映画作りから離れたら僕は廃人同然

今年に入ってからのクリエイター・塚本晋也の活動は、実に精力的だ。自身としては、およそ20年ぶりとなる舞台の演出に挑み、吉本ばなな原作『哀しい予感』を東京と大阪の2カ所で行脚公演を打った。

「映画監督に舞台を演出させるという、劇場がプロデュースする企画だったんですが、昔、海獣シアターでやっていたような芝居とは全然違いますし、難しかったですね。あの頃はアングラのテント芝居で、四畳半みたいな小さなスペースで大活劇をやってしまうノリだったんで。もちろん、それはそれで本当に面白かったんですが、『哀しい予感』は、以前、『竹中直人の会』に役者として出演させてもらったときの感覚に近かったかなぁ……。

芝居に目覚めたのは"サイコ野郎"の役

監督・塚本晋也は、自身の映画作品にも数多く出演する俳優・塚本晋也でもある。ディレクションする側でなく、役を演じる側に回るのもまた楽しいものなのか。

「すっげぇ楽しいですね。僕は、子供の頃、人と話すのが苦手で引っ込み思案な子だったんですよ。それが小学校4~5年生時の学芸会に参加したことでびっくりするくらい明るくなって、お芝居はいいものだっていう意識が突如芽生えて(笑)。それまでは、セリフがひと言ふた言与えられて、一回登場したらすぐに退場……みたいな役回りばかりだったんですが、その時の学芸会で、主役の仇役に当たる準主役に大抜擢されたんです(笑)。主人公は学級委員で、誰からも尊敬される立派なキャラなんですが、僕は性格のねじ曲がったサイコ野郎っていう(笑)。もちろん、小学校の学芸会用の台本なので、そこまでのサイコ野郎じゃないんですが、入院している主人公を僕がお見舞いに行くクライマックスのシーンで、自分の中にあるネガティブな感情を彼に切々とぶつけるような役回りだったんです。これが驚くほどイキイキと演じられて、『おおおお、これは生き生きできる場所を見つけたぞ』という感覚に陥りましたね。不思議なことに、このとき演じた仇役を、今も自分の作る映画の中でずっとやり続けているという(笑)。皮肉なもんですね」

そんな塚本少年が、映画を撮ろうと思うに至ったきっかけは……。

「最初にカメラを手にしたのは14歳くらいの頃でした。中学2年生の頃。僕の場合、実家がお金持ちというわけではなかったのですが、父親がたまたま8mmカメラを持っていて。だから、フィルムを買えばとりあえず何でも撮れる環境は整った……。怪獣映画とかは好きでしたが、特別"映画少年"というほどでもなかったですね。ただ、いつか怪獣映画を撮りたい……という漠然とした夢は抱いていたように思います」

劇中では"ヤツ"という役柄を怪演