千葉県銚子市の南に位置する匝瑳(そうさ)市で、1880(明治13)年に味噌や醤油の醸造業を始めたタイヘイは、100年以上前に製作された巨大な木桶116本を現在も使用し、昔ながらの風味を保った醤油をつくり続けている。2005年には、関東唯一といわれる伝統木桶師の高梨氏によって、新たな巨大木桶が製作された。新旧の巨大木桶を間近で見ると、職人技の見事さがひしひしと伝わってきた。

タイヘイは太田平左衛門の太と平の字から取られた

風格漂う伝統の巨大木桶

ごくかすかな醤油の香ばしさと、ほのかにじめっとした空気に包まれる。やや薄暗い蔵の中、黒光りした巨大な木桶が目の前に現れた。威容ともいうべき迫力がある。直径、高さともに約3m。左右を眺めると、ずらりとぎっしり並んでいて壮観だ。

蔵の中には独特の香りが漂う。おいしい醤油作りに欠かせない微生物が豊富な証拠だ

こちらは間もなくもろみが貯えられる「平左衛門」用の木桶

この蔵には60本の木桶があり、もうひとつの蔵とあわせると計116本を数える。いずれも100年以上前に製作されたもの。中には150年以上前の桶もあるという。巨大木桶の立派な姿には、その長い歴史がにじみ出ていた。

タイヘイの始祖、初代太田平左衛門がこの地に入植したのは、徳川綱吉の時代、1695(元禄8)年頃とされる。その後、地主としての地位を確立し、酒造業を開始して代を重ねた。だが、暖冬異変などで危機が訪れ、11代平左衛門は酒造設備をそのまま利用できる味噌・醤油醸造に転じた。1880(明治13)年2月3日のことである。

関東で、昔のままの木桶がこれだけ残っている蔵は、おそらくほかにはないという。大きさにも圧倒されるが、吉野杉の木肌と、桶を上下で締めている竹の箍(たが)の色、かたちには、シンプルながらも力強いデザイン性が感じられた。匠の技が生み出した究極の美しさと言っても大げさではないだろう。

木桶の上にもあがらせてもらった。木桶はそれぞれ多少高さは違うため、上でそろえる。もろみが熟成中の桶や、これから仕込むため空の桶が大きな口を開けている。ひとつの桶の容量は約10,000L。1L瓶で1万本生産される計算だ。

100年以上の年月を経ても、箍としての役目を果たしている竹

木桶には熟成中のものと、空のものが点在していた

木桶でつくられる醤油を味わってみると、ふだん使っている醤油にはない香りの強さ、風味の強さが感じられた。つけたり、かけたりするなど、そのまま使うのに最適な醤油である。この昔なつかしい味を求めるリピーターも少なくない。なお、1年間という一般的な醤油の2倍の時間をかけて醸造し、圧力をかけずに抽出した特別な醤油「平左衛門」は、年間1万本程度の生産量だが、口コミなどで人気を伸ばしている。

10代目木桶師が語る木桶づくり

木桶の蔵の余韻に浸りつつ、2005年に製作された巨大木桶を見に行く。新しい蔵の中に、先ほど目にしたものと同じような大きさの木桶がひとつ鎮座していた。蔵も木桶も木材の若々しさがまばゆいくらいだ。

新しい木桶と蔵は、色合い、印象ともに明るい

18歳から木桶師の世界に入った高梨博美さん。「初めての木桶は子どものようなものです」

この木桶を手がけた高梨博美さんも登場。関東で唯一とされる木桶師の10代目であり、父親の貞二郎氏とともに製作に当たった。野田市に工場を構え、普段は木桶の修理などを行っている。実際に巨大木桶を作ったのは初めてのこと。「父も、実際に製作したのは初めてだったかもしれません」と博美さんは話す。

この巨大木桶は、2005年12月、生活クラブとタイヘイの提携30周年を記念して、生活クラブ生協連合会から寄贈された。木桶の製作期間は1年。木桶が完成してから、蔵の建物が建てられた。

木桶に使われる板は、厚さ約6cm、幅約15cm、長さ3m。これを67枚、くさびでつなぎ合わせ、箍で締める。現在、修理する場合などに箍として使われるのは鉄製の素材だが、伝統の製法に基づき竹が使用されている。

現代の竹で編まれた箍。昔のものと比べると、やや弱々しい感じも

「どういう理由かわかりませんが、今の竹は節と節の間が短いんです。昔はこれがもっと長かった。竹の定規がありましたよね。節の間が少なくとも30cm以上、あるいはもっとあったわけです。今は定規に使えないくらい短いのかもしれません。箍としては、昔の竹の方がしっかりしていて長持ちします」

木桶は底板をやぐらで支えて、いわばひっくり返したかたちで製作されていく。最も難しい作業は何だろうか。うかがってみると、板と板の側面の鉋(かんな)加工だと高梨さんは答えた。これがぴったりと合わなければ、当然、中味が漏れてしまう。職人技の見せどころだ。

このような板を使って木桶が作られていく。完成品は巨大だが、くさびでつなぎ合わせたり、鉋作業など繊細な職人技が求められる

「わたしが子どもの頃は、木桶師の職人は4、5人くらいいました。しかし、このような木桶を作る機会は、もうだいぶ前からありません。木桶職人になりたいという若者もいるのですが、仕事がないのが現実です。無責任に後継者を育てるわけにはいかないのです」

高梨さんの複雑な心境が察せられた。現在、醤油の熟成にはほうろうやFRP(繊維強化プラスチック)素材のタンクが使用されているという。タイヘイにこれだけの巨大木桶が残されていること自体、奇跡的と言っていいことなのかもしれない。

前述したように、木桶で作られた昔風の醤油の人気は広がっている。その風味を育む木桶の職人技は途絶えようとしている。伝統と現実の兼ね合いの難しさを実感した。さまざまな現状の厳しさがある中、ここではまだ伝統的な木桶での醸造にこだわった醤油作りが続けられている。その重要性はもっと注目されていいだろう。