって終了している。今回は田端駅から徒歩で、その線路をたどってみた。

田端信号場駅の南端は、JR田端駅のすぐ東側

京浜東北線のすぐ横に、錆びきった架線のない線路

北王子支線の起点は田端信号場駅となっているが、ここから王子駅まで京浜東北線などの路線と並行している。まずは田端駅から陸橋を渡り、ひたすら北へ歩くことに。しかし、上中里駅付近まで達する田端信号場駅は、JR貨物の田端機関区やJR東日本の田端運転所が併設されていることもあり、同支線の列車がどこを走っていたのか、沿線からはわからなかった。

JR貨物の田端信号場駅と田端機関区(乗務員基地)、JR東日本の田端運転所(車両基地)に東京新幹線車両センターと、左右ともに「鉄道銀座」と化したエリアを抜け、上中里駅に到着。さらに北へ進んだところで、人道用陸橋を見つけた。

宇都宮線・高崎線、湘南新宿ライン、京浜東北線の電車が行き交う線路をまたぐ長大な陸橋から眺めると、1本だけレールが錆びきった線路があった。架線も存在せず、使い込まれた様子で、他の路線と比べても明らかに雰囲気が違う。この線路は王子駅の手前で東側に位置を移し、そのまま王子駅構内まで延びていた。

JR貨物の田端信号場駅やJR東日本の車両基地が並ぶエリアを歩く

上中里~王子間の陸橋から南側を見下ろす。1本だけ錆びきった架線のない線路があった

JR王子駅2番線の外側に錆びたレールが。王子駅前の陸橋からもはっきり見える

実質的な起点といえる王子駅から、北王子支線は新幹線の高架橋の下を走っていた。ツタで覆われた錆びたレールが800mほど続く。その先で本線から離れ、ようやく間近で線路が見られるようになった。東京都内の路線とは思えない、まるで非電化ローカル線のような雰囲気だ。沿線を歩いた時点では、まだ北王子支線は正式には廃止されていなかったものの、踏切跡にはバリケードが作られ、線路へ進入できないようになっていた。

北王子支線は本線から離れた後、わずか500mほどで終点の北王子駅に到着する。

北王子支線の途中からもうひとつ、貨物線が分岐していた

北王子駅は1927年、「下十条駅」として開業。かつては日本製紙の前身である十條製紙(戦前は王子製紙)の王子工場に隣接していて、専用鉄道として利用されてきた。現在、王子工場跡は子会社の日本製紙物流北王子倉庫として使用されており、北王子駅も物流拠点として利用されたが、今年9月に北王子倉庫が売却されることを受け、その役割を終えることになったという。

新幹線の高架下を進む北王子支線。線路にはツタが絡まったまま。道路との交差部分には、すでにバリケードが

北王子駅の入口も固く閉ざされていた。隣には日本製紙物流の北王子倉庫が存在する

ホームへの線路の他に、いくつかの引込み線が見える。構内には日本通運のマークが入った機関車も

日本通運のマークが入った機関車は計4台残されている様子だった

構内にはホームのほか、数台の機関車がそのまま残されている様子だった。北王子線の最末期はDE10形ディーゼル機関車の牽引で運用されていたという。駅構内の入換作業用として、これらの機関車が使用されていたのだろう。

北王子駅と北王子倉庫の周辺を散策している間に、レリーフを発見。「産業考古学探索路」と題されており、王子~十条地域の歴史が解説されている。戦前の十條工場は、現在の北王子倉庫よりもはるかに広かったようだ。さらに、北王子支線の途中で分岐していた「須賀線」という路線もあったことがわかる。

歴史を説明するレリーフは、北王子駅のさらに北側に存在していた

扇型となっている王子四丁目公園は、かつて須賀線が分岐していた場所。須賀線の跡地はひたすら道路が続いていた

「須賀線」は北王子駅の南側約200mほどの場所で分岐していた路線。北王子支線と同年に開通し、須賀駅(現在の北区豊島5丁目)に存在していた大日本人造肥料(現在の日産化学工業)まで、化学工場の原料や製品を輸送していたという。

その後、途中に旧陸軍の造兵廠(銃弾など兵器を製造する施設)が設置されたことで電化。戦後も跡地に工場が建設され、引き続き貨物列車が運行されていたが、高度成長期の終えんとともに沿線の工場が次々と移転・閉鎖したため、1971年に廃止されている。

須賀線との分岐点は現在、王子四丁目公園となっている。公園から東側へ延びていたであろう須賀線の廃線跡は、いまはずっと道路が続いていた。名残といえば、交通量の割に道路の幅が広いところくらいだろうか。

陸軍造兵廠跡は東京成徳大学高等学校や都立飛鳥高校などに、須賀駅の跡地はUR豊島五丁目団地になった

須賀駅と日産化学工業のあった場所は、いまでは豊島五丁目団地となっており、往年の面影はまったくない。ただ、王子駅から徒歩で20分以上かかり、周辺をひっきりなしにバスが行き来する様子を見ながら、もし須賀線が貨客転換されていれば、一定の需要があったのではないか? と考えてしまうのだった。