――それほど人気になった理由は、どのあたりにあったとお考えですか。

「なぜ、アメリカでロングランになったかということを自分なりにちょっと分析しますと、アメリカはあの当時、経済も発展していて、第二次大戦にも勝った世界のリーダーでしたよね。まあ、ソ連もありましたけど。ところが、ベトナム時代が来たでしょ。で、そのときに、あの平和な家族構成がなくなったんだと思うんですよ。お父さん、お母さん、恋人がいて車に乗っていたとか、あの平和な家族構成がね。帰ってくる人もいたけれど、麻薬患者だとかヒッピーとかになってしまった人も中にはいました。ところが『マッハGoGoGo』が結局、向こうの人たちに良き時代のアメリカらしさを提供していたみたいなことになるわけです。それが、今だに続いているんだと思います」

――もともと、古き良き時代のアメリカの理想的なファミリーみたいなものがあった……。

「ええ、あったんですよ。我々が理想としたものが(笑)。向こうは、逆に失われてきてね」

――もとはアメリカから来たんだけれども、それを九里さんたちが純粋培養して、そのエキスをまた逆輸出したみたいな……(笑)。

「そうそう(笑)。それをアメリカでは懐かしがっていたと思いますね」

――実は、今、作品にとりかかっていらっしゃるということで……。

「ちょっと自分に返ってみて、漫画コミックを手がけています。もう体力は昔ほどなくなったんだけど、エネルギーはまだまだあるんだなと(笑)。お話は『科学忍者隊ガッチャマン』のプロデューサーをやった方なんだけれども、『いろいろ、変わったことやらないけないな』ということで、また一緒にね。『それならもう、描きたいもの描きましょう』ということで、アイデアを入れてもらったり。今、100ページぐらいまで描き上げてるんですよ」

――拝見しますと、かなり細かいタッチで描き込んでありますけれども、ベタとかトーンとか、お一人で……。

「ええ、一人で。だから、背景に相当時間がかかるし、スピードからいけば、4倍か5倍ぐらい遅れますね(笑)」

――この、衰えない創作意欲っていうのは、どこから出てくるんでしょう。

「気持ちが済まないんですね。ムダにしたくないと。元気なうちは。自分に対しての使命感みたいなものかなあ」

――自分の中からやっぱり、「やりたい」っていう、そういうものが……。

「そう、そうです。今までは、お金になるものばっかり考えてたわけです。アメリカで受けるか受けないかとか(笑)。一度、プロ根性から外れたものを……ホントに趣味みたいなものでやりたいなというのが、最後の望みだったんですよ。夢だった、逆にね。ところがやってるうちに、やっぱり見てもらわんと評価にならないから(笑)。『それだけじゃいけないな、やっぱり見てもらいたいな』という」

――これが完成すると、何ページぐらいになりそうですか。

「150ページぐらいにして単行本にしたいです。それで、できたら出版パーティーでも開きたい。タツノコの人たちと同窓会みたいな形でね。古い漫画家の仲間たちも呼んだりして、そういう場にできるといいなと思ってるんですよ(笑)」

――本日は、長時間お話をおうかがいいたしまして、どうもありがとうございました。