東京・お台場の日本科学未来館で2日まで行われていた企画展「メイキング・オブ・東京スカイツリー」の関連イベントとして、1日に「つくりてからの生の声『未来のまち』」が開催された。

「つくりてからの生の声」は、都内墨田区で建設が進む電波塔・東京スカイツリーに関して、設計や施工になどに携わった関係者がその裏側やプロジェクトに対する思いを語る対談シリーズ。最終回となる今回は、東京スカイツリーの事業主体である東武タワースカイツリーの鈴木道明社長、設計を担当した日建設計から計画全体の取りまとめを行ったプロジェクト開発部門の山本秀樹氏、建設地近くの観光名所でもある浅草寺から教化部執事の壬生真康氏、そして、『機動戦士ガンダム』などで知られるアニメーション監督の富野由悠季氏が招かれ、東京スカイツリーを軸に未来の街作りはどうあるべきかについて意見が交わされた。

東京スカイツリー建設地周辺の地図を囲みながら行われた対談「つくりてからの生の声『未来のまち』」

東京スカイツリーに関しては鈴木社長、山本氏、壬生氏が当事者であるのに対し、富野監督は第三者的な立場であるため、期せずして富野監督からほか3名のパネラーに対して質問を投げかける形で対談は進行した。富野監督は「僕はしょせんアニメ屋で、絵空事を考えるのが仕事」と話し、巨大建造物を現実に建てる仕事をしている人たちに直接話を聞く機会を楽しみにしていたという。

東京スカイツリーは634メートルという巨大な塔だが、建設地周辺は住宅地。「景色が変わるということは、普通の人たちにとっては不快なことでもある。その嫌悪の石つぶてが投げられる恐れはなかったのか」と問う富野監督に対して、プロジェクトの最初期から携わってきた山本氏は、現代のあらゆる高層建築は周辺環境との調和、街の中での建物の位置づけを慎重に検討したうえで建てられるが、加えてスカイツリーの場合は、近隣住民のみならず広く社会に対して「設計のコンセプトや安全性など、いつも以上に時間をかけて説明を行った。『説明力』が必要なプロジェクトだと感じた」と話す。これまでの高層建築の中でも事業計画全体の規模が段違いに大きく、単に建築物の必要性や技術を説くだけでなく、文化面を含めたあらゆる確度から理解を得られるよう腐心し、「外部の方とコミュニケーションがこれだけ発生したのは初めて」と打ち明ける。

アニメーション監督の富野由悠季氏

日建設計 プロジェクト開発部門の山本秀樹氏

浅草寺の壬生氏に対しては「突然川(隅田川)の向こうにあんな高いものができて、正直『何だこんちくしょう』と思うことはないのか」と尋ねる富野監督。しかし、地元浅草の空気としては「むしろ最初から歓迎ムード」(壬生氏)だったという。壬生氏は、「もちろん我々も守るべき景観は守っていく方向で、高層建築の計画に対して反対をすることもあるが、浅草寺は災害・戦火の被災と復興を繰り返してきた寺であり、江戸・東京の街の発展に従って変化を繰り返してきた」とし、下町の人々に1400年もの間支えられてきた浅草寺としては、景色の変化それ自体は当然のこととして受け入れていると述べる。また、「塔」という建物は日本人のマインドになじみやすく、今回の超高層建築がビルではなくタワーであったことも、比較的多くのひとにすんなりと受容された一因だったのではいかと指摘する。浅草寺の五重塔とスカイツリーを両方写真に収めようとする人も増え、既に浅草ではタワーのある風景が定着しているといい、壬生氏は「隅田川の向こうに生まれた新しい『焦点』が、(浅草側と)均衡した形で成立しつつある」と分析する。

浅草寺 教化部執事の壬生真康氏

東武タワースカイツリー代表取締役社長の鈴木道明氏

東京の23区の西側に住む富野監督自身は、最初はスカイツリーに関して興味も関心もなかったということだが、建設が進むにつれて、建設地から20キロ以上離れた自宅からも塔体が見えるようになると、その規模と存在感を実感させられるとともに、現代におけるランドマークの必要性、東京という土地がどのような構造を持っているかといったさまざまな部分に思いがおよび、次第に引きつけられていったという。将来の日本の都市計画を語るとき、東京スカイツリーの建設という事業自体が後世に対しての「絶好の教科書」であり、この計画をめぐって交わされたさまざまな議論は、今後大規模な都市開発の際に参照・反芻されることは間違いなく、その意味では非常に意義のあるプロジェクトだと評価している。

一方で、近現代の都市と建築に関しては注文も付けた。例えば、都市計画や建築物の設計に関して、意匠のデザイナーが介入することがどこまで正しいのか。「そのデザイナーが天才的なデザイナーならいいが、あくまで職業としてこなしているデザイナー、100年先のことを考えていないデザイナーが入ったときにどうなるか」(富野監督)と指摘し、昭和初期に流行した帝冠様式(現代的なコンクリート建築に日本式の瓦屋根を乗せたもの)のように、技術と伝統の安易な融合に走ることには否定的な見方を示した。

また、監督は作品の中で、人類が宇宙に居住する将来の姿を「スペースコロニー」を用いて表現したが、スペースコロニーを本当に実現するには、居住地の寿命が来る度に廃棄と新造を繰り返すのではなく「200~300年でコロニー自体がすべて入れ替わるようなシステムでないといけない」(富野監督)と話す。東京スカイツリーは最短でも100年、十分な保守作業を行っていればそれ以上の寿命があると見られるが、巨大建築物が時代の需要に応えながらいかに生きながらえていくか、東京スカイツリーにはそのすべを模索する役割も課せられていると強く主張する。

富野監督の指摘は事業者に対しては厳しい内容も多かったが、東武タワースカイツリーの鈴木社長は「(塔として)世界一の東京スカイツリーも、いずれ抜かれるときが来るだろう。しかし、タワーのある街が人の心のよりどころとなり、人の心が世界一であれば、ずっと世界一のタワーでいられる」とコメント。パリのエッフェル塔は、今では世界の多くの塔やビルに高さを抜かれており、エッフェル塔を見るためだけにパリを訪れる人は少ない。しかし、それでもパリに来た人は必ず一度はエッフェル塔に上るし、オープンから120年以上が経過したにもかかわらず、今でもエレベーターの前には長い行列ができている。

東京タワーからのテレビ放送終了が近づいているが、東京スカイツリーも未来永劫電波塔としての役割であり続けるとは限らない。社会が大きく変化したそのときも人々から愛され続ける存在であるか、タワーの真価とは50年、100年先になって初めてわかるものと言えるかもしれない。