製鉄に関連する120以上の企業や団体が参加する日本鉄鋼連盟は7日、近代製鉄発祥150周年記念事業の概要を発表した。会場には、事業の広報大使に抜擢されたアーティストの石井竜也氏とサイエンスプロデューサーの米村でんじろう氏も登場。石井氏はイメージキャラクターの「AIRA」(アイラ)を発表し、米村氏は鉄を使った実験2種類を披露。発表会を盛り上げた。

集合写真。前列に米村でんじろう氏と石井竜也氏が

洋式高炉で日本初の出鉄から150年

発表会の内容に入る前に、日本における製鉄の歴史をおさらいしよう。1858年1月15日、南部藩の大島高任(おおしまたかとう)が日本で初めて洋式高炉を使い、鉄鉱石から鉄を創り出した。大島高任は南部藩の侍医の子として盛岡に生まれ、17歳で江戸や長崎にて蘭学を学び、合わせて西洋の砲術と近代戦を研修、それら武器製作に必要な採鉱や冶金術も会得していたといわれている。

それまでの日本では、鉄をつくるといえば「たたら製鉄」であった。たたら製鉄とは砂鉄を原料として木炭の燃焼熱によって鉄をつくり出すといった方法。低温のため純度の高い鉄を得られるが、製鉄のたびに炉をつくり直すため、大量生産には不向きである。

大島高任もたたら製鉄でつくり出した鉄をもとに大砲をつくってみたものの、大砲の量産は難しく、必要な性能を兼ね備えていなかったという。そこで南部藩大橋、現在の岩手県釜石市に洋式高炉を建設し、鉄鉱石を原料とする精錬を始めたとされる。時に幕末の乱世。刀による戦いから銃や大砲による戦いに変化する時代であった。

大島高任が大砲を国内生産するにあたり、それを命じた人物が水戸藩の徳川斉昭であるといえば、歴史ファンならワクワクするはずだ。西洋の武器を買い入れて東征する薩長軍に対し、幕府徳川家も自前の近代兵器の導入が急務であった。大島高任への期待も相当なものだった。明治維新後は政府にも大島高任の手腕が買われて、釜石に官営製鉄所を設立。鉄は国家なり、という時代はまさしく大島高任に起源があるといえるのではないだろうか。

明治、大正、昭和そして現在まで、鉄は日本の基幹産業であり、その役割は大きかった。新幹線技術を支えたのも鉄、世界に名だたる日本の自動車産業に貢献したのも鉄。建築も土木も鉄なしでは語ることができない。鉄の成長こそが日本の成長であった。文学に目を向ければ、製鉄業を舞台にした山崎豊子の小説「大地の子」「華麗なる一族」にも、国の威信と自己のプライドに賭けて製鉄に打ち込む人々が描かれている。日本人にとって鉄は身近な存在だ。しかし、あまりにも身近すぎて、鉄について親しみや理解の対象になりにくいことも事実である。

日本鉄鋼連盟が近代製鉄発祥150周年記念事業を実施する理由もそこにある。「150年という節目に、今日まで日本の産業を支えてきた鉄鋼工業の歴史を振り返り、21世紀の新しい鉄鋼業の姿を多くの人々に知ってもらいたい」。そのために記念事業は多彩な内容を盛り込み、長期にわたって展開される。今回取り上げる記者発表や公式サイト「近代製鉄発祥150周年スペシャルサイト」の公開から始まり、鉄の記念日がある12月までの10カ月間に渡って全国で様々なイベントが行われる予定だ。例えば、7月26日、27日には東京・港区の「六本木ヒルズアリーナ」にて「鉄の星フェスティバル」が開催される。石井竜也氏作詞作曲歌唱のイメージソング発表、米村でんじろう氏によるサイエンスショーなどが行われる。

12月まで様々なイベントを展開していく

記念事業のロゴ。背景に鉄のマテリアル。溶鉱炉の鉄をイメージする赤で150の文字

他にも、加盟各社の製鉄所ではファミリーフェスタや工場見学会、スポーツ大会が開催される。また、米村でんじろう氏が全国の小学校を訪問して鉄の不思議に関する授業を実施。12月1日には近代製鉄発祥150周年記念切手が発行されるという。イベントスケジュールは、「近代製鉄発祥150周年スペシャルサイト」で随時公開されるとのことだ。